落し物は、灯篭の夜に祈る
いつもながら間隔のあくお話でスミマセン。
ちょっとずつですがお話は進んでおりますので、完結まで気長にお付き合いいただけたら嬉しいです。
血の気が引く音が聞こえた気がした。
自分の腕が意識しないうちに動いているのを、こんな時でもどこか冷静な自分の一部が見つめている。
その手が、たった今「ユキを見失った」と青ざめた顔で告げた、銀髪の男を釣り上げるのを。
「……っ済まなかった…」
締め上げられている喉から、ひねり出したようにそれだけを言って、後は何の言い訳もしない。
この男が、ユキに「遠耳の術」を使わなかったのも、そもそも護衛対象でありながら距離をおいていたのも。
全ては、彼女が「ユージィーンの客人扱い」だからに他ならない。
結局は、自分の狭い器量が招いた不幸だとわかっていても。
そもそも、そんな相手から目を離した自分が悪かったのだとわかっていても。
祭りと聞いて楽しそうにしていた、そんな彼女を誰よりも喜ばせたくて。
隠れてコソコソとやろうとしたこと自体が間違いだったのだとしても。
「…ユージィーン殿、ひとまず落ち着いてください」
「…がはっ…」
カイルにそう止められなければ、自分はきっとこの男を絞め殺していたと思う。
そう肩を叩かれてようやく下ろせたリヒトが、空気を取り戻して何度かせき込むのを見下ろして。
裏社会を生きてきて、日の光を知らなかったその白い肌にくっきりと刻まれた指の痣に、ユージィーンは我ながらぞっとした。
まるで箍が外れてしまったみたいに、感情の全てがコントロールできない。
そんな自分が恐ろしい。
どんな時でも、自分自身をコントロールできたはずなのに、もはや彼女がいないだけで制御不能なんて、この先起こりうる未来を考えたら、廃人一直線じゃないかと、そんなときじゃないのに笑えてしまう程に。
「…ユキ殿は違う世界からこの世界に無事に贈られた、無二の幸運の贈物であらせられる方です。よほどのことがなければご無事でいらっしゃるはずです。…まずはお二人とも、気を落ち着けてください。我々が考えなくては、誰があの方を探し出せるというのですか?」
希望論でしかないけれど、強い青い瞳でそう訴えるカイルは、心の底からそう信じていることだけは確かで、その強さにようやくユージィーンの中で血が巡りだす。
思考停止している場合じゃない。
今は一刻を争う時だ。
母国では目立つ黒髪も黒目も、この国では腐るほどに見かける組み合わせだ。
そして、誰もが振り返る美貌の主とは言えない彼女を探すのは、砂粒の中の金を探すほどに難しい。
それでも、やらなくてはならない。
「…いや、こっちが見つけられなくても、ユキに見つけてもらえればいいのか」
寧ろ、この国では目立つ容姿の、リヒトやカイル、その姿が目に入ればユキの方から帰ってこれるはずで。
ユージィーンのつぶやきに意図を察したカイルとリヒトが、市街の地図を広げて思案する。
「…迷子になって闇雲に歩いているとして…行きつく先はこの辺り…か?」
「ユキ殿の体力ではそう遠くまでは歩けないでしょう。問題は日暮れが近いことと…」
「…今が祭りの真っ最中ってことだよね」
日が暮れれば当然、不明の輩が増えるのはどこの国も一緒だ。
特に身分階級が厳しいこの国では人買いは珍しい話ではない。
そして、普段なら鄙びた田舎のこの地域でも、年に一度の祭りの期間中にはいろんな人間であふれている。
すなわち、いろんな輩が身を隠すには好都合の時期なのだ。
「ユキ殿が幸運にも、自らこの宿屋を見つけることができた場合に備えて、ユージィーン殿はここで待機していただくのがいいかと」
「………そうだね」
返答までたっぷりと間が開いてしまったのは、まだ落ち着いてない証拠だ。
本国でも珍しい二人の容姿に比べて、ユージィーンの容姿もまた、ユキほどでないモノの埋もれる。
特に日暮れがさしせまったこの時刻では、黒か茶色か、見分けられなくなるのももうすぐだ。
3人の中で待機になるなら、それは自分というのは正しい判断なのに、迷った。
異国の中で迷子。
その心細さに、きっと寂しがっている。
もしかしたら、泣いているかもしれないユキを思えば、居ても立っても居られない。
そんな自分を抑えるのに必要な一呼吸を待って、できた親衛隊隊長は微笑んだ。
「大丈夫ですよ、ユキ様はきっと我々を信じて頑張ってくれています」
