天然の人たらし
ご愛読ありがとうございます。
ようやく旅立ちます。
早朝の王宮の庭は、清冽な気配さえ漂っていて足を踏み入れるのも恐れ多い気がする。
だからこの足取りが重いのはきっとそういう訳で。
いや、ごまかしても無駄だな、と手近なベンチに腰を下ろす。
くしくもそこは昨晩と同じベンチだったけれど、そこは見ないふりをして。
「…私、なんかやらかした…くさいよね」
頭の奥がずきずきと痛む感じは、それほど頻繁ではないけど覚えのある感覚だ。
いわゆる二日酔いってやつ。酒を飲む=大失態というパターンは幼馴染に指摘された私の欠点だ。
どうも普段こらえていたことを全部ぶちまけてしまうタイプの酔っぱらいらしい。
それでも彼に対する恋心だけは、幸か不幸かぶちまけてしまうことはなかったらしいけど。
普段はそっけない相手が、妙に心配顔で気遣ってくれるのが心地よくて目を盗んでは酔っぱらっていたのを懐かしく思い出すけど、その顔はいつのまにか違う顔にすり替わってしまう。
飴色に輝いていた瞳と、柔らかそうな茶色の髪の男に。
ついでに至近距離でみてしまった笑顔と、その前までのあれやこれやもつられて思い出してしまい。
「ぎゃー…」
思わず顔を覆って小声で叫んでみるものの、そんなことをして根本的な問題解決になるわけもなく、もうちょっとしたら顔を合わせざるを得ない相手に、どんな顔をして会ったらいいのか全然わからずじたばたするしかない訳で。
「…いっそ、このままどっかに消え去りたい…」
ここで神様にまたぶん投げられて元の世界に帰れないものかな、と検討…しようとしてできなかった。
そんなことして日本に帰ったら、どうやったって後悔しか残らない。
いまや一大国家プロジェクトに祭り上げられている「長生きしたいおじいちゃんに養命酒を届けよう」キャンペーンもほったらかしにできないし、なにより。
あの、意地悪な笑顔の男とここでお別れになったら、末代まで祟られるのは間違いない気がする。
結局ユージィーンの思うつぼだ。利用されてポイされる。そんな恋心なんていらなかった。
相手と違って私には、思うがままの恋なんてできないんだから。
「…ユージィーンのドアホ…」
思わずつぶやいてしまった言葉に。
「…仮にも当家の長を罵られるのは気分がよろしくないわね」
「ふっぎゃぁ!!」
デジャヴを感じるつめたい答え。振り返った先にいる針金みたいにまっすぐにぴしりと背筋の伸びた姿を見て、私は奇声をあげてベンチから転がり落ちたのだった。
「…貴方を育てた親の顔が見てみたいものだわね」
「…アハハ…」
心底呆れたと顔に張り付けたユージィーンのお母さんに力なく愛想笑いをしながら、私は転げ落ちたベンチに座りなおす。
まさかこの人に再会する羽目になると思わなかったよ…家が近いっていうからてっきり帰ったのかと思いきや、昨晩は王宮に泊まっていたらしい。早朝の散歩については聞ける雰囲気でもなかったから聞かないでおく。っていうか何故この人はさらっとベンチに腰掛けてんのかなー…微妙な知り合いにあったらお天気の話でもしてそそくさといなくなるもんじゃないの?そんなにがっつり絡みたい知り合いでもないんだけどな…。
「…で、あの男の何が気に入らないというのです?」
そんな心露知らず、っていうか気づいててもどうでもよさげな感じで言われて。
「き、にいらないとかそういうことじゃないんですけど…」
「気にいらないことがあるから、ああして怒ったりどこかに逃げ出そうと画策していたのでしょう?もうバレているんだから、正直に白状したらどう?」
なんかものすごい規模の話になっているけど…?!
