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相容れない男

「ユキ様は、どこかのお屋敷でお勤めになられていたんですか?」


オットさん改めザイフリートさんが感心したようにそう話しかけてくれるのに、私は力ない笑いで答えながら銀器を磨き上げていた。


「あー…まぁそんなとこです」


この世界に結婚式場があるとは思えない私は、早々に説明義務を放棄した。

そういうことをこの人に、ではなくて説明するのが厄介なやつがいるのだ。


異世界に来て早数日。

いきなり発熱でダウンという、とても先方に迷惑をかける形となったこの異世界生活の始まりを、私はとても悔いていた。


なんといっても、ここは右も左も、わからない異世界なのだ。

この世界で生き残るためには、さらには現代日本にかえるためにはどうすればいいのかを探すためにも、私はこのオットさん…じゃなかったザイフリートさんと、似非フランス人改めユージィーンに、色々とこの世界のことを教えてもらう必要があった。


というわけで、受けた恩は早々にお返ししなくてはならない、とばかりに私は手伝いを買って出たわけなのだが。


そもそもここは船の上。

乗っているのも、ザイフリートさんとユージィーンの二人である。

仕事自体がとても少ない。


ザイフリートさん自体が一人でも事足りる仕事を、私にも回してくれている状態で、果たして手伝っているのか迷惑をかけているのか、判断に迷うほどだ。


それでも、こうして手伝えばお礼を言ってくれたり何かとねぎらってくれる彼は、本当にいい人だと思う。


私はザイフリートさんお手製の仕事着を見下ろした。

すこしゆったり目のシャツとズボンは、万事そつなくこなすこの執事さんが、ユージィーンの余っている服を私サイズに直してくれたものだ。

女性というのが敬われる社会に育っていたらしいザイフリートさんは、こんな感じで私に対してとても優しい。


主とは正反対である。


ザイフリートさんいわく、前政権で宰相だったというエリート貴族というこの男は、今は悠々自適のご隠居生活中だから暇なのか、なにかとこちらに突っかかって来る面倒な人だ。


まあ、たしかに私もいきなりあらわれた妙な風体の女が「異世界からきたんだけど帰り方わからないの、テヘペロ★」的なこと言ったら同じことをしない自信がないけど。


しかし、ごく普通の善良な日本人として育ってきた私にとって、終始疑いのまなざしを向けられることが、結構なストレスだということを実感する毎日だ。


耳慣れない言葉を発しようものなら、あら捜しなのか根堀り葉ほり聞かれて、こちらにあるものならいいけど、私自身こっちにどんなものがあるのかわからないだけに、曖昧な説明に終わってしまうことも多く、そうなるとそれみたことか、と鬼の首でもとったかのような顔をされるので、いい加減限界だった。


おとといも。


ようやく熱が下がって、布団に起き上れるようになった私の部屋に断りもなく入ってくると。

ザイフリートさんが出してくれた、柔らかいお米に似た穀物をふやかしたものを遠慮なく猫ババしながら、私の傍らに守護神のように鎮座する、薬用養命酒についてあれこれ質問してきた。


「それってなんて書いてあるの?」

「薬用養命酒、って言ってもわかりませんかね…うーんと…薬草…?ハーブでできてるお酒?みたいなものです」

「ハーブのお酒?そんなもので、なんで熱が下がるの?」

「いやそれは、なんか体にいいあれこれがですね、配合されているんじゃ…」

「体にいいあれこれってなに?」


ユージィーンの質問に答えながら、私は首をひねる。


なんで、このラベルをよめない彼が、効能の一つを知っているんだろう?

私、なにか話したかな?


熱がでて動けなくなった日、ノックに気づいて動かない体をどうにかドアまで引きずっていったは良かったけど、立ち上がることができずにいた私を、誰かが抱え上げてくれたことは覚えている。


