3、豚
「メイドが好き」
「異世界ハーレムは面白い」
駄目だ。
「メイドは他の淫売に比べて性質が良い」
「異世界ハーレムはSFや推理なんぞのゴミクズよりも数段優れている」
こういう物言いは反感を買うけれど、「」の証明、納得を目指す事は公表しながら書いて行く意義を持つ。メイドを好きだの流行っているだので、書き散らす時、メイドは少しずつ死んでいる。偏愛や断定を持って証することで、ようやく命を長らえる。
偏愛の正当化こそ評する対象である。だが開き直った偏愛に批評は無力だ。成長を、より見事な話を、期待できない。
「オススメ小説はコレ、面白いですよ」
「コレの方が面白い、絶対オススメ」
「傑作はコレ、オススメ」
翻訳すると
「私は、日経新聞を読んでいる」
「私は、赤旗を読んでいる」
「私は、聖教新聞を読んでいる」
レビューではなくシュプレヒコールだ。
面白い、だから、オススメ。こういう言い方は正しくない。面白さは個人に帰属するので、推薦の基準にはならない。友人にハイヒールの舐める事をオススメする紳士はいない。性欲もまた個人に拠る為である。
映画監督の松本人志が、「面白さ」をまるで誰にでも共通な価値のあるように語った。俺が思う6点の面白さを、君も6点つけるような。否、つけるべきやねん、ほんま頭ぁ悪いなー、だ。
それは商売人としては、技芸をクローズアップするよりも、ライトでキャッチーで「イケていた」。面白さの流動、個人への帰属をマスキングし、誤魔化して、ポケットへざらざらと銭を誘導する画期的なアイデアだった。
だが私は、松本人志監督の考案した、中央教義で教導幻想で一元管理する方式の「面白さ」が、嫌いだ。マザアコンピューターの支配するディストピアが大嫌いだ。意識の高い系は得てして、知性や神性や面白さを、外部へ委託できると勘違いする。
・作品の面白さは読者のIQに帰属する。神の国はあなたの内にある。外にもある。
・小説の批評は豚の品評のように「面白さ」という項目を持たない。
・暴論や偏愛を正当化する、その手練手管を品評の対象とする。