思わず答えを濁しながら、あれ?と内心首をひねる。
なんだろ?この言い方だとこの人…。
「…そんなにユージィーンのことが心配…なんですか?」
つい口から転がりでてしまった言葉の効果は絶大で、ユージィーンのお母さんは大きく目を開くとその手からぽろりと扇を落とした。
そしてその顔がじわじわと赤くなるのを見て、昨日ユージィーンに思ったみたいに白人系のひとは赤面するのがわかりやすいんだなあと思ったらこらえきれなくて、私は思わずふきだしていた。
毎日怒ってばっかりで、時には理不尽な八つ当たりみたいに思えることも多くて、好きか嫌いか聞かれたら悩んで悩んできらいって答えてしまいそうな人だけど。
それでも毎回、どのカップルにも真剣に向き合って、一つの瑕疵もなく彼らの理想の結婚式を作り上げるために邁進する。そんな姿は嫌いじゃなかった。むしろ尊敬できるひとだった。
あの時は理不尽に思えた一言に、私に対する情があったことに気づいたのも最近だ。
褒め言葉は耳に快く、苦言は耳には逆らってしまうけど、より愛情があるのは後者の方だ。
嫌われる覚悟をもっても、相手によりよくなって欲しいという気持ちは肉親の情に一番近い。
この人がユージィーンに向ける気持ちみたいに。
「素直に心配、って言えばいいのに…ユージィーンもめんどくさいけど、お母さんも相当に面倒くさい人なんですね」
「し、心配などしておりません!私は家の長としての立場を思って…」
「あのね、一度いっちゃった言葉って強いんですよ。それでもって取り消しが効かない」
言葉は突き放しているのに、頬が赤かったら台無しだ。
この人は息子よりは演技力で劣る女優なんだろう。
それか、そんなものでカバーできない位に深い思いがあるんだろうか。
すれ違い続ける実の親子なら、それも当たり前のような気がするけれど、多分この人も頑固ならユージィーンもそうだから余計なんだろう。
どんなことでも飄々とうまくやってのけそうな彼の、意外な一面に微笑ましくなる。
「そう思うじゃないですか?でも実はそんなことないんですよ」
私が大号泣してしまった花嫁の手紙。
それは一度、彼らの離婚を機に手がつけられないくらいにひねくれてしまった娘さんからの、ご両親への謝罪の感謝の言葉が綴られていた。
「悪いことしたらご免なさい、それで戻れるっていうのが親子の良いところじゃないかっておもうんですよ」
だってこの人たちはこんなにも似ている。
色だけじゃなくて、ただ一度見かけただけの知り合いでもその不穏な呟きを見過ごせないくらいには優しいところも、なんのかんのいいながら私という厄介者を見捨てないあの男に。
「…私、聞きました。貴方が言っていた女の人のこと」
そう聞いた瞬間にユージィーンそっくりの瞳を冷たく凍らせる、この人には。
「…そんなに心配されなくても…私はその人にはなりませんよ」
愛していた、とささやいた声の優しさを思い出すと胸が絞られたように痛む。
その過去形はきっと、彼の思いが過去だからじゃない。
もうすでに取り返しのつかないところに、その相手が行ってしまっているからというだけなんだって。
だから私はその人にはなれない。ユージィーンの特別は今も昔も変わらない。
だからこそ、彼は恋すら操られるのだ。本物以外はすべてまがい物の恋だから。
無意識に胸元のペンダントを弄る私に。
「…そう。身の程をわきまえたってことね」
そういいはなって彼女はすっとベンチから立ちあがった。
そして思い出したように、私を見下ろした。
「貴方…名前はなんていうのかしら?」
その冷たい声に吹き出さないように我慢しながら、私は答える。
「ユキです」
私の言葉に彼女はほんの少しだけ、口元を釣り上げた。
「…そう、ではユキ…」
