養命酒のお供
「ユキさんは、縫い物も得意なのね」
エレインさんの感心したような声に、私は力なく笑うしかない。
花嫁の介添えともなれば、慣れないドレスの裾をふんづけて破いてしまう、なーんてことも日常茶飯事なため、私もある程度の直しはできるようになっていた。
零細企業の悲しさ、ここに極まれりである。
まあ、それがこうして異世界で役に立つのだから、人生何があるかわからない。
「本当にお上手です。でもお客様にやっていただくのは、なんだか申し訳ないですけど…」
そうすまなさそうに眉を下げている黒髪の少女は、紅華と名乗る仕立て屋さんらしい。
本人曰くまだ見習いということだったけど、到着してからすぐにこうして、手直しも含めて数着の服を用意できるのだから、なかなかすごい腕前だと思う。
こうして談笑している今も、迷いなく進む針の速度はちっとも衰えない。
一方エレインさんは、こういった作業はとても苦手らしく、先ほどから何度も指を刺していた。
それでも、私のためを思ってか、こうして手伝ってくれるのだから本当にいい人だ。
私は針を進めながら、昨日の手を思い出す。
優しく、気持ちを落ち着かせるようになでてくれていたあの指。
あれはこの女性のものだったんだろうか。
私は思わず手を止めた。
また指をさして、痛いと顔をしかめている彼女の、その白い手を凝視してしまう。
見ただけではわからないけど。
なんだろう?あの手はもっと大きかった気がする。
包みこまれるような、そんな安心感があった。
今朝、目覚めた時もやっぱり異世界にいたけれど。
一人じゃないって初めて思えて。
私はまた、背筋を伸ばすことができた。
それはもう一つ、紅華さんがもたらした一筋の光のおかげでもあったんだけど。
私は、自分には少し豪奢すぎるその赤い布を仕立てた衣装にため息をつく。
これ…着れるかな…
ちんちくりんの自分にチャイナドレスは敷居が高すぎる気がする。
しかしこれが東国の正式な民族衣装と聞けば、着ないわけにはいかない。
私は、目の前の小さな仕立て屋さんを見つめた。
「それで紅華さん…皇帝ってどんな人なんですか?」
黒い髪に黒い瞳、と日本人的な色彩をもつ彼女は、私がユージィーンに散々疑われていた東方帝国出身らしい。
そしてその東方帝国は、古代中国のように皇帝が治める独裁国家らしく、この皇帝が権力者の常ともいうべき不老不死の妙薬とやらを探すことに凝っているんだとか。
体調が思わしくなくなってきた近年では、怪しげな召喚の儀式とやらまで行って、不老不死になろうと頑張っちゃってるということで。
「つまり、私はそのおじいちゃんの、長生きしてー!っていう願望の元、ここに呼び出されてきちゃったってことですか?!」
思わず顔色をなくす私に、エレインさんは心底同情したように眉を寄せてくれたけど。
「…今のところ、わたしたちが考える範疇では、そうとしかいえないわね。あなたは一人じゃなくて、その…薬?と一緒にこちらに呼ばれてきたんだし」
きっぱりと言い切られ、なるほどそうだと納得する。
私は一人で来たんじゃなかったんだった。
それなら、この薬用養命酒というお伴にも意味があって当然だ。
ん?でもそういう目的ならどっちかというと、養命酒がメインで私おまけなんじゃ?!
しかしここで、問題が一つ。
「でもこれ、不老不死とか無理なんですけど…」
薬用養命酒はあくまで、滋養強壮が目的なので、そんな無理難題を言われても荷が重すぎるだろう。
しかし、私の戸惑い顔に答えたのはユージィーンの方だった。
「でも君、この間俺に‘長生きの薬‘って言ったよね?」
「そ、んなこと…」
くっ!言ってた…説明がめんどくさくて適当に答えた時の話だ。
さてはこの男、私の言質をとるために狙ってやったのか?!
「でも、もしこれが長生きの薬でも皇帝のところに届けないと意味ないわけですよね?!」
どうやって行くんだ?RPGでいったらラスボス的な人でしょ?
