ご隠居さん、召喚の真実を語る
ご愛読ありがとうございます。
目指せ月一更新、という超絶低い目標のもと頑張っております。ちょっとずつお話はすすんでいるような後退しているような、ですが(汗
船の上での生活は基本、暇との闘いだ。
変わることのない青一色の世界、変わりばえのしないメンバー、陸地よりもずっと選択肢が狭められる食事、よくもこんな場所で生活する気になったなと相手を見れば、生まれた頃から海上にいたという相手はコロコロと鈴を鳴らす様に笑って、すり寄ってきた。
「慣れれば、陸の生活の方が息苦しいものですわ。あっちは何といっても人の数が多すぎて、いろんな意味で狭すぎますから」
そういう相手に一部の理を認めなくはない。確かに陸には人が多すぎる。
そういう意味では気心が知れた相手だけを連れての船旅は楽しいモノなのかもしれない。
ただし、それは本当の意味で気心がしれていれば、ということなのだけれど。
「それでもユキさんには、ここは狭すぎるようですけれど」
そうやって流し目をくれる先にはチョロチョロと小動物よろしく動き回る生き物一匹。
どこから見つけてきたのか、使い古したシャツに裾をまくり上げたズボン姿で赤いリボンで髪をポニーテールにして、なにやら護身術のまねごとを始めた時は笑いをかみ殺すのに苦労した。
大いに抜けていたユキにも、一応の警戒心というものが備わっていたらしい。自分の行動に反応するユキ、というのはなんとも言えない、胸の内側を擽られるようなこそばゆさがある。
言い換えれば、ユキの頭の中で自分とのことがそれだけ重要な割合を占めている、という優越感のようなものなのだけれど。それも数日しか持たなかった。
「…そんな顔で見る位なら止めに行けば宜しいのに」
「…別に、俺は…」
海図を前にルートについて話し合っていたはずが、その肩越しにちらちらとかすめて見える、だんだん様になってきたユキとリヒトとの打ち合いを険しい顔で見つめてしまっていたらしい。
苦笑しながら茉莉に眉間をつつかれて、反論しかけた言葉の代わりに茶を飲みこむ。
異国の香りがするそれは、気持ちを安らがせる効果があると聞いたことがあるけれど、今は大して役に立たない。苦みばかりが口に残る気がして。
止めに行けば、と簡単に言うけど、どうやって言えばいいというのだろう。
そもそもの発端が、自分の行動に端を発していることがわかっているのに、それに対抗する術をユキ自身が身に着けようとしているのを邪魔する権利なんかあるわけがない。
それも、正当な理由があるわけでもない、ただ単に「なんとなく嫌だから」という子供じみた独占欲のせいで、なんて。
「…貴方ならなんとでも、それらしい理屈くらいひねり出せますでしょうに」
そういいながら澄ましてカップを傾ける茉莉から目を背けて、茶に浮き沈みする茶葉の欠片を見つめる。
ふわふわと頼りなく浮遊しているのに、どこかしっかりとしている不思議なその動きを。
「…出来ない訳じゃないさ」
例えば宰相や護衛隊長に用事を言いつけて、ユキの稽古まで手が回らなくなるようにするのは朝飯前だ。
それでも一人でやろうとするなら最終的にユキを船室に閉じ込めておく手立てだってないわけじゃない。
やろうと思えばできないことはないのだ。でも問題なのは。
「…それでもやりたくないんですね?彼女相手だと」
「……焼きが回ったと笑ってくれてもいいんだよ?」
自分でも本当に焼きが回ったのだと、そう思う。彼女相手だと今までのやり方は全部反故になってしまう。
ユキが喜ばないから、ユキが悲しむから、なによりもユキに嫌われたくないから。
自分さえ良ければ他人なんて、それこそジークだけが特例で、それでさえすべての裁量は自分の胸先三寸だったはずなのに。今やすべての物事の判断基準が彼女になってしまう、なんて思いもしなかった誤算で、自分で自分を持て余している自覚はある。その癖、ここまで己を振り回す彼女はそんなことなど知る由もなく、他の人間と楽しそうに過ごしているのだ。それが何よりも腹立たしい。
