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名前の意味

ご愛読ありがとうございます。

家族が相次いでノロウイルス?にやられ、屍累々という地獄からようやく浮上しました…。


その反動か、私にしては甘いです。

そして未だに着きませんでした…!

「…で、ごはんの話は無しなの?」


ユージィーンが吹き出す一歩手前の声でそう返してくるのに、私は必死にその口元を押さえながら、こくこくと頷いて声をひそめた。


「…なんで?別に言いふらしたりしないと思うよ?」


心底不思議そうに小首をかしげられて、軽くカルチャーショックを受ける。

さっきも受けたんだけどね!

なんか寝ずの番がついてますよ、しかも知り合いなんですけどっていったら「ああ、そう」ってあっさり返された時にね!!


「…そういう問題じゃないってば…!」

「じゃあ、何が問題なの?」


今だって心底、不思議そうにこっちを見下ろしてることにカルチャーショックは、続行中なんだけどね!

家に家庭教師がついてたとか、当然のようにお手伝いさんがいっぱいとか、お屋敷があっちこっちにあるとか、全部が庭付き、噴水付きとか、家族には食事の時くらいしか会わないとか、下手したら週一くらいしか見ないとか、ブルジョアエピソードには事欠かなかったけど、史上最大規模だよ、これが!


「…は、恥ずかしいじゃない!」

「…え?」


どこが?って本気で首をひねってるユージィーンは、分からないらしい。


「ごく一般的な日本人女性からしたら、この状態を知られるだけで恥ずかしいんだってば!!」


普通に考えたら知り合いに、恋人でもない異性に、抱きまくらよろしく抱え込まれている姿を見られるだけで、恥ずかしいに決まってるから!!

私のその言葉に、今度こそユージィーンは堪えきれずに吹き出した。


「なーんにも、疚しいことしてないのに?」

「し、し…」


してるよ!と叫びたいところだけど、処女丸出し発言が尾を引いていた私は、そのまま口を閉ざすことを選ぶ。

だって、緩くだきしめられる腕の逞しさとか、どうしたって薄い夜着越しに伝わってくる熱とか、もっと言っちゃえばけっこうガッツリ見える胸元とかに、クラクラしちゃう色気を感じてるのは私だけで、つまり海千山千のユージィーンからしたら、「全く疚しいことしてない」範疇なのに、なんだかソワソワしたり、ゾクゾクしちゃうのは私だけとか、認めちゃってどうするのっていうお話だもん!

流石に洗濯板お子様認定抱き枕の私だって、そこまでプライドは捨てられない。


だから、代わりにいつまでも笑いの発作に襲われてるユージィーンの胸元に頭突きしてやったら、さり気なくなんだか柔らかいものを、多分唇的な何かをつむじに当てられた後、びっくりして見上げた私を、見慣れたオーク色の目が見下ろしていた。


「…じゃあ、疚しいことする?」


だからそういうとこだよ!

気軽に私の心臓を停止させるのヤメて!!





今度こそ顎にヒットさせた頭突きに、流石に数分言葉をなくしたあと、それでもめげずに私を抱え込みながら、ユージィーンはため息をついた。


「…ユキのその手の早さは、本当になんとかならないの?」

「…ご、ごめん…」


動揺が著しくて、加減を忘れた自覚はある私は、自分もズキズキと痛むおでこを押さえながら、謝る。


「……だって、ユージィーンが…」


急に男になるんだもん、と言いかけてハッとして口を閉ざした私に、くすりと笑ったユージィーンが止まった言葉を追い出すみたいに、背中をポンポンしながら。


「…俺が?」

「…時々、もの凄くエロいんだもん」


思わず言ってしまってから、私は金縛りに合ってしまったのだった。






好きすぎて、手が出せないこともある。

そんな事を昔々友人に聞いて、アホかと思っていたせいかもしれない。

上司の恋人なんて、自ら好んで茨の道を行く奴は、流石に自分とは相容れない感性の持ち主なんだと心底おもってたはずなのに、今この瞬間に赤面するユキに手を出さない自分は、それ以上のアホが確定したようなものだと思う。