あの方はそう言う方だから、と言って、素早く宿を出ていくカイルの後に、銀色の輝きが続く。
「…帰ってきたら百叩きの刑、っていっといてくれよな。俺も一緒に受けてやるけど」
そんな風ににやりと笑っていずこかに消えていく姿を見て、自分も口元を釣り上げながらユージィーンは目を閉じた。
こんなことをしても無駄かもしれないけれど。
それでも、何かをやっていたかったから。
無事でいて。
帰ってきて。
他の誰のところでもない、俺のところに帰ってきて。
ただ、胸の中にそう呟いて、ユージィーンはため息をついた。
いつかは、この手を離れることがわかっていても。
まだ、今だけは。
そう願っていたい自分を、笑いたいような、いつくしみたいような、そんな気持ちを抱えながら。
初めての場所に入るなら、「お邪魔します」だろうか。
それとも、此処が宿屋だと知っている立場としては、「ごめんください」だろうか。
さらに、そこに自分の知り合いがいると知っていれば、「ただいま」と言ってもいいのだろうか。
そんなどうでもいい悩みを抱えてたどり着いた宿屋の扉を開けたことを忘れてしまう位に、「あ、ちゃんといた」と思うよりも先に、その腕の中に飛び込んでいた。
「…ごめん…ごめんなさい…!」
まず真っ先に謝るべきだ、と思う位に、見たことない目をしていたユージィーンに言える言葉なんて、それしかなくて。
「…こっちこそ、ごめんね…ユキを一人にしちゃって」
同じ強さで抱きしめ返してくれる、その腕が震えていたことに気づいて、一気に涙腺が緩んでしまった。
心配させて申し訳ないと思うのと同じくらいに、嬉しくて。
ユージィーンみたいな人を、顔面蒼白になる位に心配させておいて、それでも。
それだけ心配してくれたことに、飛び上がりたい位に嬉しい思いをする自分が心苦しくて。
ひたすらに、首を横に振るしかない私を、ユージィーンが抱き上げるから、その首根っこにかじりつくしかなくて、そんな私にユージィーンが笑った。
「…そんなに寂しかったの、ユキ?」
「こわっ…怖かった…!もう、探してくれないんじゃないかって…ずっと、一人なのかもって…!」
面倒くさい、異世界の落とし物。
そんな風に思われて、捨てられてもおかしくないって、ちらっとでも思ってしまえば、それは切り離せない不安になって、自分を苛むから。
「…そんな訳ないでしょ、馬鹿だなぁ…ユキは」
幼子みたいに抱き上げられて、背中を優しくさすり上げながら聞いているからなのかもしれない。
まるで、睦言を囁くみたいに甘く囁かれて、鼻先にキスされて、びっくりして涙が引っ込んだ。
額を擦り合わせるほどの近くで、綺麗な飴色に輝く目を見返す私に。
「…おかえり、ユキ」
そう言って笑ってくれるユージィーンに、もう一度抱き着いて、ようやく言えた。
「…ただいま、ユージィーン」
今はまだ、そう言ってもいい。
そう思える幸せに、満面の笑みでそう返しながら。
それはいつまでなのかを、忘れていようとする自分は見なかったふりをして。
それからどういう連絡手段なのか、私が見つかったと知って戻ってきたカイルさんとリヒトにはこっぴどく叱られた。
「もう、二度とよそ見はしません、ぼんやりしません」
そう何度も誓わされて尚、全く信じてくれてない証拠に、犬のごとくリードに繋がれそうになり、それだけはやめてと必死に訴えた結果、右手はユージィーン、左手はリヒトに拘束されて祭り見物に行くことになってしまった。
2人とも見上げるばかりの身長なだけに、なんというか…ものすごく連れ去られる宇宙人スタイルなのはもう、仕方ないけども…それでもリードを諦めきれないカイルさんが、紐的な何かをいつでもつなげるように捧げ持ってるから私も必死。
いざとなったらカイルさんが一番、手段を選んでくれないっぽいという、ある意味あのヒルダさんの幼馴染としての一面をまざまざと実感させられている訳ですが…それはどうでもよくて。
「ほら、ユキ。これも美味しいよ?」
「ほれ、こっちもなかなかイケるぜ?この香辛料がちょっと癖あるけどな」
両手がふさがってるからって、二人していろんな屋台グルメを「あーん」で食べさせようとするのは止めてほしい!!
絶対ソレ、面白がってるだけでしょ?!って突っ込みたい位に、二人とも半笑いって酷いから!!
「んむっ…!!」
でも、どっちも美味しそうな匂いにつられて口を空けちゃう私が悪いのはわかってるんだけどね!
