かさぶたをはがさずにいられない人々
いつもいつも、一か月以上空いてしまうのろのろ更新で本当に申し訳ありません。
めげずに愛読してくれている方、本当にありがとうございます。
思いのほか、終わりが見えないヒルダと王様編。
いよいよ王様が…とおもいきや、そっちかい!というお話になってしまいました 汗
サブタイが全く浮かばず暫定でこんな感じになりました。
でもあんまりひどいので、そのうちタイトル修正するかもです。
約束だよ、と幼い少年の声がする。
搦めた指を温かく感じたのは、自分の指が冷たいからだと冷静な部分では理解しているのに。
頭の冷静でない部分では、つい思ってしまう。
それはこの約束に、相手の心がこもっていたからだと。
口約束なんて拘束力のないものを、自分が10年以上も引きずってしまったほどの心が、決意が。
でも、それが全て勘違いだったことも今では知っている。
相手は欠片も覚えていない約束を、いつまでも自分だけが大事にしている。
それがどれほどバカげた行為か、知りながら。
忘れないで。
思い出して。
叫び続ける心に蓋をして、今日も顎を上げるのだ。
傲慢にして尊大な、男嫌いの変わり者の令嬢として。
顔のそばに何かが近づく気配にハッと目を覚まして、ヒルダはその手を振り払った。
その仕草に苦笑するのは、無骨な衣装ながら見慣れた昔馴染みの姿で、その手に握られた手巾を見て、ヒルダはさっきの近づいた手がこれを取り換える為だったと気づいた。
「…カイル?どうしてここに?」
どうやら自分が迷惑をかけて、幼馴染の彼がその後始末をしてくれていることはわかったのだが。
それでもつい性格上、硬質にならざるを得ない態度とその声に、カイルは肩をすくめた。
「随分なご挨拶だな。お前が俺を呼んだんだ」
そう言われて、ヒルダは少し前の記憶を徐々に取り戻す。
クリスと一緒に執務室に向かった後、出来上がっているだろうシャーベットを取りに、長い廊下を歩いている最中で、倒れてしまったらしい。
倒れる直前にあった大きな花瓶には色とりどりの花が活けられていた。
きっとあれのうちのどれかに、ヒルダの中に巣くう病魔を刺激したに違いない。
いつもなら、気づかない程度のものでも今日はダメだった。
何故なら。
「…お前、薬飲み忘れただろう」
カイルの指摘に、ヒルダは唇をかみしめた。
自分としたことが、常の日課を忘れるなんてどうかしている。
昨日は予想外の客人に振り回されていたとはいえ、そんなことは理由にならない大失態だった。
せめて陛下の御前でなかったことを喜ぶべきかしら、と頭の片隅で思う。
そんなヒルダの様子に、カイルは眉を顰める。
「こういうことになるから、一人にしたくないんだ」
厳粛な雰囲気のある彼が、そういう顔をすると多分に威圧的で、普通の貴婦人なら震え上がるところだが。
「…いい加減聞きわけてくれ、ヒルダ」
あいにく、ヒルダはそのタイプではなく。
駄々っ子に言い聞かせるようなその台詞に、エメラルドの瞳を燃え上がらせただけだった。
「今回は、色々重なっただけですわ。次からは気を付けます」
「…一度あったことは二度あるというのは、お前の常套句だろう?!今回みたいに、誰かいないところで倒れたらどうするつもりなんだ?下手したら死ぬんだぞ?!」
「その時はカイルに死体の始末をお願いしますわ。棺はお花でいっぱいにしてくださいね」
死んだ後なら花粉付きでも気にしませんから、と付け加えた声はくぐもった。
カイルがヒルダを、力任せに抱きしめてきたせいで。
簡易とは言え、鎧に身を包む彼の体は固いし、何より自分の力をわかっていない。
「病人の息の根を止める気ですの?!」
全力で抗議するヒルダに、カイルは腕の力は緩めたものの、その腰を引き寄せたまま。
「…お前は本気で、俺にそんなことをさせる気なのか?」
どこのどいつが、本気で惚れてる女を葬りたいと思うんだと聞かれて、ヒルダは嘆息する。
「…カイルだから、お願いするんですわ」
「…プリム」
