不可抗力と素質について
ご愛読ありがとうございます。
なかなか城にたどり着けない二人…
ようやく空が明けてきた。
熟睡して体は快調なのに最低な気持ちで目覚めを迎えて、私は思わずため息をつく。
原因はもちろん、気持ちよさそうに熟睡しているこの男。
気持ちよさそうな寝息が、前髪を擽ってムズムズする。
結局一晩中、閉じ込められ続けたその腕を抜け出しながら、私はげっそりとつぶやいた。
たしかに、触りはしなかった。
着衣に乱れはないけれど、大事な何かを失った気持ちはする。
「これは…手をだすって範囲に入らない訳…??」
やはり、こいつは天然でたらしだ。
確定。
恥ずかしい泣き顔を見せた後に、慰めるようにベットまで送ってくれたユージィーンだったが。
それでじゃあねとは去っていかないところが、この男のこの男たる由縁だ。
弱ってるときこそ、一気呵成に攻めるべし、という考えが茶色の瞳に透けて見えるから。
「大丈夫、合意もないのに手を出すほど飢えてないから」
「ちょっと!!」
その爽やかな笑顔はどす黒いんだっていうの!
「だって、俺の部屋用意してくれてないんだもん、ヒルダさま」
「え?!」
そんな…!でもあり得る…だってユージィーンだもん!
寝袋持たせて外で寝て来いって言われててもおかしくない。
「明日は敵地な訳だし、こんな俺でもちょっと緊張とかするし。やっぱり大事じゃない?体を休めるって」
いや、前半は確実にウソだろ!
でも、言ってることは確かにそうだし、残念ながら私の頼みの綱はユージィーンの交渉力なわけで。
とにもかくにも、考え込む私の隙をついて、そそくさと布団にもぐってきた奴をたたき出すには、すこしだけ弱みを見せすぎていて。
隣で寝るくらいならいいかと、仏心を出したが運のつき。
気が付けば抱き枕よろしくがっちりと抱き込まれていて、それに気づいたが最後。
自分のモノとはちがう体を意識せずにはいられなくて。
「ちょっと…!」
起こそうと目線を上げた先にあるものに、私は思わず声を呑んだ。
いつもの茶色の瞳は閉じられて、睫が影を落とす寝顔は思いの外幼い。
どんなに底意地が悪いやつでも、寝ているときは天使なのだな、と妙な感心をする私。
ちょっとかわいい…いや、ユージィーンに可愛いって何だ?!
そういえば可愛いというのは、生来備わっている防御本能なんだと何かで聞いた気がする。
無防備な時ほど、可愛いと思わせる。
それは、力を持たない赤ちゃんの時からある本能みたいなもの。
そう、だから可愛いとかおもっちゃうのは、不可抗力だ。
間違いない。
…それに、寝ているユージィーンは嫌味を言わないし。
自分のものと少しだけ違う温かさに、すっぽりと包まれるのは気持ちが良かった。
抱き込まれて、耳のそばにある心臓は寝ているせいか、ゆったりとしたリズムを刻んでいて。
なんだか落ち着く。
はっ…!いや?!落ち着くとかそんなことないでしょ!
だってユージィーンだよ?!
体中に危険ってはっといたほうがいい位の、そんな男だというのに!
そ、そういえば、赤ちゃんはお母さんの心臓の音を聞くと安心するって聞いた気がする。
人は無条件に、安心するのかもしれない。
違う誰かが、自分のそばに確かに生きている証を感じるだけで。
だから、これもきっと不可抗力だ。
妙に、離れがたくなってしまっているなんて。
意地が悪くて、何を考えているのかわからないけど、きっと八割がた碌な事じゃない。
そんな男なのに。
どうして、私はこの腕の中を嫌だと思えないんだろう。
そんな悶々とした思いも、眠気には勝てなくて。
いつの間にか、私もぐっすりと眠ってしまっていた。
そう、熟睡してしまったのだ。
この男の腕の中で。
「…いや、でもあれは不可抗力…不可抗力だから…」
頭を冷やすべく、早朝の庭にでた私。
王宮のものと比べるとお花の数は少ないけど、飾られている花器の一つ一つ、花の向きや葉のむきまで計算されているそのお庭は、とてもヒルダさんらしいものだった。
綺麗である、という状態を完璧に作り上げる。
その裏側は一切みせないように。
結婚式は夢の総決算だ。
すべてが夢のようでなくてはならない。
そこにたった一つでも裏返ってしまった葉があれば、他のものよりも際立って残ってしまうのだから。
くすんだ金髪の、豪奢なエメラルドの瞳を思い浮かべる。
ヒルダさんの美しさも、この庭に似ている。
決して、葉の裏側を見せない人。
私の脳裏に浮かんだのは、昨日のやり取りだ。
男は必要ない、と断じたその言葉。
どうして、ヒルダさんはそんなに男の人を嫌うんだろう?
