側近たちは暗躍する
ご愛読いただきありがとうございます。
いつもいつも更新が遅くて申し訳ありません。
今回は外野の頑張り編です。
海を行く船の上、というのは密談に適している。
でも、それだけで目の前にある相手はここを選んだわけではなさそうだった。
「…なぁ、伯父貴。なんでこんなことしなきゃならねーの?」
洋上を行く船を、いま操舵しているのはリヒト自身だった。
納得できないのは、そうした様々な生きる術を教えたのは目の前の相手だというのに、なぜ今更それを確認…それもさながら試験のようにされなくてはいけないのかということだった。
「宰相ってやつに、いまさら船の操舵術なんて必要ないんじゃねえの?」
リヒトの質問に、伯父貴と呼ばれた人物がその白銀の目を細める。
ユキを安心させるその瞳は、今は冷淡に輝くのみでそこに感情は一切込められていなかった。
「…情でも移ったか?」
その声に、知らずリヒトは背を伸ばした。
伯父貴と呼びながら、二人に血縁関係はない。
あるとしたらそれは「同じ種族」であり、それがもう失われたということだけだ。
ただ特殊である、ということでつながっている絆。
「…これでも、自分のやること位はわかってる」
流石にここまで来てしまえば、自分の力でも探れない。
王城ははるか彼方に、その先端をのぞかせるのみだ。
それでもそこにある未練を見抜かれたようで、リヒトはその目を相手に向けた。
「俺の役割は見張りだ。あいつが軌道をそれないかどうか。それを見張るだけの」
それがこの特殊な男、ザイフリートから命じられたことだった。
自分の代わりにあの年若い王を見張ること。
もし「軌道」にそれることがあれば、その時は。
命を持って、償いをさせろと。
嘗て黒狼の乙女のもとで、寄り集まった異能の集団。
「森の民」と呼ばれたその種族の始めは、乙女と黒狼との間に生まれた混血児たちだった。
神に近い不老不死の存在と、只人の子供。
それらは往々にして人非ざる力を持っていた。
そして、総じて長命であった。
しかしそれも永久ではなかった。
代を経るごとに、一族は短命になり、力も薄まっていった。
やがて、乙女が消え、黒狼が姿を消し、自然となくなるはずだった種族をいきながらえさせたのは、人間にうまれながらどういうわけか異能に恵まれた子供たち。
親が持て余して、森に還しに来るその子たちを育てて、森の民はひっそりと生き続けた。
あの決定的な事件が起きるまでは。
幼かった自分にも、いや幼かったからこそ焼き付いている光景。
幼いながらにすでに一族の役に立つ力に恵まれていたリヒトは、その日仕事に出て里を離れていた。
だから彼が見たのは、すべてが黒く染まった故郷だけ。
すでに劫火に焼かれ、跡形もなかった里の、なれの果てだけだった。
金獅子を召喚する。
世の理を捻じ曲げるような、そんな強引な手を選んだかつての里長のお蔭で、全ての精霊を失った森の民は姿を消した。
すでに血は薄く、彼らの力の源は失われた。
それは一族に長らくあった「血の呪縛」からの解放でもあった。
市井に紛れても、すでに生きていけるほどに彼らは人間に等しくなっていたから。
しかし、異能であるということで切り捨てられ、人間でありながら森の民となったものたちはそうはいかなかった。
精霊ではなく、自然と身に付いた異能は消えない。
そして、それらの多くは里のために磨かれてより鋭利になってしまっていたのだから。
彼らは市井ではなく、闇にまぎれることを選択せざるを得なかった。
世の影を生きる、諜報の世界。
そこでなら、彼らの異能はすべて歓待されてしかるべき「特性」であったから。
森というよりどころを失い、闇の世界を選んだ者たちをいつしか「月の民」と呼ぶようになったのは誰が始めかわからない。