見上げる先にはほんのりけぶる蒼い瞳。
昔と違って大きくなった体と違って、そこだけは昔のままの心の鏡。
懐かしさに微笑んで、ヒルダはその頬に手を伸ばした。
かんがえてることなんて、手に取るようにわかる。
でも、だからこそ。
「だって、死んだあとは酷いってききますもの。括約筋はゆるゆるになるから糞尿は垂れ流しらしいですし、発見が遅れたら腐乱していることもあるでしょうし、もしかして野外だと野犬とか獣に食いちぎられてるかもしれませんし、そんな姿はカイルにしか見せられませんから」
「…お前、俺のトキメキを返せ」
「嘘はつけない性格ですもの」
「本気だから、余計たちが悪いんだ、お前は」
この手は取れないのだ。絶対に。
「…そうやって、いつまで一人で頑張るつもりなんだ?」
呆れたように呟く幼馴染は、聞く前から答えはわかっているはずだ。
「私が私である限り、ですわ」
いつもなら、そこで諦めてくれるのがこの幼馴染の優しさだ。
これ以上言っても聞く耳をもたない、そんな頑固さを骨の髄まで理解しているからこそ。
それでもひかなかったのは、今日の出来事でカイル自身が思い知ったから。
鳴りをひそめたからといって、消えてなくなるわけではない。
彼女の体に巣くう存在を。
これで解放されると思った体が逆に引き寄せられて、ヒルダは眉をしかめてカイルを見上げた。
「…ちょっと!いい加減にしないと…!」
抗議は途中で途切れた。
見たこともない真剣なカイルの青い瞳が、ありえない程近くで見下ろしていることに気づいたから。
キスされた、と気づいたのは、その思いのほか柔らかい唇が離れてからのことだった。
「ヒルデガルド、俺はお前を愛している」
真摯な告白が偽りでない証拠は、握りしめられた掌から伝わる熱が教えてくれるけれど。
「…それはカン違いというものです」
ヒルダはそれを振り払って、否定する。
「よりにもよって、騎士団なんて女っ気のないところに行くものだから血迷って、手近なところに転んだだけです」
「…いっとくが、お前は全く手近な女じゃない」
無骨な手が、ヒルデガルドのくすんだ金髪に伸びる。
もつれたところをほぐすように梳いて、その一房を持ち上げるカイルの目が、ヒルダの動きを制する。
「…ようやく手の届く女になったんだ。今更諦められる訳がない」
唇を寄せられて、背筋を甘やかな戦慄が駆け抜ける。
まぎれもなく、自分がカイルにとってどういう対象なのか思い知らされる行為に。
二人きりでいるということが、こんなに不安に思えたのは初めてだった。
何を考えてるのかわからない幼馴染の目に、ヒルダは今更悟らされた。
カイルは今まで、手加減していたんだと。
こんなむき出しの目で見られたことはなかった。
容易く自分をぬいとめてしまう腕も、逞しい体も。
すべて成長した男のものなのに、いつまでもどこか幼い日の面影を引きずっていた。
「…意地をはって得られる結果なんて、満足には程遠いものですわ」
それでも言い切って、厚い胸板を押し返す。
微かに震えるその手をかくすように、昂然と顎を上げて相手をにらみつける。
そんなヒルダを。
「…意地をはってるのはどっちなんだ?」
蒼い瞳が射すくめる。
「あんな約束、陛下はこれっぽっちも覚えていないんだろう?」
そんな約束に何の意味があるのか、とカイルが言う。
静かな声音なのに、否定できない位重い。
それが正しいことだから。
それでも、堪えることができなかった平手が、カイルの頬を打つ。
「…これは貴方の紳士らしからぬ振る舞いについての、仕返しですわ」
言われた言葉に傷ついたからじゃない。
そう念押しするようなヒルダの言葉に、カイルの頬に自虐的な笑みが浮かぶ。
「…お前は、何にもわかってない」
その言葉を最後に、カイルは振り向きもせず去っていった。
段々と赤みを増す頬をそのままに。
取り残されたヒルダは、かけられた上等な布団を握り締めて呟く。
「…カイルのくせに…何ですの?!」
