海賊の娘は陸を思う
ご愛読ありがとうございます。
予告した東国には上陸できませんで、いまだ船の上の二人ですが、今年もこんな感じでゆっくりのんびり更新ですが、何とか今年中にエンドマークが入れられるように頑張ろうと思っておりますので、最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。
思わぬところで無駄足を踏む、っていうのはよくあることだけど、それって大体思い込みってやつのせいなんだよなぁ、としみじみ思いながら、洗っても洗ってもわいてくるような洗濯物を干している私。
そう、念願のお仕事をゲットしたのです!
もうほんとに退屈で退屈で死ぬかと思ったので、これでもかとばかりに仕事が沸いてくる最近の状況は願ったりかなったりなのですが、そんな感じで独楽鼠のごとくちょろちょろする私はとても目立つらしく。
「お嬢ちゃん、ちいせえのに感心だなぁ!」
「全くだ、うちのちび位だってえのに…ほら、これやるよ」
…てな感じで方々で貢物が絶えないところが悩みです。
うん、みんな海の男で気前がよくて、いい意味で男性ホルモン過多だから、なにかを猛烈に可愛がりたい欲がすごいのはわかるんだけどさ…さすがに高い高いで洗濯物干しは成人女性としてはただの辱めだと思うんだよね!つくづく仕事を選ぶって大事だと思う…。
「…すげえなユキ…このままいったら貢物で生活できるんじゃねえの!!」
ひーひー言いながら笑い転げているリヒトの隣で、いつものどおり折り目正しいびしっとしたカイルさんが、また増えたお菓子包みを腰の小物入れに入れながら、高い高いからおろしてくれる。
うん、カイルさんがやってくれてたの。だから怒れないの。
だって、この人が純粋に良かれと思ってやってくれてるのがわかるから。
すべては私が悪いんだ…だって、頼まれたときにこの結果は想像できたはずなんだよね。
この世界でいまだかつてただの一人も、私よりも背の低いひとに行き会っていないっていう事実があれば、物干しが高すぎてどんなに背伸びしても届かない、って事態は予測可能だったはずだから。
いや、でもそこまでは百歩譲って納得するとしても、会う人会う人にいや身長はともかく年齢的には立派に成人してますって言っても、なんだかわからない同情的な目をされて。
「…お嬢ちゃんも苦労してんだな…」
「世の中にはいろんな国があるからな。まあ帝国もいろいろある国だが、治安はそう悪くないし、金持ちも多いから、お嬢ちゃん位働きモノだったらすぐにいい雇先が見つかると思うぜ!頑張れよ!!」
…って、また貢物が増える始末。正直いって納得いかない。
「…なんで、みんな私が成人してるってことをこんなに信じてくれないのか意味が解らない…!!」
確かにカイルさんに高い高い状態で、成人女性を主張しても説得力はないと思うけど!
しょうがないじゃん、だって洗濯物がまだまだあるんだもん!
そんな私をにやにやと眺めながら、リヒトが寝転がっていた甲板からひょいっと起き上がる。
っていうか、かじ取りはいいんだろうかこの人…。
任せろ的なことを言ってたのは2、3日で速攻で飽きたんだか私の後ばっかり付きまとってた気がする…。
いや、私がお願いした手前言えなかったけど、それ以外の時間もうろちょろしてたのは私が云々じゃなかったと思う。
そういえば、ユージィーンに仕事したいって言ったときに「仕事したかったの?」ってびっくり眼で見られて私もびっくりしたものだけど、この世界じゃ仕事する=奇特って図式なのかな?
…でも、カイルさんは嫌な顔しないで手伝ってくれるんだけどな…騎士の人は基本、自分の面倒は自分で見られないといけないらしいからそれこそ、身の回りのことはすべてできるように躾けられてるからできるんですって穏やかに言われたから、気にしないで手伝ってもらってるけど、よく考えたらカイルさんだっていいとこの息子さんなんだろうなぁ…だって、あのヒルダさんの幼馴染なんだもんね。
そこでいったら、リヒトは身分で言ったらえらいはずなんだけど、どうも育ちが悪そうなのはあの幼馴染目線で見てしまうせいだけじゃないと思うんだよね…っていうか、職業のせいかわからないけれど、妙にユージィーンと似ている「働きたくないオーラ」を感じるから、この世界の標準じゃなくて、リヒト自体がただのさぼり魔だという可能性は否定できない。
「そりゃあ、なぁ…あんだけ浮名を流した人の寝台から毎朝、無事に起きてくるのを見てたら…到底信じられ訳ないよなぁ?」
そんなダメ人間の発言に、私を抱えあげるカイルさんの手がぴくりと反応した瞬間、私は猛烈に叫び声をあげて。じたばたした。
「意義あり!!断固抗議っていうか…なんじゃそれぇぇぇ!!?」
「そのくせ、毎晩おんなじ布団で寝る位にはご執心、ってとこなんだから、きっと今は育成中ってとこで落ち着くのも仕方ないんじゃね?」
もういい加減遊び飽きて、そういう趣向になってもいいお年頃だしねとあくびをかみ殺していう、見るからに楽しいこと大好き面倒ごと大嫌いなちゃらんぽらんなリヒトはともかく、カイルさんまで頷きはしないものの納得した雰囲気なのが心底、意味が解らない。
何だそういう趣向って!育てて楽しむとか私はたまごっ〇か!!
