海上の月
なろうでは超絶お久しぶりで、すみませんでした。またボチボチ更新しますのでお付き合いいただけたら嬉しいです。
前にもいったような気がするのですが、船の上っていうのは基本、暇との闘いなわけですよ。
それでもユージィーンの船だった時には銀器を磨くとか、船の掃除をするとか、少ないなりに仕事があったからまだマシだった、ってことがわかったのは乗船数時間後。
エライ人の船なんだから仕事はいっぱいあるでしょ!と勢い込んで調理場に駆け込んだ私を待っていたのは、「貴方様にそんなことをさせたら国に帰れなくなります」というまさかの私もVIPだったっていう今更な気づきだっていうね。そりゃそうだよね、だって私がメインだし!
いや、私っていうか、私の持ってる養命酒さんなんですけど!!なんならちょっとヒルダさんにも分けてきたからちょっと半分くらいになって身軽になってる、この茶色い瓶がメインなんですけども!!
掃除をしようとはたきを持てばどこからか青ざめた人が飛んできて、じゃあ調理のお手伝いと調理場に行けばおやつでごまかされ、そんな上げ膳据え膳もいいところのVIP待遇に物申したい。
あのね、退屈は人を殺すんだよ?、と。
という訳で私が何をしているかというと、この有り余る時間を使ってですね、今後に役立つスキルでも身に着けようかなーと思った訳で、とりあえずはカイルさんのところに行きました。
そんで、私でもできるような簡単な護身術的なものを教えてもらえないか聞いてみたのね?
そんで、カイルさんクソ真面目だからその日から筋トレ。ひたすら筋トレ。もうね、懐かしいあれだよ米国軍隊式も真っ青だから、って思ったらカイルさん軍人じゃん、リアル軍隊式だったじゃん!
うん、言わなかった私が悪かった。これは私が悪かったと思うんだよ。簡単な、の部分を強調しなかった私がね。でも、あの真面目な人に「こういうんじゃなくてもっと軽い奴」ってお願いするハードルが高すぎる。だって多分、コレはカイルさんから見たら軽いってことなんだよ。それがわかるから言い出せない。
なので、結局3日でギブしてあたらしい先生を探すことにしたんだよね。
それが、偶々筋トレ中に通りすがったリヒトさんだったことは、私もちょっと酸欠で可笑しかったのかな?としか言えないけど。
で、今度はこの人、むっちゃ適当なの。まず教え方が適当。
「で、そこでボーンとやって、バーン」とか普通に言いますからね、この人。
でもその頭悪そうな擬音語満載感も、残念な私の幼馴染そっくりで、3日にして敬語を忘れたあたりは、なんていうか一定の成果だったかもしれない、と思わないとやってられない。
結局、あーだこーだやってみてから。
「あー、でもこのやり方だと相手死ぬけど大丈夫?」
って聞かれるとか、最初に言って欲しかった!
なんでもリヒトさんは暗殺稼業で有名な一族出身ってわかるかい!!銀髪に銀の目が目印って聞いて今更ザイフリートさんもそうだとか聞かされて、もう何が何だかだけど、流石に殺してでも止めなきゃいけない事態にはならないと思うんだよね、対ユー…げふんげふん。…誰が相手でも。
という訳で、最終的にはリヒトさんに教わりながらカイルさんに相手してもらって、セーフかアウトか判定してもらうという謎の授業形態が出来上がったわけなのです。まあ、それで得たのは「急所蹴りか目つぶしが一番有効」で、やるからには躊躇してはいけないという2点だったという成果には正直私もがっかりですけど!
でも一回うっかり入ってしまった時のカイルさんの悶絶感を見たら、実感として一番有効ってことは身に染みたけどね。なぜかそのことを話すと皆が内股になるのがまた不思議なんだよなー…。
とりあえず、使ってみる機会は今のところありそうにもないんですけども。
「しっかし、ユキは体力ないなぁ」
馬鹿でかい船の甲板をグルグル回らされて、既にして体力ゼロの私を前に、感心した口ぶりで貶してくるリヒトさん、いやリヒトと反対にカイルさんはゼーハー言ってる私の背を撫でながら優しく労ってくれる。
「それでも最初の頃よりはずっとマシになってますよ。あの頃は本当に真面目にやられているのか疑うレベルでしたので」
…うん、優しいからこそ刺さるっていうこともあるよね…。
なんていうかこういう素直なとこは、流石ヒルダさまの幼馴染だなって気がします。きらいじゃないけどね…きらいじゃないけど今は勘弁して欲しかった…。
「だってよ?っていうか、そんなんであの人の相手とか大丈夫なのかよ?」
「…え?」
「宰相殿…!ご婦人に聞かせて良いたぐいのお話ではないと…!!」
リヒトの言葉より、それに反応したカイルさんの赤面で話の内容を悟った。あー、忘れてたけど私、愛人スタンスなんだった。
「あー、アレ、もう終わってるからね?別に今までも違ったし、ユージィーンは…そういうんじゃないから!…っていうか、そんなに大変ってどういうこと…?!」
とりあえずは否定すべき事から、と始めたものの気になりすぎてつい突っ込んでしまった私に、リヒトは嬉しそうな笑顔でカイルさんにウィンクして続けた。
「あの人さ、顔はなんていうか…普通寄りだろ?うちの陛下みたいに凄まじく美形なわけでも、補佐官みたいにすべての女性に対して優しいなんてわけでもないのにモテまくるのは、そっちの方面に強いからっていうのがもっぱらの評判なんだと」
うーわー…なんて言うか、一番嫌なのはそれがユージィーンにしっくりくるってとこだと思う。
それで未亡人に人気なんだなぁとか、納得しちゃってる自分がいる。だって経験値ゼロの私をしても、なんかうまいこの人と思わせるキスとあの高速すぎる脱衣スキルを見せられたら、まぁそうだよねってなるじゃん?
