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ご隠居さん、看病をする

ザイフリートのその心配は、すぐに不要となった。


しかし彼は、すぐに違う心配をする羽目になる。


ユキと名乗る少女は船室に閉じ籠ったきり、出てこなかったのだ。


ザイフリートは作った朝食を手に、船室のドアをノックし続けていた。


「ユキさん…!ユキさん!起きてますか?」


その声に反応したのは、船室の中ではなく、何時もは昼まで寝こけているお気楽ご隠居の方だった。


「どうしたの?ザイ?」


大あくびに、寝癖の残る茶色の髪、はだけたシャツと、どれをとっても寝起き姿の主に、ザイフリートは眉をひそめたが、あきらめて事情を説明する。


「ふぅん…?俺と同じくらい寝ぎたないタイプなのか…もしくは開けられない事情があるか」


とりあえず開けてみようか?とお気楽に提案されて、ザイフリートは嘆息する。


女性を敬う、ということを大事にする一族に育ったザイフリートには、妙齢の女性の部屋に無理矢理押し入る、というマナー違反には非常な抵抗があった。


しかし、彼女に不測の事態が起きているなら、助けるためにもドアを開けなくてはいけない。


そんなザイフリートの葛藤に気づいたのか、はたまた単純に暇潰しなのか、ユージィーンは彼の手から食事のトレーを奪うと、何かを要求するように手を出した。


「ほら、カギ出して」


そんなユージィーンに、どうしたものか迷ったザイフリートだったが、結局はこの主は何事も自分の意に沿うように変えてしまうことを知っていたので、大人しくその手にカギを乗せることにする。


「…なにかあったら、すぐ呼んでくださいね」


と、釘を刺しておくことだけが、今の彼にできる精一杯であった。


「はいはーい…」


これぞ、生返事という見本のような声を出して、部屋に消えていくユージィーンを見送って、ザイフリートは思わず一人ごちる。


「あの方のお相手は、私には荷が重い…」


まるであの少女を、生け贄に差し出したかのような罪悪感に苛まれながら、ザイフリートは彼女のための、諸々の品を用意するべく仕事に取りかかった。


それが今、彼ができるせめての償いだった。



そして、ザイフリートのもうひとつの心配は的中していた。


ユージィーンは、鼻唄混じりに部屋に入った瞬間、床に転げている彼女に躓きそうになり、慌てて彼女を飛び越えながらトレーを庇った。


がしゃん、と、なった食器の音に、床に倒れ付していた彼女が首を持ち上げた。


「ご、ご免なさい…」


それだけ言うと、また力尽きたように倒れてしまう彼女に、ユージィーンはトレーを脇机に置くと、流石に焦ってしゃがみこんだ。


床にくっつくようになっている顔は、はた目にみて分かるほど赤く染まっている。


額に手を置くと、まるで火の中に突っ込んだように熱くなっていて、彼女が熱を出していることは間違いなかった。


呼び掛けに答えて出てこれなかったのは、体が発熱で動かせなかったからのようだ。


それでも、必死にノックに答えようと、ドアを開けようと這ってきたのだが、途中で力尽きたという感じか。


ユージィーンは思わず、嘆息した。


なんという、無駄なことをする娘なのか。

何がなんでも答えなくてはいけない、そんなレベルの問題ではないだろうに。


こっちはマスターキーだってあるのだから、遅かれ早かれ部屋に入ってこれるのだ。

無理に動く必要はない。


逃げようとしたなら兎も角。


でも、彼女はご免なさいと言った。


それは逃げようとして失敗した、というよりはノックに答えなかった失礼を詫びているように思えた。


「変なやつ…」


ユージィーンは思わず呟くと、彼女をゆっくりと抱き上げた。


彼女の体はとても小さくて、なんだかチョッとの刺激で壊れてしまいそうな気がしたのだ。


急に持ち上げられた感覚に、びくりと彼女が震えた。

微かに眉をひそめて、朦朧としながらユージィーンを見上げてくる。


黒曜石の瞳は潤み、頬は紅潮しているその姿は、どこか扇情的に見えて。


ユージィーンは思わず、ドキリと胸が跳ね上がるのを感じた。


「大丈夫、寝かせるだけ」


そんな心音を誤魔化すように、ユージィーンは彼らしくもないぶっきらぼうな口調で彼女に声をかけた。


だからなのか、はたまた違う理由があるのか、少女は少し怯えた目のまま、分かったというように頷いた。


「ご免なさい…」


今度はこうして抱き上げられていることを、謝っているようだ。


しかし、こうも怯えさせるとは。


ユージィーンは首を捻る。


強面、というよりどちらかというと優男の部類に入るご面相で、社交界では持て囃される伊達男の自覚があっただけに、少女に怯えられる理由が分からず、それが気に入らなかった。