何もかも知っていたはずの幼馴染が、急に遠くに行ってしまったような心細さを認めたくなくて。
思いがけず触れてしまった、相手の思いの深さに揺らされている自分への、心もとなさに。
ヒルダは唇をかみしめて、彼の去った扉をにらみつけていた。
どこにいても、間の悪い奴というのは存在するもので。
それは今この場においてはまさしく、私のことに他ならなかったと思う。
扉を勢いよく開けたカイルさんの胸に、思いっきり倒れ込むとか。
もうずっと聞き耳立ててたのがバレバレの今の私以外、だれがいるというのか。
つい受け止めた相手がびっくり目を見開くのに、一生懸命内緒アピールをして私は彼の体を盾に、閉まり切ってなかった扉をしめた。
なんか一瞬見えたヒルダさんがいつになく弱っている風情だったのが気になるけど。
今は、こっちのほうが優先事項だ。
私はいまだにびっくり顔の相手の腕をわしっとつかむと。
「…ちょっと、話きかせてください!」
何故私が一人で、こんなところにいたかといえば。
まあ、あらかたユージィーンのせいだといっていいと思う。
廊下から聞こえた物音に、いち早く飛んで行ったのはユージィーンだった。
あの喜色満面な様子に、口をさしはさむ余地があるわけなく。
結果、取り残されるシオン様と私。
なんていうか、微妙な言い争いの後に片方だけが残されるって、こんなに侘しい気持ちになるものなの?
いつものユージィーンだったら流すような話題に、あえて噛みついてきたそんな感じがしていただけに、私のなかでは飲み込み切れない小魚の骨のように、突き刺さったまま消化できていないから余計に。
ユージィーンは誰かに、裏切られたんだろうか。
脳裏をよぎるのは、あのお腹の傷。
一度だけ見た、ユージィーンに空いたギザギザのクレバスのような裂け目。
あれがその時の傷だとするなら。
ユージィーンの胸に残る傷も、同じくらい深いんだろう。
でもいったい、あんなのらりくらりとした腹黒男に、どうやってそんな深い傷をつけられるというんだろう。
誰が、いつ、どうやって。
「…ユキ?どうかしたか?」
具合でも悪いのかと聞いてくるシオン様の声に、自分が随分と放心してしまったことを知る。
「…あ、ごめんなさい。ずいぶん勝手なことを言ってしまって…」
思っていたことをありのままに打ち明けるわけにはいかず、とっさにすり替えた言い訳に、シオンはふっと口元を緩めた。
「いや。ユキの意見は参考になった」
裏切るつもりはなくても、相手を裏切っていることもあるのだな、と呟く彼に、私は頷く。
「言葉に出さないと、思いは伝わらないんです」
それが同じ人間を二十年近く思い続けた私の、学んだことでもある。
「約束した、と思っていても相手が忘れてたりとかね。言葉の重い、軽いって本人にはわからないもんなんですよ。自分は軽いつもりで言ってても、相手にとったら重いってこともいっぱいありますから」
「ユキにもあるのか?」
むっ。シオン様の言葉に悪気はないと分かっていても素で意外そうなその声音は、多分に失礼で。
私だってうら若き乙女で、色々あったのだと知らせたいばかりに、私は今となっては恥の記憶を晒す。
「ありますよ!将来結婚するのはお前だって言われて、こっちはいつまでもしつこく忘れてなかったのに、相手はあっさり忘れて違うやつと結婚しちゃうとかね!うっかり盛り上がってあっさりファーストキスまで奪われた私はもう、なんなのかと!」
いま思い返しても、怒りがこみあげてくる。
怒りにしておかないと、他の色んな負の感情がつられてやってきて、いまだに涙ぐみそうな自分がいるから。
まだ思い出にするには生々しい、私の傷。
それでもひっかいて、血が出ることを確認せずにはいられない。
二十年という時の重みは、そう簡単に消えてなくならないものだから。
「…ちょっと、待て。…まさか、アレが…いや、でも」
シオン様が口元を覆い隠す。
こころなしか頬が赤みを帯びていて、琥珀の瞳は定まっていない感じなのが新鮮だ。
っていうか、いきなりどうしたのこの人?