何とも思ってないとみせかけて、実はそれなりに意識していたことを今、うっかり白状してしまったユキに。


夜がさみしくて、眠りが浅くて困ってるから抱き枕になって、なんて。


そんな理屈にもなってないお願いを、優しくて、お人好しの彼女は疑いもせず叶えてくれた。

どんなに昼間は他の男と楽しそうでも、夜は自分の腕に帰ってくる。

そして、二人きりのこの部屋で一日の出来事や、他愛もない話をして眠る…一番無防備な姿を見せてくれることに安心する。

そんな新境地も、ユキが相手だからそうだと知っているだけ。

真面目で誠実な彼女なら、たとえ抱き枕役だとしても、他の男に心があるならきっと、断るはずだから。


そうなったときに、自分がどうなるかは想像したくもないけど。

少なくとも、ジークのように二人を見守って、支えてやろうなんて絶対思わないことは確かだ。


「う、嘘っ、嘘だから!全然エロくない!エロくないから!!」


激しく動揺するあまりに、必死に縋り付いてくる、自分のその格好の方がなんだか良からぬ想像をかきたてられてエロいって気づかない辺りが、ユキで。


「…じゃあこれから、ユキにエロいって言っていってもらえるように頑張ろうかな」


笑ってわざと緩めてある胸元の飾り紐をいじりながら、わざと甘くそう囁けば、とたんに。


「えっ?!い、いらない!けっこうです、もう足りてるっていうか、余ってる!…あ、え、違う、いやちがわない…?!」


混乱して、目を潤ませて見上げてくる姿が、下半身よりも胸に刺さるってことを自分以外の誰にも教えてほしくない時点で、答えは見えたも同然だから。


「わかってるよ!男の欲求不満って辛いって言うもんね?!誰彼構わずになっちゃうっていう、アレだもんね?!」


そんなわかった風なことを、ユキに言われて。

閉じ込めた腕の中で、逃さないように力を込めてしまいたいのを堪えて、頭をいいこいいこして誤魔化す。


「…あのね…いくら俺でも、誰彼構わずなんてやらない」


今はユキだけにしか向かない欲求は、慢性的に不満だけど。


「それに充分満ち足りてるから、大丈夫」


びっくりしてまんまるの目で見上げるユキが、今、ここに、こうしていてくれるだけで、胸に満ちるものがある。


「…ユージィーン…まさか…枯れちゃった…?」


恐る恐るそんな的はずれな事を聞いてきて、俺を楽しませてくれるユキが、ここにいる。

この満ち足りた空間を守るためなら、身体的苦痛なんか目じゃない。

「枯れてない」ことを証明したくても、それが出来ないもどかしさはあるけど。


「…あ、あれかな…ペットを買い始めると色々満足で、恋人が要らなくなるっていう…?」


何故か謎の着地を決めて、なるほど納得と顔に書いてあるユキが面白すぎて、忘れさせられてしまう。

ユキは自分に向けられる好意に鈍感だ。

多分、彼女はいろんな人に愛され過ぎて、それが当たり前のタイプなんだと思う。

だから異性の特別な眼差しも、接触も、他のたくさんの好きと紛れてしまう。

ここだけは、どうやら距離感がちかすぎたらしい幼馴染の男とやらに感謝してやらないこともない。

でも、時々憎らしくも思える。


ねぇ?俺が誰でもこんな風に接してると、ユキは本気でそう思ってるの?

わざと逃げられるくらいに開けた隙間を、眠りについた途端にすりっと擦り寄ってくる、そんな可愛いことをされて、毎晩毎晩指一本…は嘘、ちょっとは触ってる、でも大部分は無事に返してあげるなんて、そんな荒行に耐えまくっても、くだらないと右から左に突き抜けてた、そんな女の話ってやつに興味津々に聞いてしまうのだって、全部全部ユキだけの、特別仕様なのに。