「そ、それに!大体、なんでいつも無事、とかっ…そ、そもそも毎晩一緒とかわかるのよ?!」
より大事な方に突っ込んでみる私に、リヒトが鬼の首でも取ったかのように鼻を鳴らす。
「んなもん、無事じゃなかったら普通に気づくだろ?お前、そういうとこが処女丸出し」
「え?!」
こんなところで性体験の有無とかわかるとか、何なの?!
この世界の人ってそういうことを済ませると体のどこかに印が現れたりするの、もしかして?!
…というおどろきが前面に出ていたのか、カイルさんが苦笑してそれを否定した。
「…ユージィーン様のような貴人のところには大体、寝ずの番が付くものなんですよ」
という、私的には衝撃の事実を告げてくれたのだった。
といっても、物音が聞こえる位の範疇で見えないようにつくのが普通らしい、っていう補足情報がなんら心の助けになってない私です。
聞こえる位の範疇にいるんだったら、昨日の会話だってばっちりと聞かれてたってことなんだから、浮上のしようがないってとこです、ホント。
「…んなこと言って、たいしたこと話してないじゃん。あんたら」
「え」
リヒトの言葉に固まる私、だってこの言葉からすると寝ずの番って…。
「昨日だって、め…」
「ぎゃーーーー!!!」
完全にこの男だったんじゃんっていう、最悪の選択肢に叫んで殴る以外の何ができるっていうの、ホントに…!
あの月夜に部屋に持ち替えられた時から、私は知らぬ間にユージィーンの抱き枕に認定されたらしい。
最初の頃こそ形ばかりの抵抗はしても、結局昼間はすれ違う生活の中でほんのちょっとでも触れ合える機会があれば、乗ってしまう自分の弱さも手伝って断り切れないままずるずると毎晩ユージィーンに抱きしめられて眠るのが日課になってしまった。
陸に上がる予定の日までの日数が少なくなっていくにつれて、なんとなく寂しくなってしまうほどには、私だってこの抱き枕生活に執心しているから余計に。
「…あー…いてえ…っつーか、目玉焼きの好みの話くらいでなんでフルボッコにされなきゃいけないんだか…」
「う、う、うるさいリヒト!!」
っていうか、結局ばらされてるし!といまだに赤い頬をもう一回べちんと両方はたいてやる。
この世界のリヒトも、あの世界の利人に似て一言多いのだ、ホントに。
「…目玉焼きの好み…ですか」
カイルさんも笑うならきちんと笑ってください、すごく辛そうに震えられるとなんだかこっちが悪い気になるんで、もう…!
「もー、いいでしょ?!別に…!!」
ジェネレーションギャップどころか、世界からして違う二人の共通の話題ってとこが食しかなかっただけで、別に始終ご飯のことを考えてるひもじいやつと思われたくはない乙女心をわかって、っていうのはきっと無理なんだろうな…こっちのリヒトにも。
でも、その裏にある好きな人のことならどんなに小さいことも知っておきたいっていう、真の意味での乙女心には、死んでも気づいてほしくない訳だけど!
「少なくとも全く色気のねえ関係ってことは証明されてるだろ、よかったなぁ~愛人疑惑は否定できて」
…ふーんだ、と舌を突き出して、私はため息をかみ殺す。
お呼びじゃない、なんてことは私が一番しってるんだからね、というつぶやきとともに。
「…欲求不満、ってこんな感じなんだね。一回もなったことないもんだから知らなかったけど、こんなにしんどいとは思わなかったなぁ」
言葉のわりにのんびりと、かつ優雅に紅茶を口に運ぶユージィーンに、入国関係の書類をさばきながら茉莉はいかにもあきれた、というようにため息をついて見せた。
「それなら毎晩、これ見よがしにあの娘を連れ込むのをおやめになったらよろしいのではなくて?」
囲い込む、と決めたらこうなるのはわかっていたけれど、ここまで露骨にされるとは思わなかっただけに、読み違えたことがちょっと悔しいのだ。もっと用意周到に、もっと水面下で、要領よく立ち回ってくると思ったのに。
「やだね」
「…どこの駄々っ子ですか、貴方は?」
楽しくて仕方ないという目は外を向いていて、それがほんのちょっと弧を描いているのは何やらじゃれあってる男女に向けられているから。先日は見つめただけでぴりっとした気配が、今はこうも緩いのは。
「余裕ですね」
「…うん?まぁ、そうかな」
体はともかく、心は満たされているからというのは本人から聞かなくても伝わってくる…というのが、非常にイラっとさせられる。
何幸せオーラだしてんだこの腹黒男め、という内心を押し隠して、上品に微笑まなくてはいけないこっちとしたら、いっそ彼女に全部ぶちまけてあげたいと思う位には黒い心が沸いてこないこともない。