寝付かない子供に「遅くまで起きてると月の民に攫われるよ」と脅かすように。
その名前がいつしかお化けや、妖怪の類に分類されるようになったのも。
でもあながち間違ってはいないと彼は思う。
自分たちは「過去の亡霊」なのだと。
世が熱狂して迎え入れた、金獅子王という人物の、決して許されない過ちを糾弾する存在。
そうであらねば、失われたものたちに示しがつかない。
だから、情が移るなんてことはあってはならないのだ。
ちゃんとわかっている、と気負う彼に、珍しく相手は唇をゆがめた。
かろうじて笑みとわかる程度の笑顔。
「…それならそれで、結構なことだ」
そこまでの器量があるというなら。
「それは本物の、為政者ということだからな」
因縁のある相手でさえ、魅了せずにはいられない。
それは父親の恵まれた才の一つだ。
「…伯父貴?」
想像を絶するほどの昔から、時の移ろいをみていただろうその眼差しに、リヒトは背筋を走る悪寒を隠す。
行先のしれない海にこうして浮かんでいるからか。
どれほどの時を生き、いつからその姿かさえ誰も知らない男が、消えていなくなる不安に駆られた。
思わずかけた声に、おびえが混じる。
得体が知れなくても、冷たくあっても、彼にとってこの男は育ての親であり、今は一族の還る場所そのものだったのだ。
数多の精霊を宿して、泰然とたたずんでいたあの里の大木のように。
いつもゆるぎなくそこにあり続ける人。
相手は、リヒトの声にこたえない代わりに、その白銀の目を海の先に向けた。
「…氷を仕入れた先で、不穏な噂を聞いた」
それはもっとも活発だと聞く、東方の大帝国ではなく、西を向いていた。
不思議な力を持つという少女を崇める、神聖にして不可侵とされる奇妙な王国の方角を。
「…草原が割れたらしい、という、な」
その言葉にリヒトは眉をひそめた。
「そんなバカな…割れるも何もあそこは元々バラバラみたいなものじゃないか」
草原、それは東と西の間に位置する広大な土地を指すとともに、そこに住まう人々を指す言葉だった。
優秀な騎馬民族である彼らは「風の民」と呼ばれ、その特殊さで大国同士の間を渡り歩いていた。
彼らは東にも、西にも味方をする「プロの傭兵」集団なのだ。
そのためには一族同士、相争うことも辞さない。
例え親と子に別れようとも、実力のあるほうが生き残ればいい。
それが彼らの行動原理だった。
国という形すらない、烏合の衆が分かれるとはどういうことなのか。
そんなリヒトの疑問に、ザイフリートは目を細めた。
「…バラバラな連中がなにかの力でまとまった。まとまったからこそ、違う思想の相手と対立が生まれた、ということだ」
問題は、とつぶやいて白銀の目がリヒトを映す。
「…誰の作為が働いたのかということだ」
その質問の答えならば、きっと出せるだろうというその目に、リヒトはぐっと眉間に力を込めた。
東と西に挟まれた草原。
どちらにも味方をすることで、どちらからも飲み込まれないことを選択した地を今、偏らせようとしているのは。
「どちらの帝国でも、こちらに波及してくると伯父貴は思っているわけだな?」
「それは違う」
間髪を入れず否定されて、リヒトは目を瞬いた。
その驚きにか、ザイフリートは今度こそ微笑んだ。
猛禽類のように鋭く、温かみのかけらもない無慈悲な笑顔を。
「もうすでに、波は来ている」
「…まさか」
自分の耳はとらえていない、そんな気配をこの人物はどうやってとらえたのか。
そんな声の疑問に、ザイフリートは白銀の目を細めた。
「お前はまだ年若い。目に見える変化は追えても、それ以外は手に余るということだ」
その言葉に責める響きはない。
ただ事実を淡々と述べる相手に、悔しいよりも圧倒されてリヒトは黙った。
目に見えない変化。