「貴方のことを笑えるほどに、私も恋をしたことがないわけじゃありませんわよ?」
そんな風にこの女にいたわられる羽目になることもなかったはずの、そんな今までよりも。
殺してでも奪い取りたかったというその激情の一端が理解できるようになってしまった自分の方がいい、と思う不可思議さも。
「…だから、不思議なんです。なんであなたはあの娘を、そんなにあちらの世界に返したがるのか」
つややかで蠱惑的な赤い唇が笑みを象る。
「…いっそ帰さなければ、彼女は貴方のものになるとは思いませんの?」
以前までの自分なら当然、そうしていたはずのことをそそのかす様に囁く彼女に抱く、本能的な嫌悪も。
「郷里と離れる、というのはどんな人間にも根っこを切られるような辛さがあるものですわ。それが二度と帰れないとなればなおさら…それなら頼りに思う人間が、その隙間に入って大きな位置を占めることになるのも…自然のこと、といえますわよね?」
例えば最初に出会った保護者的な異界人とか、と言って見つめてくる黒い瞳を見返して、ユージィーンは笑う。そんなことは何度だって考えた。考えなかった日なんてなかったかもしれない。
「…それでも、ユキは帰るよ」
「…何故、そんな風に確信できるんですか?異界人の存在はもとより、そんな人間が元の世界に帰れたなんて話も聞いたことありませんのに…何故…?」
心底不思議そうな彼女に、嫌悪感の源を知る。
それは同族だからだ。自分の望みの為なら他人はどうでもいいと、そう決意できる人間。
愛という言葉では表せない、後ろ暗い気持ちを知っているその眼差しに、ユージィーンは頬を緩めた。
彼女にだけなら、この真実を話してみるのもいいかもしれない、と。
「…何故そんなことがわかるかって?それは簡単だよ」
思わずこぼれた笑顔に、茉莉の目がかすかに見開かれるのを見た気がした。
「…彼女を、ユキをこの世界に呼び出したのは、たぶんこの俺自身だから」
そしてその唇が小さく開いて、また閉じるのを見て、美女は驚いても美しいものなんだな、とユージィーンは面白く思ったのだった。
彼女が本当に異世界の人なんだとわかった瞬間に、頭に浮かんだのはどうやってここに来たのか、ということと、どうしてここに来たのか、ということの両方。
前者については彼女の話だけでは判断できない。神様という存在を信じていないこっちとしては特に、だけれど後者については一つの仮説が立てられた。
ユキが、あの船に、もっといえばユージィーンの元に落ちてきたということを起点に考えるならば、ユキはユージィーンの為にこそ現れた異界の落とし物だ。付属していたのが万能の霊薬だったことは偶々、偶然が重なった結果だろう。その上でユージィーンは考えた。
この落し物を十二分に活用して、大陸に働きかけるすべにできないか、ということを。
勿論、ジークは反対した。ユージィーンの為に使わされた落とし物なのだとしたら、それは只の無駄足だし、強制的に呼び出された上に知らぬ土地まで旅をさせるのは過酷だと。
ユージィーンは逆に、自分の願いを起点にして呼び出されたユキならば、使命の途中でいなくなることもないし、なによりも自分が一緒についていけば、なにか取り返しがつかなくなる前に元の世界に返してあげることもできるだろう、と。
難色を示したジークも最終的には頷いたのは、頼れる伝手があり試してみる価値があると見たからだ。
大陸の権力図がこちらに波及してこないと楽観視するほどには、現況は甘いものではないことを知っているから。藁にも縋る思いなのは彼もいっしょ、ということを見透かしているユージィーンの作戦勝ちだった。
「…ユキは勿論…」
「彼女は知らない。俺に言われた通り、皇帝に召喚されたんだと思ってるだろうね」
