甘くない菓子屋店主、お使いを申付ける
いつもご愛読ありがとうございます。
亀よりも鈍い鈍足更新ですが、のろまなりに頑張ります。
「…そちらの事情は分かりましたわ」
ユージィーンの説明を聞き終えた、ゴージャス金髪美女、ことヒルダさんは優雅にカップをソーサーに戻した。
洗練されて無駄がないその所作は、正しく鉄壁の美女といった感じで、なんだかなんにもしてないうちからひれ伏したくなる感じだ。
「…ですが、私が協力してあなた方を王城に送り届けたところで、どんなメリットがこちらにありますの?」
ひたと見つめる瞳はエメラルドのよう。
強くかがやくその目を、ユージィーンはさらりと受け流した。
「そこは、ご好意に甘えさせていただくというか。困った女性を助けるのは、ヒルダさまのご趣味でしょ?」
ユージィーンのからかうような物言いに、美人の眉間に縦皺がくっきりと刻まれる。
「趣味と仕事はきっちり分けるタイプですの、貴方と違ってね」
「あ、痛。地味に刺さるんでやめてほしいなぁ」
ちっとも心が感じられない言葉に、ヒルダの手がぎゅうと握りしめられるのを、隣に座ったオリガさんが慌てて制している。
「ヒルダは、落ち着いて…ユージィーンは遊びが過ぎるわ。どうせ追手を撒いてる最中なんでしょう?そろそろ、煙幕も切れる頃じゃないの?」
オリガさんの的確な指摘に、私はハッとしてユージィーンを見つめる。
確かに彼は、紅華ちゃんには危険は及ばないと言っていたけど、解放されるなら早いほうがいいにきまっている。
私はきつく握られたヒルダさんの手をとった。
「ユージィーンがお嫌いな気持ち、スッゴクよく分かります!私も話す度に殴りたい気持ちを抑えてるから、本当によく、わかるんです!」
力説する私に、ユージィーンの目線が刺さるけど今はそれどころじゃない。
「でも、私にはユージィーンしか頼る人がいなくて…そのユージィーンがお城に行くには貴女の助けがいるって…私、どうしてもお城に入りたいんです…!!」
ぎゅうと力を込めて握れば、エメラルドの瞳からキツい光が抜けて、その白い頬に僅かに赤みがさす。
「わかったわ!分かったから…手を離しなさい…!」
「ありがとうございます!」
元気よく頭を下げた私のオデコを、横から伸びた手が守ってくれたお陰で、机に打ち付ける前に上げることができた。
「…ありがとうございます」
反省を生かせず、二度もおなじ間違いを犯すところだった私を助けてくれたのは、オリガさんだった。
「ユキさんって…なんだか放っておけないわね」
そんなことを呟いて、オリガさんがくすりと笑う。
「ユージィーンが夢中なのもわかるわ」
「でしょ?」
「だから!その誤解を招く言葉はやめて!」
得意気なユージィーンに、赤面した私が突っ込むのを、ヒルダさんはぼかんと見守って。
それから徐に笑いだした。
「…なるほど。そう言うわけでしたの」
そしてそのエメラルドの瞳を輝かせてこう言った。
「では、一つお使いをお願いしますわ。それをクリアできたら、あなた方の御願いを聞いて、私が責任をもって王のお城にあなた方を送りとどけますわ」
その言葉に、私の目は輝き、ユージィーンの目は細められた。
「お使いの内容によると思うな」
「四の五の言える立場じゃないでしょ!」
ユージィーンに釘を指して、私はヒルダさんのエメラルドの瞳を見つめた。
「それで、どこで何を持ってくればいいんですか?」
私の質問に、美女は妖艶なる微笑みで答えた。
「お城にいって温室のとある果物を、貰ってきてくださいませ」
と。
お城に入るために、お城に物を貰いにいく。
なんだか禅問答のような有り様に、私は首をかしげた。
「え…と…それは…」
どういうことで、と聞こうとしてその言葉を飲み込む。
そのエメラルドの瞳は真剣で、冗談や酔狂で言ったんじゃないって分かったから。
だから私は力強く頷いた。
「分かりました。私が行きます」
その言葉に焦ったのは何故か、ユージィーンの方で。
「分かったって、ほんとに分かってるの?!どうやってできるとか考えてるの?!」
「分からないけど、やってみる。ユージィーンはできないんだから、私がやるしかないし」
