1、売り文句
機質の欠陥、脳の毛細血管が軽い酸欠になり易い、幽霊が見え易い、虚栄心から誇大妄想へ至る、そういった普通の事じゃなく、名付け得ぬモノ、道、闇をつかんでいること。何時つかんだ、どう掴んだはさて置き、あふれ出すこと、芸。
芸は多岐に渡る、人の数ほどとは言わないが、星の数くらいはある。芸を分類、抽象し、また具体化、再現することを術と呼ぶ。自他の芸を観ること、それから把握し分析し伝達、術化すること、この二つのことを芸術と言います。
あるいは、弟子に教える過程で、あるいは、師匠の芸を盗む過程で、無言の内に整理され、流派と呼ばれたもの。芸を盗むのは、幾度か自他の芸を術化した経験があり、パッチに見当の付く人のみ可能で、駆け出し、見習い、初級者にはできません。
茶碗蒸しを食べて、美味しいかどうか、なぜか、そんな事は脇に置いて、ひとまず再現できる者を才能ある料理人と言う。料理人がレシピを書くのは、芸の術化と言えるでしょう。
ただここで注意するのは、料理上手が良いレシピ書きとはなかなか断言できない現実があるということで、分析したり、体系化したり、類比したり、いわゆる食べ上手の書いたレシピに劣る事がしばしば見受けられます。
横綱の弟子は大成しない。実績や闘争心が弟子を圧迫すると云う。人の良い、闘争心に欠ける者が関取を育て上げるのとは好対照だ。芸や気やセンスの伝達は難しく、谷崎の文章読本を読んで小説の上手くなるのは谷崎だけ、三島の講座の解るのは三島なみの才能を持っている者だけ、ではありませんか?
身長2メートル、体重150キロのファイターに「どうすれば強く」と尋ねても「トレーニングと食事、毎日6食30キロ食べる」という答えしか貰えません。あるいは「1日20時間、書いて書いて、量をこなす、20年」か。
中肉中背、小肉小背には小説を為すことは出来ないのでしょうか。人が虎を殺すには筋トレが必要なのでしょうか。これをご覧になっている凡庸で無能な大阿呆の皆さんには、凡夫であるこの私めの指南こそ有用であるのかも知れません。
上達するには、面白いを為すには、どうしたら良いか? 小説下手の、失意の、反逆の、隠遁者の、言葉に価値が無いと断定する勇気が私には有りません。料理上手のアドヴァイスにのみ盲従する勇気が私には無いのです。




