(13) ティアナ
ヴァルトが食堂の中へと入ると、休憩中の騎士が彼の姿に気がついて食事を取っていた手を止めて会釈をする。
そしてそんな騎士たちの様子からヴァルトのことに遅れて気がついたのか、それまでがつがつと競うかのようにして食事を取っていた子どもたちも手をとめて、ヴァルトへと視線を向けてきた。
(たぶん、騎士団の詰め所の食堂に私みたいな子どもが堂々と入ってきたってことが不思議なんだろうな)
警戒というより、きょとんとした顔をしている子どもたちの様子に、思わず苦笑しそうになりながら、ヴァルトはついついそんなことを考えてしまう。
そして、そんな不思議そうな顔をしている子どもたちに、一度にっこりと微笑みを返すと、そのまま食堂の奥にあるテーブルに向かってヴァルトは歩み寄っていった。
そうして彼が近づいていくと、少女の方も自分のところへと近寄ってくる気配に気づいたらしく、顔を上げてヴァルトへと視線を動かした。
「こんにちは」
なるべく明るい声になるように意識しながらそう声をかけると、少女は表情を変えず、けれど首をわずかに傾げて不思議そうにヴァルトのことを見つめてくる。
そんな少女の向かい側の席へと、ヴァルトは腰を下ろし、
「せっかくの食事が冷めてしまっているようだけど、何か嫌いな食べ物でも入ってた?」
と、そう言って彼女の前にある料理を指し示した。
すると少女は、ヴァルトと冷めきった料理との間で何度か視線を交互させた後に、ふるふると首を横に振った。
「別に……嫌いな食べ物なんてない」
ヴァルトが初めて聞いたその少女の声は、耳触りが良く、澄んだ鈴の音のような声だった。
「そっか、それなら良かった。
この詰め所の料理は、ここに詰めている騎士たちが持ち回りで担当して作ってるんだ。
なので大味なことが多いんだけど、基本的に味はけっこう良いんで食べてみることをおススメするよ」
そう少女に向けて言った後に、ヴァルトは食堂と一繋がりになっている厨房に向けて「僕にも一人分よろしくー」と声をかけた。
厨房の中から、がん!と大きなお玉で吊られている鉄鍋を叩く音が響いてきたので、もうしばらくもすればだれかが料理を運んできてくれることだろう。
そんなヴァルトの行動を、少女はジッと見つめ続けていた。
「どうしたの? 何か他に僕に聞きたいことでもある?」
厨房から少女の方へ向き直ったヴァルトが、テーブルの上に両肘をついて手を組み合わせその手の上に顔を乗せるようにしながらそう尋ねてみると、少女はしばらくしてからコクン、と小さく頷いた。
「……貴方はだれ?
どうして子どもが騎士団の詰め所の食堂に自由に入ってきて、そんな風に振る舞えるの?」
少女が、ジッとヴァルトの目を見つめながら問いかけてくる。透き通ったその瞳には、確かな智慧と意志を持つ者特有の透明さが感じ取れた。
けれど、ヴァルトはその少女の問いかけにわざと小さくクスッと笑って、
「人に名前を尋ねる時は、自分から名乗るようにって言われなかった?」
と、尋ね返すことにする。すると少女は少しだけムッとしたかのようで、形のいい柳眉を若干だけ寄せ合わせた。
そんな少女が再び口を開こうとする前に、ヴァルトは機先を制して口を開いた。
「あぁ、ごめん。別に意地悪とか名乗らないつもりは無いよ。
僕の名前はヴァルト。ヴァルト=フォン=アルシュタイン。ヴァルトって呼んでくれればいいよ。
あ、そうそう、なんでここに自由に入ってこれるのかってことだったよね。
僕が騎士団の詰め所でこんな風に振舞えてるのは、単に父様が彼らの上役だからってだけだよ。
あとはそうだね……僕が時々、ここで稽古を受けさせられることがあって、そういった時にはここで食事することが割とあるから、かな」
と、ヴァルトが矢継ぎ早にそう答えて肩を若干すくめさせると、少女は寄せ合わせていた眉を元に戻して、元の感情が読み取りにくい表情に戻る。
けれども、さすがにそれで反応は終了とはせず、
「……そう。
…………わたしの名前は、ティアナ。オルガナの裔、ジルクの娘ティアナ」
と、言葉少なにではあったものの、自身の名を口にして伝えてきてくれたのだった。
(良し、ひとまずファーストコンタクトは成功、と)
内心でホッと安堵しながら、ヴァルトはにこにこと微笑みを浮かべてティアナのことを見つめる。
「…………なに?」
自分のことをにこにこと微笑んで見つめてくるヴァルトのことを不審に思ったのか、ティアナが若干目を細めて問いかけてくる。
「ううん、何でもないよ?」
「……何でもないなら、どうして私のことを見てそんな風に笑ってるの?」
「きれいだな、って思ったからさ」
ティアナの問いかけに、間髪置かずにそう答える。
その返答に対するティアナの反応は激しいモノだった。
(おや、そう来たか)
ヴァルトにはティアナが自分の襟元へと伸ばしてくる手を見ながら、少女のその行動自体が幾通りか予想していた中で最も激しい反発ではあったものの、それでも予想の範疇であったため、驚きは特には感じなかった。
さらに言うと、賊どもと戦った時に感じたようにゆっくりと流れる時の中であったため、冷静にそのように思いながら、ゆっくりと見える状況を冷静に分析し、この後の対処をどうしようかと考えられるくらいの余裕もヴァルトには存在した。
そしてヴァルトは、少女の手が自分の襟元を掴みそうになったところで身体を若干だけ斜めに逸らすと、逆に彼女が伸ばした腕の手首を右手でしっかりと掴み取ることにする。
「っ!?」
まさか掴み損ねるどころか、逆に掴まえられることになるとは思ってもみなかったのだろう。
ティアナが一瞬息を大きく吸い込み、同時に目を大きく見開いて硬直する。
一拍置いて、ガシャン!とフォークなどが床に落ちる音が静かな食堂に響き渡った。それを合図に、周囲で様子を窺っていた騎士たちの幾人かが、音を立てて椅子から立ち上がる気配が背後で発生する。
だが、ヴァルトは空いている左手を肩の高さまであげて手のひらをぶらぶらと振り、そんな騎士たちに向けてかまわないでいいという意思を示す。
そのヴァルトの意思を受けいれてくれたらしく、一度は立ち上がった騎士たちが椅子に座りなおす小さな音がすると、ティアナが怒りの意思を込めて問いかける声だけが、やけに静かになった食堂の中で大きく響き渡った。
「……あなたは、奴隷商に捕まっていたからって、私をバカにでもしにきたの?」
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