それがなんであるかは、自分には今はわからない。
ならばいつかは、わかるようになって見せる。
その決意を込めて、見返した瞳が今日初めての色を宿す。
どこか優しく温かい、その目で男は問う。
「その目で、見てくるか?」
いま大国間の均衡を、ひそかに突き崩しつつあるものの正体を、この目で。
それは今の仕事ではなく、新たな仕事への誘いであり、さらにはリヒトの資質そのものに対する問いかけのように思えた。
それを絶対服従させる命令ではない言葉で、彼が自分に問いかけた。
そのことに、奮い立つ。
守り教え諭す庇護対象ではなく、いつか並びたつ日を夢見て。
「…いいのか?伯父貴」
それは任された任務への問いであり、その任務を放棄することへの逡巡でもあった。
その質問に、ザイフリートは白銀の瞳を王城に向けた。
その瞳にある表情に、リヒトは思わずぽかんとした。
「…城はもう大丈夫だろう。お前の数百倍は頼りになるお方が付くはずだから」
むしろここまでお膳立てをして、手に入れられないなら酷いものだ、と。
誰に対してかつぶやいたその目は、確かにおかしそうに笑っていたのだ。
その笑いをききつけたように、一匹の鳩がその頭上を旋回して、肩に舞い降りてくるのを呆けた顔で見つめ、リヒトは遥か彼方の城を思った。
誰に、なんてわかり切ったものだが。
あの王をして手こずらせる、その助っ人とやらがどんな姿をした奴なのか。
それくらいは拝んでみたいものだ、と自分の頬も緩むのを感じながら。
「…ちょっと、こっちは違う方角じゃありませんこと?!」
「ああ、すみません。ちょっと執務室に忘れ物をいたしまして。申し訳ないんですけど、おつきあいいただけます?」
見目麗しい王子様のくせに、これでも3年前は姉の後ろをくっついて回るどこか臆病そうでそれこそ女性よりも女性らしかったくせに、いつのまにこんなにふてぶてしく図々しい男になってしまったのか。
それを成長と思うよりも、どこか悔しく思うのは。
そんな優男でもがっちりと腕を掴まれれば逃げられない、自分の女としての弱さになのだろう。
力ではかなわない、そんなことがたまらなく腹立たしい。
「なんで、私までいかないといけませんの?!」
「一人にすれば、逃げてしまわれるからです」
ニコニコ微笑みながら、毒を吐く。
まるであのオールブラウンの青年を見るようで、ヒルダは鼻白む。
「…貴方、嫌な男に似てきましたわね」
ヒルダの言葉に、クリスはくすりとほほ笑む。
「逃げることは、否定なさらないんですね」
どんな時も嘘はつけない。
それがヒルダの性質だから。
「…どうして、そうまで避けるんです?」
だからこそ、クリスは不思議なのだ。
「一般的な感情なら、きっとすっきりされない間柄だと思いますけど…貴方ならあの方の置かれていた事情を理解できるはずです」
壁に大穴を開けながら、警備上の不備を矛盾を、いともたやすくついてくる。
この人はただの令嬢などではない。
特別な目を持った女性なのだ。
統治する、それも国を統治するという目を持てる女性。
「僕には、貴方にはそれ以上に…シオンを避ける理由があるとしか思えないんです」
一度は見捨てられた元婚約者という以上に。
違う王に仕えた側妃という以上に。
シオンのむき出しの、それでいて本人自身はそのことにかけらも気づいていない、そんなどこか純粋すぎて幼い好意を。
突っぱねざるを得ないそんな事情がきっと、この人にある気がして。
「…嫌いだから、顔も見たくない。それではいけませんの?」
返ってくる硬質な返事に、クリスはふっと微笑んだ。
「それなら、面と向かって王にそう言ったらどうですか?」
それが嘘ではないというのなら。
例え相手が王様でも決して、遠慮なんかしない。
それがヒルデガルドという女性なのだから。