半眼になる茉莉に、ユージィーンはホールドアップで答えて見せる。
いまでは自分の首を絞めているのだから勘弁してほしい、と思いながら。
「…ちなみにその、彼女を呼び出したあなたのお願いとやらは…」
「…何だったかな、忘れちゃったよ」
ごまかす様に微笑むユージィーンに深くため息をつく茉莉。
屁理屈だったらいくらでも捏ねられるこの相手が、こうもストレートに聞くな、というからには相当に気まずい願いだったのだろうと額を抑えて。
「…成程、思った以上にはったりだけの、そんな旅でしたのね」
「それでも、何とかしてくれるでしょ?惚れた男の初めてのお願いだもんね?」
その言葉に茉莉はこれ以上ない冷たい一瞥を投げかけて、低く一言吐き捨てた。
「…もちろん、料金に見合う仕事はしますわ。この世界、信頼が第一ですから」
最高級の皮肉にもピクリともしない癖に、相変わらず外の眺めには一喜一憂しているユージィーンに、笑うべきか、ため息を吐くべきか悩みながら。
「…いらぬおせっかいですけど、今のうちにお話しした方がいいのではなくて?彼女…傷つきますわよ?」
だからこそ、貴方は誤魔化すのをやめたんじゃなくて?と宣った彼女にかえす言葉はユージィーンには見当たらなかった。それが真実そのものだったから。
昼の海と夜の海は全く違う表情を見せる。
夜の海は静かで、昏くて、なおかつ恐ろしい。なにかに引きずり込まれるような、そんな得体のしれない暴力的な魔力に満ちている気がしてならない。あの夜もこんな風に月がきらめく夜の海を見ていたのだった、と思い出してユージィーンは笑う。
あの海を見て、自分がしていた願い事、願い事なんて純粋なものでは決してなかったけれど、その時浮かんでいた思いは忘れられるはずがなかった。
夜の海に晒されて、ほんのわずかに見せたその胸の内に、まさか反応するなにかがあるなんて思いもしなかったから。その時から分かちがたく繋がれていたのだと考えると、腑に落ちることは多すぎるけれど、それだけで片づけられたくないという気持ちもある。
神様といういけ好かない万能らしい存在が、ほんのきまぐれで叶えてくれたらしい自分の願い。
それがあるから、ユキがこの世界に落ちてきた、落とされてきたということ。
前はとてつもなく軽く思えたそのことが、今はこうして両手に余るほど重くなった理由はわかっている。
その願いがかなった瞬間に、きっとユキはこの世界からいなくなる。
理屈抜きでそう確信できるのは、彼女をこの世界に呼んだのは自分という証明に他ならない気がして、それさえも嬉しく思える自分にいよいよ焼きが回ったと笑う。
どんなに親しく笑いかけられても、あの宰相や、護衛隊長では決してありえない魂のつながりがある自分。
でもそれを彼女に示すことはできない。帰れない世界を思って、あんなに頼りなく啼いて縋ってきた彼女を知りながら、思い人に思いを寄せて涙する切ない姿を知りながら、自分は決して離さないことを知っている。
かさり、と音がしてふりかえった先に。
「…ユージィーン?」
寝台の中で一人のことに動揺して親の姿を探し求める子供のように、毛布の端っこを掴んでひきづっていても不思議はないくらいに、泣きそうで頼りない姿のユキを、ユージィーンはしばし無言で見つめた。
ユキは帰る。いつの日か帰ることを知っている。
神様とやらの、その万能な眼が何をどう判断するのかはわからない。
でもユージィーンの願い事が叶ったその時に、ユキはきっと自分の世界に帰る、そんな存在だと知っている。
ただ一人の運命の恋人。
そんなものがいるなら見てみたい、とそう思ったユージィーンの前に現れた彼女。
ああ、ここでユキを自分のモノにしたら、朝にはとけていなくなるのかと思っても。
それでもやっぱりこうするしかないんだな、とその手を引き寄せて、抵抗もなく腕の中にすっぽり収まる小さな体と、しなやかに揺れる黒髪にユージィーンは頬を寄せた。