なにか、過去に嫌なことがあったんだろうか。
あれだけの美人で、あんな性格のお姉さまを痛い目に遭わせられるひとなんているの?
そう首をかしげる私の鼻を、ふわんと甘い香りが擽った。
どこかオリエンタルで、豊潤でセクシーな香りは。
「ライチだ!」
私はその香りに引き寄せられるように、ふらふらと歩き出した。
たどり着いたのはお店の裏、厨房にあたる部分だった。
そこにあったのは、予想通り粗布にあげられた剥きたてのライチで。
その前には、片っ端から機械のごとき正確さで皮をむいて、積み上げているヒルダさんの姿があった。
くすんだ金髪を結い上げて、いつもより機能的なシャツとズボンを身に着けているその姿は、普段よりも砕けていて、どこか普段よりも柔らかく見える。
柔らかく、というよりもなんだろう…どこか不安そうで、緊張しているような。
ユージィーンではないけれど、ヒルダさんにとっても王城というのは特別気が張るところなんだろうか。
「おはようございます」
遠慮がちにかけた挨拶に、はじかれたように上げた頬には少し緊張がのこっていたけれど。
それでもその豪奢なエメラルドの瞳は、常と変らず強く美しくて。
「お手伝い…」
「手伝うということは、まず自分のことができてからいうものですわ」
びしっと返してくる言葉も相変わらずで。
「年頃の女が、そんな寝起きの顔でうろつくものじゃないですわ」
それでもそんな言葉をかけながら、私の目元をかすめる指は優しい。
ユージィーンの常人にはできないアレのおかげで涙はすぐ止まったはずだけど。
きっとこの人にはお見通しだったんだろう。
目ヤニついてます、と拭われて私はそそくさと顔を洗った。
朝から完璧な美人に言われると恥ずかしさも倍増である。
ようやく身だしなみが整った…最低限だけど…の私の前にヒルダさんが差し出したのは林檎だった。
私が見るものより小粒で、色も赤というよりは黒に近いけれど匂いはたしかに林檎のそれを籠いっぱいに持たされて思わずよろめく。
「これ、全部皮むきしてちょうだい」
「は、ハイ…」
立ってるものは倒れるまで使え。
そんな声が透けて聞える、女王様が相手では。
衆愚は黙して従うのみである。
手伝うとかいうんじゃなかった…て思ってみても後の祭り。
でも体を動かすのは嫌いじゃないし。
ヒルダさんには並々ならぬ恩義もあるんだし。
と意を決して私は林檎に手を伸ばした。
その質問を投げかけたのは、なんでか自分でもわからない。
でも思い出した昨日の光景にひきずられるように、あの男前の人が言っていた言葉がよみがえってきたからなのは間違いない気がする。
「ヒルダさんは…どうしてカイルさんじゃダメなんですか?」
幼馴染の自分なら、全部を知っている。
それなのに、なんでダメなのか?って。
あれはそのまま、私の疑問だったのだから。
私の質問に、ヒルダさんのきれいな額にしわが寄る。
「…貴方も、その質問なわけ?」
貴方もってとこが良くわからないんですけど!
でもものすごく不機嫌になったところを見れば、この人にそんな顔をさせるのなんて一人しかない気もして。
ユージィーンのアホ!なんかとばっちりが来てるんですけど?!