その言葉に、一瞬言葉につまって。
「もしかしたら、ただの意地悪かもしれないんだよ?!」
「大丈夫。ヒルダさんはそんなことしない。出来ないことをやらせる人じゃないよ」
なんでそんなことが分かるの?と目で聞いてくるユージィーンに、私は笑った。
だってこの瞳を私は知ってる。
無理難題をいっているようで、その実私のできることをよく知っている、あの人がする瞳だ。
ワンマンで強引だけど、意地悪ではない私の上司。
だからきっと、私には出来ると思った上での、この言葉なんだと私はヒルダさんの目をみて思ったのだ。
その言葉にユージィーンは、納得出来ない、理解できないという目をしながら、それでも引き下がった。
ぐっと私の手を握りしめると、祈るように囁いた。
「危なかったら、すぐ逃げて。知らない人についていくのもダメだからね!」
「…なんか、ユージィーン…お母さんみたい」
思わずぽつりと呟いた感想に、ぐにっとほほをつねられて、私は悲鳴を上げた。
「ったぁ!なんで?!なんでいきなり?!」
「…人が心配してやってるのに、なにその態度は?」
「やっ?!だからってつねることないでしょ?!」
そんな私たちを、生ぬるい眼差しで見守りながら。
「あんなユージィーンを見るとは…正直弱味を握った嬉しさより、気味の悪さが勝ちますわね」
「…それはちょっと可哀想すぎやしないかしら?」
「あなたとちがって、私は彼も…彼の主も好きになれないから」
さらりと言葉にされて、オリガはため息をつく。
「…ヒルダ…あれは仕方ないことで…」
「それでも、私はあの方に裏切られた。それだけ分かればもう…たくさんですわ」
エメラルドの瞳には、些かの揺れもない。
それがかえって、痛々しくて。
オリガは言葉を飲み込んだ。
そのかわりに、今いうべき言葉を口にした。
「…ユキさんを助けるわ。私が行けば…少なくとも門のなかには、入れてあげられるから」
そこから先は、彼女の頑張りにかかっているのだけど。
その言葉にヒルダは頷いて、にっと微笑んだ。
「この程度のことを、どうにかできないようでは、私が助ける価値はありませんわ」
強気な言葉に、オリガは苦笑する。
それがこの人の場合、偽らざる本心なのが手に負えない。
自分にも、他人にも厳しいヒルダ。
その苛烈さは時に人を遠ざけるけれど、また逆に人を引寄せずにもいられないのだ。
それが、公平な秤であるが故に。
でもそれが公平であるために、犠牲にされる彼女の心の柔らかな部分を、オリガは思わずにはいられないのだ。
「ちゃんと、彼女は道を拓くはずよ」
だから、彼女を助けて。
そして。
「…ちゃんと、話をしてみたらいいわ」
彼女がかつて、誰よりも大事で。
命と引き換えにしてもよいと、思い定めていた人と。
友人の言葉に、鉄壁の美女の答えはなかった。
ただ、そのエメラルドの瞳だけが。
ほんの少し揺れて、濡れたように輝くのみだった。
オリガとお揃いのエプロンとシャツを身に着け、すっかりそれらしく変装したユキを見送って、ヒルダは改めて曲者の元宰相と向かい合った。
「これで、本音の話をきかせていただけるのかしら?」
「さて、なんのことかな?」
こう切り出したヒルダに、ユージィーンはにこりと微笑んだ。
人好きする笑顔に、ヒルダは鼻白む。
「…たまたま落ちてきた異界の旅人を送り届ける、ただそれだけのためにあなたが動くとは思いませんわ。もちろん、あの男がそんな真似を許すともおもえませんし」
すっかり冷めた紅茶を含みながら、渋い顔をするヒルダに、ユージィーンは肩をすくめる。
「ジークはもう、俺の主じゃない…ただの友人だよ?君がただのヒルダであるように」
その言葉にヒルダから似合わない舌打ちが漏れる。
「ただの、には戻れませんわ。黒狼王の元側妃、という過去を、私は変えられませんから」
「君はその肩書があるから、シオンのところに行かないの?」
ユージィーンの言葉に、ヒルダの瞳がふっと焦点を失った。
自分の中の答えを探すように。
「…私が行けば、邪推する輩も出てきます。それは貴方たちには望ましくないんでしょう」
「…まあね」
「悪名高き黒狼王が前王朝の遺児を、王妃という隠れ蓑を使って隠し育てていた、今はまだ致命傷になるスキャンダルですわ」
