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好きの温度差

ご愛読ありがとうございます。

たぶん、今年はこれで最後になりそうです。なかなか進まないお話で申し訳ありませんが、じりじりと完結に向かっておりますので、来年もお付き合いいただけたら嬉しいです。

抱き寄せられて初めて、自分の体が冷たかったんだってわかる気がした。

驚くよりも先にほっとして、思わず胸元にすり寄りそうになって慌ててその胸を押し返してしまったくらい、ユージィーンの腕の中が心地よくなっていたことに気づかされて焦る。


「…ちょっ…なんっ…何で、いきなり?!」

「…いきなりじゃなければいいんだ」


ちょっとのじたばたじゃ逃がしてくれないことがわかってて、そのほんのちょっとの形だけの抵抗を、そんな風に笑って叩き落されることに、安堵する。いつものユージィーンの、いつものからかい方に。

まだこうやって、じゃれていられる程にはめんどくさがられていないってことがうれしい。

仕方なくてあきらめたふりをして、こっそりとその胸に頭突きをする真似でおでこを寄せたら、さざ波みたいな笑いが私を揺らした。

旋毛になにか柔らかいものが触れた気もするけど、たぶん気のせいだ。

気のせいってことにしないとやばいから、気のせいだ。


「…いつもより大人しいね?どうしたの、ユキ?」


夜の海が怖かったの?とどこか子供に聞くように、ゆっくりと優しく頭を撫でられて、怒らなきゃって思うのにその手が気持ちよくて、頷いてしまった。


「…怖い…のかも」


一人は怖い。一人だけは怖い。

その癖に結局、どんなに思ってもかえってこない恋は沢山って思いながら、また同じ恋をする自分が怖い。

この腕をいつまで、形だけでも嫌がることができるのかわからなくなるのが怖い。

恋を選べるユージィーンに、重たいだけで何にもならないこんな相手が選ばれるなんてかけらも思えないくせに、そんな人が気まぐれに差し伸べてくれる手が嬉しくてたまらないのが怖い。