その言葉にヒルダは顔をしかめただけで、そうするともしないとも言わなかった。
ただ、そのエメラルドの瞳をきつくしてクリスをにらんだ。
「はやく忘れ物とやらを、探して来たらどうですの?」
たどり着いた部屋の前で、イラついたように足踏みをしながら。
その部屋に足を踏み入れてすぐに、ヒルダは眉をしかめた。
「…なんです?この散らかりようは」
所狭しと詰まれた書類に、占拠された二つの机。
酷いことには所々雪崩を起こして崩れ、応接セットと思しき机といすも占拠されて用をなしていない。
彼女が側妃として仕えていたころとは比べようもない惨状だった。
眉をしかめる彼女に、かろうじて座れる椅子を示しながら、クリスはちょっとばつが悪そうに頬をかいた。
「…これでも片づけた方なんですけどね」
「…これで?」
「はい…すみません」
その視線の厳しさに負けて。
貴族の陳情書はどれも長くて、とクリスが愚痴る。
「要点が伝わらないことがほとんどで、私もシオンも時間が割かれてしょうがないんです。かといって全て鵜呑みにするわけにもいかなくて」
その言葉に、眉をひそめてヒルダが机にこぼれていた書類をにらむ。
偶然にもそれはシオンが、見ていたものと一緒で。
ものの数分でそれを読み解いて、彼女は舌打ちする。
「…金の無心をするまえに、今あるものを有効に使えと、私なら言いますわ」
紙の無駄、と図らずもシオンの妄想通りの台詞を吐いて、彼女はクリスを見つめた。
「考える気のないものに、考えさせるだけ無駄というものです」
だからこんな面倒な代物が出来上がるのです、とまるで毛虫のようにつまみ上げた書類をヒルダは睨む。
「…といいますと?」
促すクリスを横目でにらみ、ヒルダはそっぽを向いた。
「…探し物はどうなりましたの?」
思わず相手の策に乗りかけた自分に、危ういところで気づいた相手に、クリスは苦笑した。
ここで解決策を出してくれたなら、それを元に出仕してもらうことを考えていた。
責任感の強い彼女のことだから、一度手をだしてしまった案件なら、きっと最後まで付き合ってくれるはずだ。
すんでで交わされたことに、ほんの少しのがっかりを混ぜたため息をつき、クリスは「忘れ物」を取り上げた。
その包みにヒルダが眉をしかめる。
「…それは?」
その言葉にクリスはにっこりとほほ笑んで包みを抱えた。
ヒルダの店の銘が入った紙袋を。
「シオンが大事に持って帰ってきたものです。早いうちに召し上がられたほうがいいかと思いまして」
ヒルダ様の献上品にも合うと思いますのでね、と付け加えればエメラルドの瞳がほんの少しだけ揺れた。
そうですか、とつぶやくその口調ににじむものを感じて、クリスは吹き出しそうになる自分をかろうじて抑える。
素直すぎて駄々漏れの思いを抱える王と。
複雑すぎて素直になれない女王様。
正反対すぎて、あわないような。
これ以上ない組み合わせのような。
一つだけ言えるのは。
こつ、とガラスをたたく音にクリスは振り返る。
そこに赤い瞳の鳩が止まっているのを見て、クリスは微笑んだ。
この鳥が来たということは、リヒトは了承したのだろう。
すなわち、彼女を招く口実は整ったということで。
クリスはここにいない王に囁く。
これだけお膳立てされて、それでも彼女が落とせないならもう知りませんからね。
「…それでは参りましょうか」
お付き合いいただいてありがとうございますと頭を下げるクリスに、憮然と立ち上がるヒルダ。
その後ろに付き従って扉を閉めながら、クリスは胸の内に呟いた。
これだけ周りを振り回しておいて、上手くいかないとしたら。
恋というのはなんと面倒で、一筋縄ではいかないものか。
少なくとも自分の身にそれが降りかかるときには、こうはなりたくないものだな、と。