もし、そのペンダントを返す気になったら、とそう言って彼女は私を茶色の瞳で見下ろした。
「…私の静養先まで届けに来なさい」
これは命令よ、と断言して足早に去っていく彼女の背にこらえきれず笑いながら、あったかくなった胸を押さえて私は思った。
ユージィーンの、一筋縄ではいかないあの性格の出どころがわかった気がする、と。
まったく人の気も知らないで、とユージィーンは目下、不機嫌の真っ最中である。
朝になったら影も形もなくなってるなんて、そんなのが自分の場合は洒落にならないってことをユキは全く分かってないらしい。来たのが突然なら帰るのが突然だって不思議じゃないのに、青い顔で探し回らせた当人は涼しい顔をして朝ごはんを平らげている。早朝の散歩でおなかがすいたと笑いながら。
その顔になんの陰りもないことを安心していいのか、不満に思ったらいいのか悩む。
割合でいったら後者に傾いていることは否定できないけど。
あれだけのことをしたのになかったことにされるってことを、笑って許してあげられる訳がない。
じと目で睨んでいると、それに気づいたユキが小首をかしげて「あ、そうだ」と声を上げた。
「そういえば、ユージィーン。ユージィーンのお母さんのおうちってどこなの?」
思いがけなさすぎる質問に、ユージィーンはまじまじとユキを見つめてしまう。
「…唐突に何を聞くかと思ったら…あの人になんか言われたの?」
早朝の散歩はあのご婦人の日課でもある。それなら庭で行き会ったとしてもおかしくないわけだが。
その割に上機嫌で戻ってきたユキに首をかしげるユージィーンに、ユキは満面の笑みを浮かべる。
「うん、これを返す時に家においでって誘われた」
「………あの人が?」
「うん」
「……ユキに?」
「うん」
「……家に来いって?」
「あ、正確にはえーと…静養先って言ってたけど」
「………まさか、ありえないんだけど」
こんなことで嘘つかないと怒るユキを他所に、ユージィーンは混乱したままコーヒーカップに手を伸ばす。
気ままに生きようとする自分と型にはめようとする母親の確執は深い。
昨日も和解とは程遠い間柄であることを確かめる結果にしかならなかったことは誰が見ても明らかだ。
それなのに自分の「愛人」であるユキを彼女は自分の「静養先」に招くといったらしい。
公式の場である王都の「自宅」ではなく、彼女の生家にちかい私的な「静養先」に招くと。
「ペンダント」というユキの身分証がなくなった時点で。
それは完全に家から逸脱している、彼女の意志でしかないことなわけで、あの母親がすることとは到底おもえなかった。全てにおいて「家としての利益」を重んじる彼女には。
「…どうやってやったの?」
思わずつぶやいた一言に、リスのように膨らんだ頬のままユキが小首を傾げる。
「普通にお話しただけなんだけど」
普通に、ね…と呟いてユージィーンはじっとユキを見つめる。
本当にこの人たらしぶりはなんなんだろうと心底ふしぎに思いながら。
「あ、でも知り合いに似ている人がいたからもあるかな。似ている度でいったら一番だったかも」
そう楽しそうに語るユキに、ユージィーンは眉をひそめる。
「…もしかして、けっこういるの?ユキの世界での知り合いに、そっくりだなぁって思う人が」
ユージィーンの言葉にユキの手がぎくりと止まる。
「え、えーと…何人か会ったよ?」
なんでそこで動揺するかなぁ、と思いながらユージィーンはにっこり笑って、ユキの口許の食べかすに手を伸ばした。
「…ついてるよ?」
ぱくっとそのまま食べてやったら、声もなく真っ赤になって震えるユキに、ほんの少しだけ機嫌が持ち直す。そんなユージィーンを知ってか知らずか。
「…あ、でも返しに行くのはもっと後でもいいかな」
無意識のように鎖に手を絡ませてユキが呟く。
「え?」