自分だけ特別みたいに優しく背中を撫でてくれる、そんなユージィーンが怖くてたまらない。


「…そんなに怖いのに、こんなところに来ちゃうユキって…やっぱり変わってるよね」

「…ユージィーンに言われたくない」


だってユージィーンのほうがずっとおかしい。

からかうような、馬鹿にするような言葉を吐きながら、こんな顔をするユージィーンのが断然、おかしいに決まってる。

普通の顔のくせにやたらにモテる、って首をかしげてたリヒトはわかってないだけだ。

こんな風に甘く優しい目をして、どんな女の子だって自分だけが特別だって思わせられる人が、もてはやされないわけがない。

いつかは誰かのお姫様願望は、きっとこの世界だって共通のはずだから。


「そういうユージィーンは、なんでこんなところに来たのよ?」


普通にふるまおうとするなら怒ってるのが一番だから、ちょっとやりすぎたかもって思う位けんか腰の言葉に、ユージィーンはほんの少しだけ間をあけて口元を引き締めた。

だから、だと思う。


「…月が綺麗だから」


一瞬、それが別の言葉に聞こえた。




「…え…?」


この世界に夏目漱石がいるはずもなくて、だからその言葉はその通りの意味で、きっと事実そのものを言っただけってことに気づく前に、そう呟いて固まってしまったら。


「…ユキ…?」


もちろんなんでも御見通しのこの目をごまかすなんてできるわけもなくて。


「…君、俺のことをなんだと思ってるのかな?普通に月が綺麗で感動するくらいの情緒は備わっているんだけども」


あからさまに不愉快って珍しくストレートに伝わる声に、さらに動転して私は余計な一言を発してしまう。


「ち、違う!そういうことじゃなくて…!」


寄りにもよって藪蛇な一言に、きちんとユージィーンは引っかかって、笑顔で私を見下ろして促すから。


「…そういうことじゃなくて…?」

「…私も、私もそう思ったから」


アイラブユーを、月が綺麗ですねと翻訳する文豪のセンスなんて、私には理解不能だ。

それでも、なんとなくこう返したくなったのだ。


共感は愛情への第一歩だって漱石先生が思ったんだったら、そこに期待してみたくなったから。

きっとこの思いはまたお蔵入りで、きっと私はまた言えないままにこの恋を終えるんだろう。

超えようにも越えられない世界の壁って、そんなどうしようもないもので。


「月が綺麗だから…寂しくて怖いなって」


あなたを思うと、胸が痛い。

それでも、うれしいなんてマゾい恋だけど。


「…やっぱり、ユキって変わってる」


そう呟いて、笑うユージィーンを見るだけで。


「…でも、そこが…気に入ってるんだよね」


それでもいいやって思えるんだから、恋はすごい。


「…もうずっと、ここにいればいいんじゃない?」


そんな気まぐれなユージィーンの言葉で、すべてを投げ出しそうになるんだから。





抱き寄せられて胸の中、後頭部を抑えられて見えない顔。

ただ、いつものユージィーンの声だけが降ってくる。


「…知り合いだって増えたし、ユキだってだんだん愛着わいてきたでしょ?この世界にだって」

「…ユージィーン?」


淡々と、そのくせどこか焦ってるみたいに早いその声だけが降ってくる。


「家だっていっぱいあるし、ご飯だっていいものが食べれるよ?幸い、一番の難関には勝手に気に入られてるみたいだし、いっそこのまま、うちに来たらいいでしょ?」

「え?」

「ユキ位にぎやかでも、広い家だから我慢できるし、ユキ位小さかったら食費かかんないから、余裕だし」


そこだけふっと笑って、腕に力がこもる。

本当に手放したくないものみたいに、勘違いさせられる強さで。


「…こう見えて、結構甲斐性ある方だよ俺は」


知ってるよ、だって愛人百人できるかな、のユージィーンなんだもん。

私一人くらいどうとでもできる人だって知ってる。

迷子だって、しかもこの世界にたった一人の迷子だって知ったらほっとけなくて、一生面倒見たくなっちゃうくらいには優しい人なんだって、ちゃんと知ってる。


「…ありがと」


だから、その手は決して取らない。

取ったら最後、この人はきっと私を手放さない。

責任感が強くて、どんな人でも養ってしまえる包容力のある人が、異世界でたった一人の落とし物を、自分から手放せるわけがない。


「…でも、私は帰らなきゃ」


肩に重みがかかって、ユージィーンのさらさらの髪の毛が頬をくすぐる。

落ち込んでるみたいなしぐさに、わざとだって思うけどかわいいなって思ってしまうのはしょうがなくて、その髪の毛を、私にできる最大限の優しさを込めて撫でてあげる。


「…こんだけ言っても、靡かなかったのはユキが初めてなんだけど」


さりげないリア充発言が鼻につかないとは言えないけど、ユージィーンなりのがっかりの表明と思えば、これもまたかわいいの範疇だ。


「…なんでそんなに帰りたいの?そんなにあっちの世界がいいの?」


すねたみたいにぶつぶつつぶやいて、肩口をぐりぐりされるくすぐったさに笑い出すのを堪えるのが精いっぱいで、崩れた顔を見られないように、その頭を抱きしめておく。

やっぱり洗濯板っていうしみじみしたつぶやきも聞こえないふりで。


「…この世界だって大好きだよ」


実らない恋だとしても、しなければよかったなんて思えないくらいに、今だって飛び上がりたいくらい嬉しい思いだってくれた。どんな気持でも執着してくれることが嬉しかった。けれど。


「中途半端は…ダメだから」




私は逃げてきたんだと思う。

あの世界から、この世界に逃げてきた。

あんまりにもつらくて、苦しい現実から。

大好きだった幼馴染が、他人のものだってそうはっきりと自覚するのが怖かったから。

私以上の誰かなんて存在が、もう代わりどころか最高の相手がいるんだって目の前に突き付けられるその瞬間が恐ろしすぎるあまりに、世界の壁すら超えてしまうなんてどうかしてるけど。


「だから、きちんと向かい合わなきゃって思うんだ」


仕事だってそうだった。

理解不能って思える相手に思考停止して、そっちがその態度ならこっちだって事務的でいいって、そんな風に思ってなかったなんて言えない。

いつもの、なんてありえない、一回一回が特別で、かけがいのないものにしなきゃって、そういう仕事だってすっかり忘れていたなんて。


「…結婚式って、特別なんだよ」


結婚式場で働いて、私が見た現実は本当に嫌になるくらい残酷だ。

夢をかなえるためには、どんなものでも細かくお金がかかる現実に、最後の最後まであきらめきれずによそに粉をかける男の身勝手さに、それを押さえつけよう、支配しようとする女の強情さ。