可能性として考えられるのは。


あの笑顔が偽りだ、と見抜かれていること。


しかし、ユージィーンが本当に笑っているかどうか分かるのは、ごく親しい身内に限られている。

見ず知らずの少女にすら、見抜かれているとしたら。


「お気楽ご隠居の名は…返上できないね」


呟きながら、少女をそっと寝台に下ろすと、彼女はようやくホッとしたように瞳を閉じた。


吐く吐息も熱く、かなり苦しそうだ。

ユージィーンは吐息をついた。


「…ザイに、薬を調達してもらうしかないか…」


ある程度の用意はあるはずだが、熱冷ましはあったかな、と考えながら、少女に布団をかけたその手を、熱い手が捕まえた。


殆ど力のないそれに、引き留めるように引かれて、ユージィーンは少女を見下ろした。


薄く開いた瞳に、自分がうつっていることに、なぜかソワソワと落ち着かない気持ちになる。


「大丈夫…です…」


彼女の言葉に、ユージィーンは何故か自分の神経が逆なでされるのを感じた。


ユージィーンはわざと、彼女の手を乱暴に外した。


「大丈夫なわけないでしよ?こんな状態になって…」


野に放たれていたら、確実に命はないレベルで危ない状態だ。

それを、大丈夫と言いきる彼女が不快だった。


「あのね、君のこと、どこの誰なんだか疑ってるけど、こんな状態の君をほったらかすほど、鬼畜じゃないよ俺は」


そう話ながら、ユージィーンは朧気に自分の不快の出所を察して、なんとなく落ち着かない気持ちになった。


どうやら自分は彼女に、怯えられている現状が気にくわないらしい。


相手にどう見せるかならいざ知らず。

どう思われるかなんて、久しく気にしてなかったというのに。


その言葉をどう受け取ったのか、少女の瞳が少しだけ大きくなった。

見開かれたことで、より潤んで大きく見えるそれを、ユージィーンは思わず吸い寄せられるように見つめ返してしまう。


だから、彼女の言葉が一瞬、聞き取れなかった。


「え?ごめん、なに?」


もう一度、今度は少しだけ顔を近づけてきたユージィーンに、少女は少し迷ったように目を泳がせて、それでも決意したように、その耳に唇を寄せた。


「あの…瓶を…とって…薬なの」


切れ切れに発された言葉に、傍らをみれば床に転がっている茶色の瓶がみえた。


ユージィーンはしゃがんでそれを回収する。


その瓶には見覚えがあった。

彼女がずっとかかえていた、読めないラベルが貼られた瓶だ。


あのときの彼女の様子を思い出して、ユージィーンは床をあらためる。


彼女が昨日探しだし、そして己にぶち当たった驚異のコップは、はたしてその近くに転がっていた。


それも合わせて拾い上げて振り返ると、彼女は既に気を失っていた。



「…ねえ、ちょっと!これ…どうするんだ?」


ユージィーンにあわせて、瓶の中でたぷん、と液体が揺れる音がした。


彼女は気を失う前に、くすりと言っていた気がする。

とすれば、このコップにこの中身を入れて、差し出せば良いのだろうか?


ユージィーンは瓶を開栓すると、中身をカップにいれた。


「…これ…大丈夫かな…」


なんとも言えない薬くさい匂いに、彼は顔をしかめる。

しかし、彼女は目を覚まさなかった。


それを確認して、ユージィーンは考え込んだ。


この得体のしれないものを、彼女に無理矢理飲ませるよりは、ザイフリートを呼んで熱冷ましを出してもらう方がましなのではないか。


しかし。


ユージィーンは薬を入れたコップを掲げる。


相変わらず材質すら分からないそれ。


異世界からというのは眉唾だが、こんな高度なものを産み出すところにいたのは間違いないであろう、彼女の郷里のくすりなのだから。


「たちどころに、効くのかも…」


もし、効かなくてもこれでひとつ、彼女の謎が解ける訳なのだからここは、無理矢理にでもこのくすりとやらを飲ませるのがよいだろう。


ユージィーンはそう結論づけると、少女の背中を少しだけ助け起こした。


もう片方の手で、ためらいもせず未知のくすりを口に含むと。


がくん、と落ちる後頭部をあえて支えず、開かれた唇に自らのそれを重ねた。


ユージィーンから流し込まれた、とろりとして甘い、薬草が入り交じったような匂いのあるそれを、彼女は素直に飲み込んだ。


それを確認して、ユージィーンはホッと一息ついた。


そして、堪らず彼女の朝食に添えられた、オレンジジュースに手を伸ばした。


「まっず……」


臭いからして苦いのかと予想して含んだのに、壮絶に甘く、くらりとするアルコールを感じさせる摩訶不思議な液体は、そうとしか表現できない代物だった。


「やれやれ…これで効果がなかったら、泣くな…」


彼女のために用意された朝食に手をつけながら、ユージィーンはため息をついた。


そして、唐突に気づいて頭を抱えた。


「俺としたことが…」


口に残る壮絶な味。

あれがもし、毒だとしたら。


いつもなら考えられたハズだった。


いつだって、最悪の事態を考える。

人の言葉は信用しない。


そうあった、はずが。


彼女が一言、くすりだと言っただけで。

自分はそれを薬だとして、疑いもしなかった。


ユージィーンはそのまま、布団に顔を埋めた。


「もうほんとに…お気楽ご隠居かも…」


その耳は珍しく、赤く染まっていた。



半刻後、ようやく気恥ずかしさから復活したユージィーンは、相変わらず彼女の朝食を猫ババしながら、その寝顔を観察していた。


くすりがきいたのか、その寝息は大分穏やかになっている。

くるしげにひそめられていた眉は、もとの位置にもどり、頬の赤みも少し引いたように思う。


艶やかな黒髪に覆われた、小さな顔はようやく和らいでいるように見えた。


それは彼がはじめて見た、怯えている以外の少女の顔だったのだ。


それは、あまりにも戻ってこない主を、いや主というよりはその相手を心配した、ザイフリートが様子を見に来るまで続いた。


それはことに女性にたいしては、気まぐれで飽きっぽい主人には珍しいことで。


ザイフリートを呆れさせるとともに、怯えさせた。


それは、この主人のこうした執心が、いい方向には行かないことを知るものの、本能的な怯えとも言えて。


ある意味、それが正しかったことを後々知ることになるのであった。




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