「…もうちょっと、お守りで持っていたい気がするから」
ふわっと照れたような笑顔になるユキに、ユージィーンはお行儀悪く頬杖をついたままそっぽを向く。、
ほんとに自覚のなさすぎるタラシは始末に負えない、と思いながら、ユージィーンはヤケクソのように味のしないコーヒーを飲みほした。
「…わー…でっかい…」
いちばん最初に落っこちたユージィーンの船を思い描いていた私は、その数倍はあろうかという船の巨大さに馬鹿みたいにつぶやくしかない私に、ユージィーンが吹き出す。
「一応、国を代表していくんだからね。そうみっともない船じゃいけないでしょ」
そうはいっても長生き希望のおじいちゃんに、長生きまでは保証できないけど冷え性には効く薬用養命酒を届けに行く見返りに、難病に聞く漢方薬をどうにかもらって帰ってこようという、なんというか…適当すぎる目的のためにこうも立派な品物が用意されるってことに、いまさら恐れおののいている私なのです。
「…これでなんの成果もなかったらもしかして借金まみれになるとか…」
国外に売り飛ばされて臓器がなくなるとかそういう落ちじゃないよね、と救いを求めるように見上げたユージィーンは「どうだかねー」と他人事のように言っていつもの意地悪チェシャ猫の顔をしている。
コンチクショウ…!自分は金持ちだから棚上げなのか、そうなのか!これだから格差社会ってやつはもう!!
と地団駄を踏む私に、少しだけ手前を歩いていたカイルさんが微笑んで振り返ってくれる。
「大丈夫ですよ、ユキ殿。王も王妃も理性的な方ですし、そこまでの覚悟で望まれているわけではありませんから」
駄目元でお考えくださいって優しいような、なんかそれはそれで期待されてなくて哀しい気にもなるんでちょっと微妙だよ、カイルさん…。
シオンさまも、ヒルダさんも見送ってくれると言ってたんだけどそうすると大事になりそうだったからお断りしたんだよね。
良かった式典とかなくて…首尾よく出来なかったときは、ドロンっていう手を考えといたほうがよさそうだ。
そういう意味ではカイルさんはお目付け役でもありそうなんだけど…でも一緒に来てくれて嬉しいです、ってエヘって笑ったらすっと手をさしだしてくれた。
ちょっとした段差なのに手を貸してくれるとか…これが噂の騎士道精神ってやつなのね!と感動してたら、横からひょいっとさらわれてカイルさんの手を取るまでもなく船に乗っていた。
「ほら、もう時間ないよ」
そんな風に意地悪に笑うユージィーンと、一瞬ふれた手にビクッとしたことを隠すようにムッとした顔を作った瞬間、聞きなれた声に迎えられる。
「確かにそろそろ出とかないと、潮の流れで出れなくなりそうだけどな」
思わず弾かれたように見上げた先には舵に寄りかかって悪戯っぽく笑っている利人、ここではリヒトさんの姿があった。
「リヒトさんも?!」
宰相である彼が船旅なんて、思いもしないことに声が裏返るほどびっくりする私に、リヒトさんが遠慮なく笑う。
「ま、それなりの用事ってものがあるんだな、俺も」
そ、それはアレかな?ヒルダさんにお使いを申し付けられたって、そういう理解でいいの??
いや、このひとは利人じゃなくてリヒトさんな訳だから、なんか自分の心変わりに気づいてる今、もとから好きだった人を裏切ってるみたいな気がして気まずいとかそういう気持ちはなんか可笑しいんだけど…!可笑しいんだけど…!
「…ふぅん。なるほどね」
後ろでぽつりと呟くユージィーンが、なんだか怖くて振り返れない。でも…気になると意を決して振り返った時。
ふわっと甘い香りがして、白い女の人の手が、ユージィーンの首に回るのが見えた。
「お久しぶりね、ユージィーン様」
黒髪、黒目の色気満点の美人が、そういって彼の頬にその唇を寄せるのを、私はぽかんと見上げていた。