どれ一つをとっても、永遠の愛の儀式ってやつに幻滅するには十分だった。

それでも。


「特別じゃなきゃダメなの。完璧に、素敵な一日じゃないと、ダメなんだ」


だって、結婚は現実との闘いだ。

こんなはずじゃなかったって思う瞬間が、一瞬でもない結婚生活なんてきっとあり得ない。

でも、そんなときに思い出してほしいんだって。

幸せになってほしいと、こんなにも多くの人に願われて送り出された二人のことを。

夢が叶った瞬間の、途方もない喜びと、きっとあったはずの曇りない相手への気持ちを。

それが思い出せるような、素敵で、完璧な夢の一日であることが、この先に続く道の第一歩が幸せなだけの一日だったなら、きっと乗り越えていけると思うから。


「…だから、帰らなきゃいけないの」


きちんと見届けてあげなくてはいけない。

誰よりも、この私がその日を見届けてあげなくちゃいけないんだと、そう思うから。

いつか彼が迷ったときにその背中を、「あんなにでかいこと言ったんでしょ!」とどやしてあげることだけは、私の役目のままのはずだから。


「…それってさ、ユキが必ずその結婚式の前に戻らないと意味ないよね?」

「…え?!」


…そう、だから私は考えていなかったのだ。

こっちにいる間に、あっちも同じように時が過ぎてるんじゃないかって、そんな初歩も初歩の気づきに。





「ど、どうしよう…ユージィーン?!」


泣きそうな目で縋り付かれると困ってしまう。

ただでさえ禁欲生活が長くてこらえ性がなくなってるのに、理性を試すような真似をしないでくれないかな、なんて見当違いに怒りたくなってしまうから。

完全に吹っ切れたって言ってるさっぱりした強い瞳で語ったからって、その昔の男って存在が胸にひっかかるってことは間違いないのと同じで。


「どうしようって言われてもね…」


太刀打ちできない存在に、そうとしか言えなかっただけなのに、あからさまにへにょっとしぼんでしまうユキがかわいくて堪らない。


「…大丈夫だよ。ユキは帰れるから」


何の保証も自信もないけど、そうやって言ってあげたくなるくらいには。


「ちゃんと、ユキの望んだとおりに帰れるよ」


そのためなら、ちっとも信じてなどいない神という輩にすがってもいいと思う。

そんな自分の信心よりも、ずっとこの信じられないくらいに純粋なユキのことを、神様だってむげにはできないはずだから。


「…ユキって、すっごいあったかい…」


腕の中にすっぽり収まる体があったかくて、そうやって満ち足りた思いで見上げた月は綺麗に見えて。

そんな風に胸がつかまれるくらいに月が綺麗だから、素直に心がこぼれてしまうのかもしれない。

そうだね、と同じことを思っていたと嬉しそうに、どこか恥ずかしそうに肯定してくれる相手がいるから。

好きだ、って言って、笑ってそうだと返してくれたんじゃないかな、なんて願望が過ぎて恥ずかしくなるような勘違いさえする自分がおかしい。


「…ユージィーン?」

「一人で寝ると布団が冷たくてよく寝れない…」

「…ユージィーンってば…え?!嘘でしょ?!」


重くなった瞼に耐えられないように、狸寝入りしてその首筋に顔を埋める。

じわじわと体重をかけてやったら慌ててるのに、倒れまいって必死なユキの手が背中にぎゅうっと縋り付いてきて、にやける。


「こんなとこで寝るのはダメ…っていうか絶対、風邪ひくから!!だから寝ちゃダメだって…!」


洗濯板よりはあるけど、ささやかすぎて心もとない胸枕でも十分気持ちよくて、本気で落ちかけたユージィーンの髪を必死に引っ張るユキにこらえ切れずにふきだした。

我慢しないで突飛ばせばいいのに、優しくてできないユキ。


「…じゃあ、布団ならいいの?」


あっためてくれる?って耳元に囁いたら、それであっためる気なのかなって位に赤面して熱くなった顔で、言葉すら出ない唇をぱくぱくしてるユキから、素早くキスを奪って押し倒してた体を抱き上げてしまう。


普通に、どうしてたかなんてもうわかるわけがない。

何もかもかわいくて仕方なくて、こうして腕に閉じ込めていたくてしょうがない。

だってこうやって彼女が腕にいたら、それだけで満ち足りていくものがある。

たとえ、この気持ちを言葉にすることはなくても、帰ってくる気持ちはなかったとしても。

好きだと胸でつぶやくだけで、心が温められる気になる。


純粋なユキ。優しいユキ。責任感が強くて、まっすぐすぎるユキ。

そんな彼女が、この腕の中でじっとしているのは、ただ一番付き合いが長い、それだけの親愛だとしても。

ここではないどこかに生まれた者の感じる、漠然とした寂寥をほんのわずかに忘れるためなのだとしても。


「…ちょっとの間だけ」


それならこの、終わりが見えているじゃれあいの、その関係の中でだけ、この腕の中にいてほしい。

お金も地位もはねのけてしまうけれど、一時のぬくもりだけは拒絶しないくらいには気持ちが通じ合うならそれでいい。


「…ちょっと、本当にちょっとだけだからね!」


いつかそれだけじゃすまなくなるってわかっていても、今だけは。

寒かったと感じたことさえ嘘だったみたいな、腕の中のぬくもりにユージィーンは人知れず微笑んでいた。



次回あたりでようやく東の帝国に上陸できる予定です。

懐かしのあの人達あたりが待っている…と思います。ええ、過保護なんで。笑

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