こうやって、彼女がいつまでも子供扱いされて、ちっとも成人女性としてふさわしい扱いを受けないのは、ほかでもないこの目の前の男の策略で、そうやっていつまでもそういう対象外になっている方が、自分にとってはどこまでも好都合だから、いくらでももみ消せるそのたぐいの疑惑も、ひいては自分の部屋にこれ見よがしに連れ込んでは、朝元気にそこを飛び出していく姿を見せることもやめるわけがないのだということを。
勿論、その手の企みを嫌うような茉莉ではない。
自分だって愛する人を手に入れるために、策を弄した経験があれば今のユージィーンを否定できないことは知っている。
…それでも、そう。ただ単にムカつく。その一言に尽きるのだ。
いっそどこかで痛い目を見たらいいのに、と心底願ってしまうには、陸が近づくにつれて重たくなる体のせいでもある。
海で育ったせいだけじゃなくて、陸は彼女にとって生きづらいところだ。
果てがない海のように自由な人と違って、境目をはっきりさせたがる陸の人というものは、とかく彼女にとっては理解しがたいものだから。
事あるごとに、彼女を掌中に入れておこうとするそんな男はことさらに。
自分が不幸に陥れたと告白した口で、だから俺の嫁になれという意味の解らないことをいうそんな男の、一切感情の見えない、底の知れない目を思い出して立った鳥肌を服の上から撫でながら、茉莉は大きなため息をついた。
茉莉は元々、海賊の娘だ。
海で生まれ、海で育った彼女が陸に上がったのは、やくざな商売に見切りをつけた父親が、色狂いといわれた現皇帝に、通商権と引き換えに母親を差し出したことがきっかけだった。
容色に秀でているとはいえ、いや秀でていたからこそ、身分らしい身分を持たない母親の後宮での生活は、想像を超えるほどにつらく、息苦しいものだったということを知ったのは、彼女自身が皇帝に目をつけられて、他国への貢物に担ぎ出されたときのこと。
生まれていたことすらも知らなかった、すでに壮年という年齢に差し掛かっていた皇帝との間に、子供を設けるほどに母親が寵愛されていたことも知らなかった、そのうえで後宮での出来事をきっかけに「声」を失っていた異父妹の存在を出汁にして、差し出されたその国で、まさか自分が恋に落ちるとは思ってもみなかったけれど。
流転していく運命を恨む気持ちは毛頭ない。
その時その時で、自分が決めたことに従ってきた結果であることは自分が一番よく知っている。
でもその一番最初のきっかけ、どうやって遠く首都にいた皇帝が母の美貌をかぎつけたのか、という根本的な疑問に、「お前の母親は、俺が皇帝に推挙した」と面と向かって言ってのけたその相手について、なんにも思わないでいられる程、おめでたい性格でもないのだ。
わからないのは、その性格を知りながら、何故あの男がそんなことを明かしてくるのか、というその一点。
蛇のように用心深く、狡猾に、その喉笛を狙うのを最も得意とする男が、こうも明け透けに意図をもって近づいてくる、その真意がつかめないことがイライラする。
男に支配される人生なんて、願い下げだ。
それがどんな悲惨な末路かを知りながら、その道を粛々と歩めるほど自分は愚かではない。
それでも、その手をはねのけることが容易でないことを知っているから、どうしようもなく苛立つだけで、そんな風に言っておきながら、何故か全く音沙汰もないということが薄気味悪いだけ。
「……ホント、厄介な仕事だわ」
それでも昔のよしみで、ちょっとの感傷で、引き受けてしまった荷物さえおろしてしまえば、また彼女は海の上だ。
広大な青いこの世界にいれば、陸のいざこざははるか彼方に置き去りにできる。
気もそぞろなくせに手だけは止まらないから注意もできない、そんな無用な器用さを発揮している、この目の前の腑抜けた男と、あの素直でどことなく抜けたところが妙に誰かさんを思わせる、異界の落とし物についてきたもろもろを、陸で待っているはずのあの男に引き渡せばそれで、また海に帰ってこれる。
それなのに、なぜか広がるこの気持ちは何だろう。
妙に幸せそうなあの茶色の瞳をみてしまったからなんだろうか。
どう考えても幸せになれるなんて思えない、そんな組み合わせなのに。
異界の落とし物、なんてどこに転がるのかも分からない相手に、興味を抱くようなそんな男じゃなかったはずなのに、その面倒ささえも楽しむことに決めた、っていうそんな顔するこの男に。
幸せな恋、なんて見たくもないのに、知りたくもないのに。
「…くそくらえだわ」
「…何か言ったかな?」
存外、耳だけはその育ちに忠実なユージィーンに、心の中で舌を出して。
振り払っても追いかけてくるようなその残像を振り払って、茉莉は微笑んだ。
「…陸に上がるのが待ち遠しいな、と思いまして」
少なくともこの幸せボケ男と、素直で一生懸命な姿が妹を思わせて、庇護欲をがっつりそそられまくってしまうというやたら面倒な異界の落とし物という、二つの厄介な人物と縁が切れるという意味では、その言葉は偽りでないことに思い当たって。