笑顔の見分け方
なにか大きなひとにぶん投げられて気絶して。
気がついたらまっくらな床の上にいた。
この状況で私は納得した。
あー、疲れすぎて変な夢みたな。
台所で寝落ちするなんて末期だわー、と。
こんな日は早く養命酒を飲んで、ゆっくりベッドで寝るに限る、と思ったところで、その計量カップが行方不明で。
仕方なく床を探していたら。
そこに足があったのだ。
そして、それを恐る恐る見上げたらなんと。
こちらを無表情に見下ろす外国人と目があったのだ。
なんで?外国人が私の家に?
そして、見上げた外国人越しに見えた、月に二度驚く。
ここは、台所ではなかった。
というか室内ですらなかった。
どういうことなの?
じわりじわりと、パニックの足音が聞こえてきた頃。
何故か外国人がニッコリ微笑んできて、何事が喋ったのだ。
その瞬間、私はこの外国人が「笑っていない」ことに気づいた。
なんといってもこっちは、作り笑顔のプロなのだ。
ウェディングプルの外れの代わりに、ハッピーターンをつけとくのはどうですか?というアホな提案にも、笑顔で「地面を引きずることになりますので…」とヤンワリお断りしなくてはならない立場なのである。
しかし、問題はこの外国人が「笑っている」ように見せかけているかなのだが。
ざんねんながら、肝心の彼の言葉は短すぎて、英語なのかなんなのかすら分からず、顔立ちからフランス人かと、山をかけてみたのだが。
「あ?あれ?」
渾身のフランス語にも反応がなかったことに、私は大いに戸惑った。
茶色の髪に、茶色の瞳。
日本人にだって無いことはない、そんな色。
それでもこの人が異国の人だ、と感じたのはその顔立ちにあった。
なんと言うか貴族的な顔立ちだったのだ。
それは、彼の服装にもあったのかもしれない。
ゆったり目のドレスシャツに、タイトなズボンと黒いブーツ。
何処と無く、前時代で貴族的な装いはまるで、なにかの出し物かアトラクションのキャストのようで、私は思わず昔のテレビ番組を疑ってしまう。
まぁしがない一般人の私に、そんな大掛かりなことするわけないんだけども。
でも、今のところ私が置かれているこの状況を、説明できるのはこの人しかいないわけで。
相手を伺えば先程、計量カップをぶち当ててしまった額を押さえるようにして、やはり困惑しているようだった。
…そうだった!私はいきなり攻撃してしまったんだった!
日仏友好関係は既に破綻していた…
でも、あの瞳。
カラーコンタクトでは、絶対にだせない綺麗なオーク色の瞳に見つめられると、何故か背筋がざわついて。
勝手に体が動いてしまっていたのだ。
ど、どうすればいいんだ?!
そんなとき、ひょっこりと救いの神様が現れた。
少し銀色っぽく輝く白髪に、グレーの瞳。
いかにもドイツ!な少し厳つい顔と対照的な、柔和な雰囲気の人。
見慣れたシェフ帽子姿ではなかったけど、白い前掛けをしている、その人に私は全力で飛び付いた。
「オットさーん!助けてー!」
オットカー・ライナルド・シュレーダー。
夫なだけにオットカー、という鉄板ギャグをもつこのドイツ人は、社長の旦那様である。
あの社長と何故、結婚したのか全くわからないのだが、結構な大恋愛だったらしい。
…ますますもって、謎てある。
しかし、大事なのは彼の婚姻歴ではなくて、語学力なわけで。
「オットさん、あの人と話して!」
ドイツとフランスなら近いし、何となく伝わるかもしれないし。
何より彼なら日本語がわかる。
…はずなのたが。
オットさんは、その彫りのふかい顔立ちを、曇らせて、抱きついた私をそっと下ろした。
「私は…オット…?という者ではありません。見知らぬお嬢様」
「え?!そんな…」
その言葉に、オットさんを見上げれば。
至近距離でみたその瞳は、グレーよりはしろっぽく、例えて言うなら白銀のような、みたことのない目の色をしていた。
それに。
私は思わず頬を染めた。
この、オットさんは渋くてカッコいい。
どことなく私の好きな、あの外国人俳優に似ていた。
「でも、そしたら私は…どうやってあの人と話をしたら…」
再び、途方に暮れてしまった私にオットさん(偽)は、何故か笑いを堪えるような顔をした。
「とって食われはしませんよ。普通にお話すれば大丈夫です、私にたいするように」
え?いや、その怯えてるからとかではなくてですね、言語的な壁があるからですね…
て、え?