なんでも一晩で数人の女性を侍らせてたとか、色街で人気ナンバーワンの娼婦がメロメロにされたとか、とにかく夜は無双伝説を滔々と語りだすリヒトの頭をしばきながら、私はもうわかったから!とストップをかける。
「ユージィーンがエロ男爵なのは大いに分かったのでもういいから!」
そこで男爵じゃなくて、とか律儀に訂正入れてくれるカイルさんも有り難いけどなんか違うから。
つまり、結局はあの時だって私を、じゃなかったんだって、そんな確信を強くしたって虚しいだけなので。
「そのくせ、あしらいが上手くて、本気にはさせないってあたりがスゲーよな。遊び人の勘っていうの?」
空気を読むなんて出来ようもないリヒトの、そんな発言に心がささくれる。
だから、私はほったらかしなんだって、そんな風にひねくれてしまう自分がいる。
この船は大きい。それってことはたくさんの人が働いてる訳で、その頂点にいる偉いVIPなあの人に、気軽に会えないからってことを寂しいと思うのは違うってわかってる。
毎日、それこそ時には寝台まで一緒だったっていうそんな環境が可笑しかっただけの話で、貴族とパンピーに壁があるのなんて当たり前のこと。
たまに姿見たと思ったら茉莉さんと腕組んで歩いてるとこだったりするのも、仕事柄接触が多いだけじゃないのもわかってる。
…わかってるんだって、男としてもぼんきゅっぼんだわ、美人だわなあちらさんの方がイイってことはさ。
でも、そうだとしてもいきなりそっちばっかりっていうのは酷い気がしてならない。
目があっても地味に逸らされてる気がするし、ここまで来るとなんだか悲しいを通り越して怒りが芽生えてくる。
…でよ、話しかけても来ない相手に怒り続けるって無理ゲーだわって実感するのはすぐのこと。
不毛な真似に日夜海に飛び込みたくなる衝動と戦うよりは…と始めた特訓のおかげで水没は免れているけど。
…これって、やっぱり私はあの夜にユージィーンに何かしちゃったってことなんでしょうか??
朝起きて普通だったから、大した事じゃなかったと思っていたのにここに来て避けられるってことは、いちばん可能性があるとしたら、それは。
私の、この気持ちを、ユージィーンが察しているってことなんじゃないかって。
恋に落ちたって、自覚した途端にその人の全てが煌めいて見えてしまう。
それこそ、取るに足らない小さなことさえも宝物に変わる。
そして、自分がどうやって普通に接していたのかを忘れてしまうのだ。綺麗さっぱりと。
それでもかつての恋の相手には、欠片ほどの好意も伝わってなかったのだから、無用の心配なのかもしれないけれど。
「…俺の顔になんか付いてんの?」
思わずジト目でにらんでしまったのは、この顔の他人の鈍感さを思い出してムカついたからで。
「うん、でっかい虫がいるから殴らせろ」
「アホか!そんなんで騙されるかよ!」
「騙されなくてもいいの、そっと頬をさしだしてくれたら…」
「そうか、なるほどーって、やるわけないだろ!」
「…お二人共仲良しですね」
羨ましいですと爽やかに笑うカイルさんに。
「どこがだ!!」
「どこがよ!!」
同じタイミングで反論して、声が揃ったのに思わずリヒトをみれば、懐かしささえある見慣れたアホ顔でこっちを見ていて、思わず吹き出してしまった。
似ているけれど、他人だってわかるのに、ふとした仕草が懐かしい。そんな不思議な感覚は私だけじゃないらしい。
リヒトはおもむろに私の頭をくしゃりと撫でると、その銀の瞳を笑いの形に歪めた。
「あー、なんだかお前、不思議な感じだわ。どっかで会ったことがある、みたいな気がするんだよな」
もしかしたら、この世界は私が思う以上に柔軟にあちらの世界が投影されているのかもしれない。
私のように全部じゃなくて、もしかしてだけど一部分、例えば夢の中みたいな感覚で、交錯している人がいるとしたら。
それが私の知っている人という形に落ち着くなら。
「私も…そうだよ」
この人はほんとうにリヒトなのかもしれないと、そう思って湧いたのは、ただただ喜びだけだった。
もしかしたら手に入るかもしれない、なんて浮かびもしないくらいに、あんなに終わりの見えなかった私の初恋はもう終わっていたんだって実感に、私は満面の笑みを浮かべていたのだった。
それを見ている人がいるとも知らずに。
好きな人が近くにいるのに、まったく顔も見れないっていうのは地味にクる。
それを忘れるために他の人に囲まれて、笑いあって、楽しいふりをしていてもふとした時に顔を出してしまう。それよりなにより、思い出してしまうのは海の上に浮かぶ月を見るときだ。
地上で見る時よりも、海で見る時の方が明るく冴え冴えと輝いて見えるそれ。そして遮るものが何もない海の上の月は、とてもきれいで、とても孤独だ。
まるで自分そのもののように、ぽっかりとただ一つ浮いている存在。
身につまされすぎて悲しくて、それでもたった一人の船室で眠れぬ夜を過ごすよりはマシに思えて、だからそれは全くの不意うち。
VIP待遇の船らしく眺めを楽しむためだけにあるその部屋で、ひっそりと息を顰めるように外を眺めていたその後ろ姿を見た瞬間に固まってしまった。
別人のように静謐な空気に、戸惑って踵を返すよりも先に。
「…ユキ?」
懐かしいとさえ感じるほど久しぶりに、私の名前をよぶユージィーンの声を聞いてしまったから。