大丈夫ですか、と今度は私が聞き返そうとしたときに、ユージィーンがクリスさんを連れて帰ってきたのだ。
そして様子がおかしい王を見て、二人が一斉に私を見るけど。
いや、私こそなにがどうなってるのか聞きたいくらいなんですが。
私の皆目見当がつきませんという目に気づいたのか、クリスさんは深く突っ込みを入れず、王様に短く戻った旨を伝えると、銀色のワゴンを机に寄せた。
なにかのお話のなかで見たような、銀色のボウルのような覆いをはずせば、そこに恭しく飾られていたのは、まさしくあの樽ころがしの末出来上がったライチシャーベットで。
燦然と輝くような姿に、私は思わず目を輝かせてしまった。
こっちの世界に来てからというもの、冷たいお菓子はお預け状態だった。
こんなことなら、山ほど食べておくんだったと後悔したのも一日ではなかった。
手ずから給仕してくれる王子様にも、ついつい笑顔供給過多になるのも致し方ないところだが。
ユージィーンの目線は冷たい。
食い意地ばっかりの女で悪かったですね、と目だけで喧嘩を売る私の横で。
「…ヒルダは…」
「ヒルダ様はあいにく、手が離せないとのことで後ほどご挨拶に参ります、と言付かりました」
「そ、そうか」
自分の質問に食い気味に答えてくる補佐官に、ちょっと気おされながらシオン様はおとなしくシャーベットを突いている。
なんていうか、ちょっと腰が引けてる感じ?
あんなに会いたそうだったのに、いざ会えるとなるとそんなものなのかな?
それでも味は予想以上だったのか、ちょっとびっくりしたみたいにスプーンを眺める姿は、ちょっとかわいい。
ヒルダ様にも見せてあげたかったな。
この姿を見れば、ほんのすこしくらい優しくしてあげたくなっても不思議ではない気がするから。
思わず微笑みながら見守ってしまう私の腕を、ユージィーンが引っ張る。
「…ちょっ!てかナニするの、痛い!」
「いいから、ちょっとこっち来て」
いきなり連行されるその事実より。
無理やり引き離されるシャーベットに未練たらたらの私を、王子様は済まなさそうに、王様は怪訝そうに見送ってくれた。
「ちょっと!いきなりナニ?!」
早く食べないと解けちゃうんですけど!という思いを込めた私の一睨みは、ユージィーンの一言であっさり崩される。
「ヒルダ様が倒れた」
簡潔に告げられた事実に、私はさっと青ざめた。
泊まらせた部屋に置いてあった乳鉢がよみがえる。
思わず握りしめられた腕を握り返して固まる。
「…大丈夫。命に別状はないから」
一足とびに乱暴な結末にたどり着きそうになった私の思考を、穏やかなユージィーンの声が断ち切る。
安堵して緩んだ腕が、ぱたりと離れるのを見届けてユージィーンが肩をすくめる。
「…今は護衛隊長がそばについてるんだけど」
それがちょっと心配で、というユージィーンに私は首を傾げる。
「倒れたのは、クリスさんが一緒の時じゃなかったんですか?」
一緒に行動していたのは彼のはずなのに、と疑問に思う私に、ユージィーンはちょっと困ったように頷いた。
「いたのはクリスだけど、ヒルダさまに呼ばれたのは護衛隊長だったんだよ」
「…護衛隊長って、もしかして?」
脳裏をよぎるのはヒルダさんのお店で見た、あの騎士の姿で。
「ヒルダ様に求婚中の幼馴染、ってやつだよ」
「……それって」
もしかしなくても、シオン様的にはピンチなんじゃ…?
という私の視線に、ユージィーンが頷く。
「…というわけで、いまからユキ偵察してきて。ついでによさげな雰囲気だったらぶち壊して」
「ええ?!!!」
なにその、出歯亀全開な作戦は?!
「なんで私?!ユージィーンが行けばいいでしょ!」
他人のあげあしとりとか邪魔とか、もうライフワークのはずなんだから!
とキレる私に、ユージィーンは両手を挙げた。
「美人の恨みを買うのは、一度で十分だからね」
二度も刺されちゃ堪らない、とお道化るその口調に。
私はぐっと言葉に詰まる。
そこにあるのは私と同じ、治り切らないその傷をひっかいてしまう、自虐の香りに満ちていたから。
「…様子を見てくるだけだからね」
つい、そう答えてしまったことを後悔するのはそう、後の話ではなかった。