「オットさん…日本語を喋ってるんじゃないの…?」
私の疑問に答えたのは、推定フランス人の方だった。
「なに?そのニホンゴって?君は東の帝国から来たんじゃないの?」
聞こえてきたのは、流暢な日本語。
しかし、相手は日本語を知らない。
ということは、私はなにか違う言語を日本語に翻訳して聞き取っているらしい。
その上に聞こえた、なにやら知らない国の名前。
私の背中を嫌な汗が伝う。
この状況は、なにかに似ている。
現実ではない、本や映画でみる出来事。
「ここ…どこですか?今は西暦何年??」
少なくとも現代の、日本のどこかと信じきっていたそこ。
フランス人とオットさん(偽)は、示し合わせたように顔を合わせると。
オットさん(偽)が、口を開く。
「アルムニア国の領海上でございます。西暦…はなんのことか存じませんが、太陽王の治世となり、3年目を迎えております」
静かな声が告げた、よくわからない言葉の羅列が意味することに、私の足から力が抜けた。
なにかわからない存在に、つまみ上げられてほおりなげられて。
私は日本でも現代でもない。
全く違う世界に落っこちてしまったらしい。
へたりこんだ私の膝に、養命酒が当たってたぷん、と音がした。
異世界トリップという、不測の事態に。
私の脳裏を去来した思いは。
あぁ…明日の結婚式に欠席する連絡を、どうやってしたらいいのかな。
ということだったのには、我ながらどうかと思う。
でも、同業者として、連絡のない欠席がどれだけ迷惑かは身に染みてわかっていた。
そういうことを考えていないと、何か意味はないけれど、叫び出してしまいそうで。
私は寒さなのか恐れなのか、分からないなにかに体を震わせながら。
この世界にある、唯一の私の世界のものを、しっかりと抱き締めて、ひたすら欠席者が出たときの対応をさらっていた。
「どう思う?あの娘の話」
ユージィーンの言葉に、さすがの凄腕諜報員も肩を竦める。
視線の先には、娘に与えた船室のドアがある。
ザイフリートの郷里は、徹底的な女性上位のところであるために、彼が彼女には部屋があるべきだと主張したことで決まったそこに、却って恐縮しながら、部屋に消えた少女。
彼女がした話は、荒唐無稽ともとれるものだった。
「私には…分かりかねますな。しかし嘘ならもう少し、疑われないような嘘をつく気がしますが」
ザイフリートの言葉に、ユージィーンも同意せざるを得ない。
ハルカワ ユキ、と名乗った少女は青ざめていたが、とても落ち着いていた。
「セイレキ2014ネンの、ニホンという国からここに、とばされてきました」
そう語った彼女は、それがここからはどうやって帰れるところなのかもわからない、と付け加える。
「でも、私は帰らなくてはいけないんです…」
紙のように蒼白になりながら、そう告白する姿に嘘はなかったように思う。
しかし。
「あえて、調べようがない嘘をついた、というということもあるよね?」
誰もいけない、知らない国なら、身元も調べようがない。
そうまでして、この船に乗り込んできた目的は不明だが。
異世界からきたという娘。
手放しで信じることはできない、な。
そんなユージィーンを、ザイフリートは少し眉をひそめてなにか言いたそうに見つめていたが。
やがて、ため息をついて立ち上がった。
「では、あの娘をしばらく同行させるのですね? 」
ザイフリートの言葉に、ユージィーンはあることを閃いて微笑んだ。
それはとびっきりのイタズラを思い付いた子供の顔で、ザイフリートは嫌な予感に身構える。
「うん。そうしようかな」
新婚になった友人の妻、かつての義理の娘の、ある特技を思い出したのである。
その力は失われていたが、彼女なら或いは何かを感じ取れるかも知れなかった。
この男の名案は、回りにとっての面倒であることを知る執事は、ため息をつきながら、嵐の前触れを知らせるべく、鳩を用意するためにその場を後にした。
食料庫の在庫を思い描いて、今後の航海に支障が出ないか、確認しながら。