そして皮肉な微笑みを浮かべて続ける。
「ましてや、暗殺されたとされている黒狼王も、その暗殺の首謀者とされる側妃も生きているなんて」
「まったく、けしからん世の中だよね」
そう答えてユージィーンは笑う。
いつもの微笑みより、ほんの少し柔らかい笑顔を。
「それでも、今は幸せだよ。僕の予想していた結末よりずっとね」
「結婚式の話は、オリガに聞きましたわ。良い式だったと」
応じるように、ヒルダの頬にも柔らかい笑顔が浮かんでいた。
いつもはきつくさえあるエメラルドの瞳が和らぐ。
「…それでも、みんなが幸せになるシナリオは難しい」
呟くユージィーンに、ヒルダは眉をあげる。
「…くだらない昔話でいつまで、はぐらかすつもりですの?」
その言葉にたまらず、ユージィーンは笑いだす。
「ごめん、ごめん。最近、ユキばっかり相手にしてるものだから、腹の探り合いなんて久しぶりで」
「探り合うつもりはないですわよ。とっとと白状しなさいと言っているのです」
「大方の予想はついているんでしょ?ヒルダ様は優秀な政務官でもあるから」
足を組み替えるユージィーンを胡乱なまなざしで見やって、ヒルダはため息をついた。
「あの後生大事に抱えているもの、あれであの大国を向こうに回して、本当に騙しきることができると思っているなら、隠居中にその頭も錆びついたと見えますわ」
「あ、痛。ヒルダ様の言葉は本当に刺さるよね」
「そもそも、不老長寿の薬など、本当にあの国は必要としているのですか?世継ぎの乱立から抜け出すための、口実としか思えません」
「そうだね。口実だとしてもそこを逆手にとれば、道はつながる。あそこのパワーバランスは今2強だ。そのどちらかを味方に付ければ…そのために、君はお使いをさせたんだろう?彼女に直接、贈られた盟約の実を取らせるつもりで」
その言葉に、ヒルダは薄く微笑む。
それは菓子屋店主にしては凄みのある笑いで、彼女の資質がどこにあるのかを語るものだった。
「あれは保険に過ぎません。弟はともかく、兄には効かないと思いますわ。あの脅しは陛下やあなたにとっても諸刃の剣。そんなことが分からないものが、あの東の大国を統括する器になれるとは思いませんから」
「そうだね。でもその兄にも、弱点がないわけではない」
ユージィーンの平然とした言葉に、ヒルダの瞳に強い怒りの色が浮かんだ。
「…茉莉花に何かしたら…私は貴方を許さない」
「…彼女はジークを殺そうとした。本人が忘れていても、俺は忘れていないよ」
ヒルダは怒りを、ユージィーンは微笑みを浮かべながらも、両者を包むのは冷たい空気だ。
お互い引かない、ということがわかって、ため息をついてユージィーンは立ち上がる。
「とにかく、どんな手を使っても、俺たちは東にいくつもりなんだ。ヒルダ様の恋路を邪魔した俺を恨む気持ちはわかるけど、そこを押さえて協力してくれればうれしいよ」
「だれも恋なんてしてませんわ!」
「はいはい。そうですよね。じゃあ、あの男前の幼馴染にしちゃえばいいのに」
ユージィーンのからかうような声に、ヒルダはその瞳をきつくした。
「そんな、適当にもらえる気持ちじゃありません」
それって他にすきなひとがいるってことじゃないのかな、と思う心を隠して。
ユージィーンは肩をすくめた。
「面倒なんだ…幼馴染って」
その言葉は彼が発したにしては、心がこもっていて。
ヒルダは思わず首を傾げた。
でもその疑問を口にするより早く。ユージィーンが立ち上がる。
「どっちに転んでも、この格好だと困るから…着替えたいんだけど?」
その言葉に眉を顰めながらも、ヒルダは立ち上がる。
「空き部屋に案内しますわ」
「生着替えでも、俺は良いんだけどね」
「目が腐ります」
「あ、痛。だから結構傷つくんだよ、男は繊細なんだから」
ユージィーンの先導に付きながら、ヒルダはそのきついエメラルドの瞳を細めて、きっぱりと言い切った。
「だから、私とこのお店には、男は不要なんですわ」
その言葉に、ユージィーンは肩をすくめただけで。
ただ、胸のうちにだけ。
これは随分と大きな宿題を抱えたな、とつぶやいたのだった。