その言葉に答えたのは、ジークさんだった。
「そのことなんだが…君にその意思があるなら、こちらで東方帝国に送る手はずを整えよう」
その青い瞳は相変わらず、不思議な磁力があって。
彼が本当のことをいっているとわかった。
一介の金細工師にできる芸当ではないと思いながら。
「どうするの?召喚の儀とやらが本当なら、君の帰り道はあの帝国にあるはずだけど?」
ユージィーンのからかうような声で、私の覚悟は決まった。
「…私、行きます。皇帝に会いに」
その言葉に、ジークさんとエレインさんは目を合わせて少し眉を下げ、ユージィーンは満足そうに微笑んだ。
あのチェシャ猫の微笑みで。
「わかった。ユキ、君を連れていくよ。必ず皇帝のところまで」
その時初めて、私は彼に名前を呼ばれたことに気づいた。
皇帝が何ぼのものだか知らんが、あの男を相手にするほうがよっぽど大変な気がする。
一見優男の面構えの裏で、いったいどれだけの計算を働かせているのか。
げっそりと疲れる私に、非常に申し訳なさそうに紅華ちゃんが教えてくれる。
「私はこの国の生まれで、育ちもここなので…良く知らないんですよ」
「そう…」
「棗さまなら、もう少し詳しくご存知だと思うのですが…」
棗さんというのは、彼女が働くお店の主らしい。
とにかく優しくて、商売が上手で、素晴らしいひとだと語る紅華ちゃんの目はきらきら輝いていて、彼女がどれだけ棗さんを尊敬しているか伝わってきた。
うん。良好な職場のようで羨ましい…
私の上司なんて色々とアレだからな。
社長のピリピリと張り詰めている顔を思い出して、またまたげんなりする私。
あんまり考えると帰りたいのかどうか、真剣にわからなくなりそうだから、やめとこう。
ひたすらにチクチクと三人で縫い続けた甲斐もあって、針の先が見えなくなるほどの夕闇が迫るころにはなんとか、着替えも含めた衣装を縫い上げることができた。
「ありがとうございました!」
私がぺこりとお辞儀をするのを、エレインさんは微笑まし気に、紅華ちゃんは恐縮して受けてくれる。
そんな二人に私は、思いつめた顔で告白する。
「あの…私…なにも払うものがなくて…この体で良ければ!使ってください!!」
その発言に、二人は一瞬固まって。
エレインさんは笑い出した。
「ユキさんって…男前ね!でもいいのよ、気にしないで。布はあったものだし、仕立て代はユージィーンにでも請求するから」
「それが…!嫌なんです!!」
私を利用する気満々の男にこれ幸いとたかるのは、私の矜持が許さないというか。
好きでもない男に施しを受けるつもりは、さらさらなかった。
「せっかくの服が…楽しめなくなっちゃうから…」
自分で労働した対価でなくては、私は満足できない。
その言葉にエレインさんの紫の瞳が、優しく柔らかくなる。
「じゃあ、そうね…じゃ、一つ大きなお仕事をお願いしようかしら?」
この間、刈り取っていた小麦のような植物はすべて刈り取られ茶色の地面が見えている。
それをしっかりと踏みしめながらその小山を登っていくエレインさんは、確かに領主にふさわしい堂々とした佇まいだった。
「とてもきれいな、ところですね」
日本の田園風景とも、西欧の田舎の風景ともどこか違うけれど、この眺めは確かにとても美しくて。
私のほめ言葉にもならない、でも素直な感想に彼女は、本当にうれしそうに笑ってくれる。
「ありがとう」
うん。この夫婦は似ている。
優しさの形、みたいなものがとても似てる気がする。
こんな夫婦になれるなら、結婚もいいものかもな。
そんな気が起こるくらいに。
「ついた。ここよ」
エレインさんのその声に、夢から覚めるように私はその小屋を見上げた。
山小屋のような趣のそこは、煙突のようなところから煙が出続けている。
迷わず入っていくエレインさんに続いて入っていった私は、思わず声を無くした。
そこは真っ赤に燃える炉のある、ジークさんの仕事部屋だった。
私たちが入った時、ジークさんは最後の仕上げにかかっていたようだった。
炎にあおられる、その青い瞳はいつも以上に神秘的で横を振り向かなくても、彼の新妻がどんな顔をしてるか分かるくらいだ。
納得のいくものができたのか、はたまた新妻の熱い視線に気づいたのか。
素早く、できたものを冷やしながら、フッと顔を上げたジークさんが、こちらを見てにっこりとほほ笑んで手招きしてくれる。