夢うつつに、その人が薬をもってくる、というのを聞いて、とっさに養命酒の話をしたのも。

異世界の薬、というのに本能的な恐怖があったのもそうだが。


実は私は、苦い薬が苦手だった。

その手のものを出されても、きっと服用できない。

でも、せっかくだしてもらったものを使わないのは、相手にも悪い。


そこで、とっさに薬用養命酒の話をしたのだが。


目が覚めた時にいたのは、優しいザイフリートさんだったので、てっきり彼に話したと思っていた。

まぁ、主従だけあってツーカーなとこがあるから、きっとザイフリートさんに聞いたんだろう。


このいつおわるともしれない、言葉のラリーに根負けして私は半ば逆切れ気味にまとめる。


「要するに、滋養強壮、つまりは健康長生きの素が入ってるってことです!」


私のその言葉に、フーンと頷くユージィーンの顔は、アリスで見たチェシャ猫にそっくりだ。


まあ、彼がたまに浮かべる笑ってない笑顔より、そのあからさまにたくらみがありそうな顔の方が落ち着く、という私の状況もどうかと思うが。


あ、でもこうしょっちゅう突っかかられると、当初あった怯えが飛んだのは良かったかも。


いまだこの二人しか見たことがないから何とも言えないが、ユージィーンの背は高い。

そして加えてあの、日本人にはあり得ない色と顔である。

自分の中に外国人コンプレックスがあるとは知らなかったが、その生理的な怯えよりも終始質問攻めにあう不快が優って、今は怯えよりも怒りを抑えるのが大変になりつつある。


嫌な客をみたら札束と思え、という社長の薫陶がなければ、とっくに暴力事件だと思う。



思い返して、銀器を必要以上に強く握りしめる私に、その心を読んだのか。

それとも銀器が握りつぶされないか心配したのか。


「ユキ様、こちらは済んだので甲板にでも出られてはいかがですか?そろそろ陸地が見えている頃ですよ」


ザイフリートさんが慌てながら、私に提案してくれる。


「陸地?じゃあ。もうすぐ目的地に着くんですね?」


体調も落ち着いた頃、ユージーンに言われた旅の目的地を思い描いて、私はため息をついた。



「僕らは、ごく親しい友人のところを目指しているんだ。このまま異界の人である君をほっとくわけにもいかないし、とりあえず友人のところで今後の相談をしようと思うんだけど、どうかな?」


こうやってあえてこっちの意思を確認してくるあたり、この男は根性が曲がっていると思う。

それならその港で下してもらって自由にどこへなりとも行く、とは言い出せないこちらの腹をわかっているというか。

それなら、いちいち聞くなと言いたいが、だからといって勝手にされても腹は立つわけで。


つまり、このユージィーンという男と自分は、とことん相性が悪い、ということなのだろう。

これがザイフリートさんに言われたなら、素直に従ったのだろうから。


よって、この男と馬が合うに違いない「友人」に会いに行く、と言われても本心からは喜べない私がいるわけだった。


私の旅のお供は、哀しいかなこの薬用養命酒のみである。

これと、結婚式場で培ったスキルのみで、どうにかなるほど甘い世界ではないことは、私にもよくわかっている。


というわけで、ドナドナされる牛のごとく、私はこのいけ好かない男の指し示すところに、引きずられていくしかない現状を。

いつか、その真っ黒な腹に蹴りをいれてやんぜ!という野望を、だいぶひび割れている笑顔に隠しつつ、堪え忍んでいた。



せっかくの勧めを無下にするのも…といういかにも日本人的な理由で、渋々甲板にでた私だったが。


そこで目にした光景は、私の予想を越えていた。


目の前に広がっているのは、一面の黄色に染まる大地だった。


ぐんぐんと大きくなるそこに、目を凝らせば、私はそれがたくさん咲き乱れている黄色い花の群れであることに気づいた。


しかし、この花は一体?


「紅花、だよ。この季節になるとああして丘一面を黄色く染める。綺麗でしょ?」


声もなくみつめる私に答えたのは、声だけ聞けば好青年の、お気楽ご隠居だった。


今日もだらしなく着崩したシャツかと振り返れば珍しく、きっちりと上着まで着込んでいるその姿は、初めてみたなら爽やかな好青年と受け取ったことだろう。


金糸が使われているロイヤルブルーの、フロックコートにも似た、独特の形のそれを、なんなく着こなしている彼は、普段の何倍も高貴で恰好よく見えた。


少しだけその姿に、見とれてしまった自分をごまかすように、私は早口で彼に答える。


「ああ…染色に使う、あの花ですよね?口紅とかの…」


その声がだんだん小さくなったのには、訳がある。


私を見つめていたユージィーンの、オーク色の瞳が輝いて。

それがゆっくり、三日月型に変わるのを見たから。


「…初めて、君の世界と繋がった」


思わず漏れた、といった感じの呟きと。

間違いなく、初めてみる彼の「笑顔」。


この人、普通に笑えたんだ。


その当たり前のようで、今更気づいた事実が。

何故か私を、とても落ち着かない心地にさせていた。



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