美人の怒り顔は他のヒトより数段恐ろしい。
その迫力にやっぱごめんなさい、忘れてください、と否定しかけた時。
ヒルダさんが最後のライチを籠に入れて、ふっとため息をついた。
「知っているから、駄目なことだってあるんですわ」
すっとたちあがった彼女が、髪の毛をほどいた。
広がるのはくすんだ色の金髪。
「…この髪の色はね、薬の副作用なんです」
ずーっと昔にした病気で、薬を飲み続けているという彼女に、枕元のすり鉢の意味がわかった気がした。
アレはきっと、その薬をつくっていたものなのだろう。
小さいころにした病気。
ヒルダさんのそれは、この国の医療では完治は難しく、ただ進行をとめるための薬を飲むしか手段がなかった。
たとえその薬に副作用があっても。
髪や瞳の色に飽き足らず。
「子供が授かりにくくなったとしても、ね」
そう淡々と語る瞳は、すべての感情を通り過ぎてきた色をしていた。
悲しみも、怒りも、絶望も。
全部を通り越して、全てが遠くなった綺麗で、哀しい瞳。
「カイルはそれでも、結婚したいって」
子供がなくても、自分の家は大丈夫だからと。
君に肩身の狭い思いはさせない、とそう言って。
「…いい人、ですよね?」
全ての弱みを受け入れて、それでも相手を求めてくれるなら。
その手にすがったっていいんじゃないか、と。
そう声をかけた私に、ヒルダさんは微笑んだ。
「確かに、カイルはいい人でしょうね。でもそれだけ」
それはざっくりと私を切り付ける、刃のような言葉だった。
それは利人に対する私そのものだから。
良い人、いいともだち。
でもそれだけ。
じゃあ、それだけじゃなくなるには?
言葉を無くす私に、ヒルダさんは少しだけ瞳を泳がせた後、ぽつんとつぶやいた。
「戦わないで、手に入るものなんて…興味がないんですもの」
それは正しく女王様らしい、傲慢ともいえる一言だったけど。
どうしてか、どんな言葉より本心からの気がした。
葉っぱの裏からのメッセージのように。
重たくなった空気を換えるように。
ヒルダさんは大きな桶のなかにライチをくるんだ粗い布を落とす。
慌てて片端を持てば、ずっしりと重いそれは鈍い音をたてて、桶のなかに落ちた。
そこに私が剥いた林檎も入れた彼女は、おもむろに靴を脱ぎだした。
「何、ぼーっとしているんですの?ほら貴方もやって!」
そうやって私の靴も脱がせて桶に入れると布の下でコロコロとライチの身が転がるのが分かる。
「…なんかっ、くすぐったいです!!」
「そのくらい我慢しなさい!ほら、力いっぱい踏みしめて潰して!」
言われた通りに、布越しに踏みつけると柔らかい果肉がつぶれてライチの香りが一層強くなる。
しかしその、ぶにゅうという感触になんともいえない気色悪さがあって、ぞぞぞっと背筋が泡立つ。
例えていうなら、カエルを踏みつぶしちゃった感じ??
「ストレス解消にはやっぱりこれですわね」
傍らではヒルダさんがそのおみ足でみごとにライチを潰していた。
なんていうか…踏みつぶすというその仕草が絵になりすぎてちょっと…。
流石女王様だわって!
「キャー!気持ち悪いー!!でもなんかハマってきたー?!」
体感したことのない感触に、おかしなテンションになってくる私に、ヒルダさんがその眉を吊り上げて、それからにっと笑ってくれる。
「その調子よ…素質あるんじゃなくて?」
それは女王さまとしてのですか?!
挙動不審になる私に、ヒルダさんの豪奢な瞳が柔らかくなる。
「ほら、ユージィーンだと思って、力いっぱいやってみるのよ?」
でもそんな言葉に、浮かんでしまったのは。
今朝目にした、やすらかな寝顔の方で。
私は思わず赤くなる頬を押さえた。
いや、この妙にこっぱずかしい感じは違うんだと。
踏みつぶした後のライチの香りがつよすぎて、
なんだか酔っぱらってるみたいな気持ちになってきたから。
そんな私に少し驚いたようにエメラルドの瞳を見開いたヒルダさんが。
いかにも憎々し気に舌打ちをして。
「…全く…主従そろって始末に負えない手の早さですこと…」
そうつぶやいていた言葉は、一生懸命力強く踏みつぶそうとしてやっぱりダメだっとなんだかわからないジレンマに陥っていた私の耳には遠かった。