気づいてほしいのに、気づいてほしくない。

気づかれたらきっと、止めるものは何もなくなってしまう。

ユキの気持ちなんか無視して、この世界に、自分に、縛り付けてしまう。

それこそ、自分の父親の様に。

それがわかってるのに、なんでか試したくなる。


「…じゃあ、ちょっと色気のある話でもしてみる?」





そりゃあ、もう身構えました。

だって、あのチェシャ猫の目で、あの台詞。

どんなすごい話題…もの凄くシモとか、軽くジャブ的に好みのタイプとか、何を聞かれるのか身構えましたとも。

そしたら。


「ユキって名前、どんな意味があるの?」


…って、超普通に、至っていつもの、って話題だったから思わず、ガクッとなったことは意地でも内緒。


「どんな意味っていうか…そのまま雪のことだよ」


私が生まれた日が、東京の観測史上最も早い初雪だったから。

本当にそれだけの素直で、単純で、小学校の宿題で親に由来を聞いて、随分がっかりしたのを思い出して微妙な感覚になっている私の耳に。


「…ユキ、って?」


怪訝そうに見下ろしてくるユージィーンに、何度めかのカルチャーショック。


「そっか…ここには雪ないんだ…」


船の上っていう隔離された空間だからじゃなくて、知り合いが増えていくたびに。

より正確に言うなら、ユージィーンと近づくたびに。

いつの間にか薄れていた「違う世界」感が舞い戻ってきて、私はしばらく言葉を失った。

名前の元がない、分からないってことにこんなにも、寄る辺ない気持ちになるなんて、思いもよらなかったけど。


「…ユキって、どんなの?」


私の固くなった体に気づいたのか、ユージィーンの腕でぎゅっと抱き締められてから、離される。

いる。確かにいるよ、って教えられるみたいなそれに、救われる自分がいる。


「雪は白くて…空から降ってきて」

「雨みたいに?」

「そう、雲の中で雨が凍って雪になるの」

「じゃあ、痛いの?」

「え?!痛くないよ!痛いのは雹っていう別物で!雪は…なんていうか、ほわほわしてて…」

「ほわほわ…あったかいの?」

「いや、冷たいんだけど…」


…うん、めちゃくちゃ解せぬ!って顔されてるー。

当たり前だけど、しらない単語を教えるのってめちゃくちゃ大変なんだなぁ。

辞書作る人とか、ほんと神の領域なんだって今ここでまさに「雪」を引きたいけどできるわけ無いから、必死で私は少ないボキャブラリーを駆使することにする。


「降ってる間は白くてほわほわしてるんだけど、手で触るとすぐ溶けて水になるの。だから痛くない」

「…ああ、なるほど」

「でも、地面には積もるんだよ。凄いとこには私の身長よりも高く積もるの!」

「…ユキ、埋まっちゃうんだ」

「でも、こんなこといったら雪国の人には怒られるけど、たくさん屋根とかに積もるとね、なんかお布団っぽいっていうか…すごく暖かそうにみえるのが不思議なんだよ!あ、あと不思議といえば雪って…」


くすりと笑いながら聞いてくれるのが嬉しくて、私は思わず笑顔でユージィーンを見上げてから後悔した。


「…ユキって?」


さっきのエロい雰囲気よりも、ずっとずっと苦手な、あの目のユージィーンがいたから。

なんだかユージィーンの特別で、大事で、かけがえのないものになったみたいな、宝物を見る目の彼が。


「け、顕微鏡…じゃなかった…お、大きくしてみるとね、結晶…ええと、カタチ?がね一個一個違うんだよ」


降ってくる雪は一個一個が特別。

一つとして同じものは無いから。

誰かの唯一無二になれるような、そんな娘になってほしいって、実はそう思って名づけたんだよというのは、恥ずかしがりやで口下手な父親が、結婚式場に勤めることになった私におもむろに語ってくれた名付けの理由。

仕事場がそうだからって、そうそうお嫁にやるつもりはない、とも釘をさされたんだけども、お父さんは何を心配してたんだろう…?出会いとか、普通に考えたら売約済しかいない職場ですけど!


まるで、それが叶ったみたいに勘違いしかける眼差しで、ユージィーンが何故か、嬉しそうに微笑んだ。


「…それは凄く、ユキっぽい」


胸が絞られる音が聞こえないか心配になるくらい。

狙ってやってるなら怖すぎるけど、本当にそうじゃないのかなって思えるほど。


自分の名前が、こんなにも大事で、愛おしいってことを、教えてくれた人に、返したくて。


「…ユージィーンは?」


私のその質問に、虚をつかれたようにユージィーンが目を瞬いた。





冷たいのに暖かいなんて相反する感覚をもたらして、積もるくらいにたくさんあって、尚且つ一つ一つが特別なんて。

あまりにもユキらしい名前の由来に、込み上げる感情をセーブするのが難しくて、だらしくなくなってしまいそうな顔を引き締めるのに忙しかったら、思いがけないカウンターをもらってしまった。

ユキは礼儀として聞き返しただけだろう、そんな言葉に特別な何か、なんてありえないけど。


「…ユージィーンはね、良き血筋の子供って意味だよ」


ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、予防線を張る自分がいる。


「…名前までブルジョアって…!」


そう呟くユキは、知らないから。


この世界では、名前の由来は、本当の名付けの理由なんてものは、ごく一部の限られた人にしか知らせない。

それはその人そのものを表すもので、その人にしかないもの。

だから、それを示すってことは下手をしたら求婚、そのものを指すんだっていうそんなことを。


「…ブルジョア?」

「…な、なんでもないよ?!わ、悪口とかじゃない、です!」


だから、関係無い所で引っかかったふりをして誤魔化す。

異世界からきた落し物のユキにしかできない、そんな悪戯。


「じゃあ、教えてくれるよね?」


いつか、本当の名前の由来を教える日が来たら。

それはきっと、こんな可愛いユキじゃないはずだ。

故郷を諦めざるを得なかったか、暴走したユージィーンの欲望に負けた時の、そんな結果でしかないはずの、ユキ。


だから、この心はまだ深くしまっておく。

完全に眠りにつくことはなくても、眠った振りをすることはできるから。


「…ユキ?」


けして合わせようとしない、泳ぎ続ける黒曜石の瞳をこっちに向けるために。

特別な名前を、だれよりも愛おしい名前を呼び続けるために。

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