6、人格
人柄は、勝ちパターン、価値パターン、マジックワード、芸、手癖とも呼ばれ、上手下手ではなく好嫌で判断される。
怪談の体験談を人格と呼ぶかどうか。作家の脱税を人格と呼ぶか、布団の臭いを嗅ぐことを人格芸と呼ぶのかどうか。「自然科学的な態度!」とか、「西洋絵画は身辺を題材にしてるからナウい!!」、とか。
なろうを読んでると凄い人が居て、「脱税しても、小説が面白ければ、良い」って言ってて凄いなぁと思った。私は脱税も、NHKも、下駄履かせる人も、布団の臭いを嗅ぐ奴も、すべて嫌いだから、凄いなぁと思った。
コミニティーが健康な方が良いと単純に思う私の如き凡百は、無言の制裁の幅を大きく採ってしまうから、小説の面白さと脱税とを分離できる知的人物に対して、コミニティーの不健全化を助長する無責任という社会的不具はあるにしても、意識が高い系で凄いなぁと感じた。
野菜に制裁して、おつとめ終えて、央田出版からプロの小説家になる。本気で小説家デビューしたいなら、禁猟区で鹿を撃つも一考。大丈夫、コックリさんで指に力を入れるようなもので、みんなヤッてるよ? 頑張ろう! 小説家になろう!! であるか。
リンゴ一つ買うのに、200円出すか、500円出すか。コミニティーに不信感がただよえば値段は上がる。殺人や盗作や脱税を擁護してしまえば、やがて私はリンゴを食べるのに余分な出費をするだろう。
人格芸とは、あくまでも作家の実際の人格や犯罪歴ではなく、文の選び方、並べ方の知性・気品・趣味の良さである。農家が海洋小説を書こうと、マドロスが登山小説を書こうと構わない。
しかし、社会的無言の制裁は価格の安定に関連するので、娯楽よりも優先される。
価格の安定した食品をむさぼりながら、安定した通信網を利用しながら、ノベル言葉ではない。贔屓の小説を読みながら、即身成仏して見せてこそ、件の凄い人にも真実が宿るのだろう。
モラルというのは、自他を守護る一線の事だ。