うかがうように振り返る私に、エレインさんがそっと背中を押した。
恐る恐る近づいた私の手に、できたばかりのそれが乗せられる。
私はまじまじと、その出来上がったものを見つめた。
それは真珠のような、淡い白い石の周りに釣鐘型の花の意匠があしらわれたペンダントトップだった。
それはまだ、人肌のようにじんわりと温かくて。
「君のものだよ」
怪訝そうに伺えば、どこか照れたようなジークさんの目とぶつかる。
「これはカンパニュラって花なんだけど…この世界で、願いをかなえるといわれている花なんだ」
「…え?」
「君の旅の無事と、帰り道が見つかるように祈ってる」
にっこりとほほ笑んで、そろいの金鎖に通してくれたそれを、ジークさんが首にかけてくれる。
それは思わず、結婚しているということを忘れて、ときめいてしまうくらい素敵な微笑みで。
「でも…でも、こんなもの…もらえません!」
言葉とは反対に、その石を握り締めるようにしながら、私は首を振った。
この贈り物に込められた気持ちが、嬉しすぎて。
「あのね、これは正当な報酬なのよ」
固辞する私に、エレインさんが困ったように微笑んで言う。
「ユージィーンをよろしくお願いする、迷惑料だとおもって頂戴」
「え?」
「そうだな。あいつの相手は面倒だし、疲れる。…本当はこのくらいじゃ済まないんだが」
真剣に、すまなさそうな顔をしているジークさん。
友達にここまで言われるって…あ、でもあの態度が私にたいしてだけじゃないってわかって、ちょっと安心したかも。
思わず苦笑する私に、ほっとしたようにジークさんも笑う。
優しい青い瞳が、私を映している。
「ひねくれもので、面倒な奴だが…やるといったら必ずやり遂げる奴だから」
「まあ、そのやり方がはた迷惑なんだけどね…」
エレインさんは顔をしかめながら、そう付け加えた。
そして私に微笑んでくれる。
どこまでも温かくて、人を自然と和ませてくれる微笑み。
「貴方の帰り道が見つからなかったときは、ここにいらっしゃい。ここは広いから、あなた一人くらい増えても、どうってことないわ」
その言葉に、ついに堪えられなくなって私は二人の腕に飛び込んだ。
エレインさんの優しい手が、嗚咽する私の背中をなでてくれる。
それは覚えているよりもずっと、小さかったけれど。
同じくらい、力強かった。
そして私の背をなでながら。
「もしお金に困ったら、迷わず売り払うのよ。ジークの品物は1点もので、とっても高く売れるから」
「できれば、そうならないように願いたいな…」
そんな夫婦の会話に、私は思わず声をあげて笑ってしまった。
それはこの世界にきて初めて、ここに来てよかったと思えた時間で。
この世界で最初の、私の宝物になった。
かたづけがあるから、と一足先に屋敷に帰した彼女の背中を見送って、エレインはため息をついた。
「本当によかったの?誰からの贈り物か伝えなくて」
妻のその言葉に、ジークはその青い瞳を曇らせた。
「…あいつなりの、考えがあるんだろう」
「でも…」
エレインには、その贈り物は特別過ぎる気がした。
彼女は気づいてないが、あの白い石には盾と剣の紋様が刻み込まれている。
それはユージィーンの家紋であり、家紋つきのものを贈る、というのは贈られたものを、その家の庇護の元におく意味があった。
すなわち、いまあの異国の娘は、この国でも随一の大貴族である、センティネル家の後ろ楯を得ていることになるのだ。
ユージィーンの一存で。
当主とはいえ、このやりようが知られる所になれば、家の中にゴタゴタが起きるのは、自明の理だった。
それをあの、ユージィーンが計算していないわけがない。
「そんなに大事なの?…あの国にユキを連れていくことが…」
憤慨している妻に、ジークはその青い目を細める。
「それもあるだろうが…」
浮かぶのは、いつもと同じようでどこか違う友人の顔。
「迷子になられたら困るから、首輪をつけとくだけだよ」
人好きのする、仮面の笑顔の奥でこの男が、何かに戸惑っているのを、ジークは感じていた。
彼はまだ、わかってないはずだ。
迷い猫である彼女に、首輪をつけた本当の意味を。
それでも。
「手放したくない、と思っただけでも…上出来だ」
何があっても、自分の所へ帰ってこさせる。
そんな執着が、これからどんな名前を持つ感情に変わるのか。
彼は、よく知っていたのだから。