振り返るカイルさんのぬるい笑顔を感じながらもぐもぐと噛みしめれば、ユージィーンの串焼きの肉は驚く位に焼き肉のた〇味で、リヒトの塊肉は山賊焼きの味がしてどっちも美味しい。
見た目も似ている東国の人たちとは、食の好みもどうやら共通らしいと思い、屋台に目を向ければ懐かしい中華まんそっくりの見た目をしたフカフカの蒸し物を売っている店で、そんな目線に気づいたカイルさんが苦笑しながら買ってくれたそれを、今度はカイルさんの手ずから食べさせてもらう。
…うん、なんかちょっとした間違い探しレベルで違うけれど、これはこれでオイシイ肉まん…!!
…っていうか、どれもこれも肉しか食べてないじゃん!!
女子としてそれいいのか、尚且つ甘いものまで贖ってくれと強請るべきか悩んでしまう私だったけど。
「やっぱりここまで来たら麺料理は外せないよねー。ここじゃないと食べられないし」
「あ、あれ美味しそうですね…買ってみてもいいですか?」
「あっちで酒売ってたから、買ってきたー!!乾杯しようぜ!!」
あっという間に残りの串を平らげて、更にはなにか追加であれこれ買い食いをしている男たちのはしゃぎっぷりに比べたら、本当に盗るに足らない悩みだったらしい。
っていうか皆、私の事忘れてない?
また迷子になっても知らないからね?!
そんな風に拗ねてしまいそうになる私に、絶妙なタイミングで気づいたユージィーンが振り返って、離れていた手がまた繋がれる。
今度は指が絡み合う恋人つなぎで。
「ほら、ユキにはジュース」
皆とお揃いの杯になみなみと注がれたそれを思わず恨めし気に見おろせば、ユージィーンがいつものチェシャ猫の微笑みで囁いてくる。
「…お酒は俺と二人の時だけ、ね?」
だって、あんなユキは俺以外に見せたくないから。
そんな言葉を囁いて、楽しそうに笑うユージィーンが眩しくて、ひったくるみたいに受け取ったコップで乾杯をして、腹いせみたいに一気してむせた私に、吹き出したリヒトと、控えめに…でも、確かに笑いをかみ殺しているカイルさんに、私自身もこらえきれずに吹き出しながら。
幸せな祭りの夜は暮れていったのだった。
「コレを取りに行って、ユキと一緒にはいられなかったんだよ」
ユージィーンにどこか申し訳なさそうに差し出された灯篭舟は、灯篭部分が紙で出来ていて、そこに願い事を書いて、川に流すものらしいけど、毎年人気で数が限られているから争奪戦になるんだって。
「…あのコンビがお取り置きでもしてくれればよかったんだけどさ…そういうことに権力を使うのは歪むから駄目の一点張りで…ほんと、ケチだよね」
ユキのキックまた食らいたい?って脅したら一発だったかなと付け加えるユージィーンに、本当にそれを言わなくて良かったと思いながら、私は差し出された舟を受け取っていいのか悩む。
4人で一つ、でも書ける面は二つしかない。
そんな遠慮を見越したみたいに、カイルさんが笑って手を振る。
「こういうのは身分順で高位の方からというのが一番、揉めませんから」
それならユージィーンが先でもいいような気もするけれど、ユージィーンをうかがうようにみあげれば、先にどうぞというように筆を渡された。
…そうか…筆…久しぶり過ぎて、大丈夫か、不安すぎるけど。
それでも、よく考えたら私の字はこの世界では私にしか読めないんだということに気づいてからは、一気に気楽になった。
どんなことを書いても、それは私だけにしか読めない。
それは切ないことでもあるけれど、この場合は救いでもあった。
だって、私のただ一つの願いは、誰にも知られたくない類のものだから。
「…どうかした?」
少なくとも、こんな風にどこか面白そうにこっちを見下ろしてくるユージィーンにだけは。
「…何でもない!」
そんな自分にしかわからないはずの、その願い事の恥ずかしさに震える手を堪えて書き上げた私の願い事は、多分筆なんて普段使い慣れていない癖に妙にうまいユージィーンのお願い事に比べたら、いろんなところに墨が飛び散った酷いモノだったけど。
「…叶うと良いですね」
「叶うと良いな」
そんな風にきっと勘違いして、祝ってくれる二人と。
「…タダのおまじないだから」
そんな風に茶化しながら、それでも火を入れた灯篭を、誰よりも真剣な顔で見送ったユージィーンの横顔を見つけて、私は祈った。
神様、もう少しだけ。
皆と、そしてユージィーンと一緒に。
この世界の、落とし物でいさせてくださいと。
いまはまだ、はるか遠くにあるはずの。
でも、確かに近づいている旅の終着点である皇帝のいる都へと流れていく灯篭たちの、幻想的な光に祈らずにはいられなかったから。