貧乳と傷痕
毎度、更新が不定期ですみません。
どうしてもこちらはムーンの息抜きになりがちなので、ちょっと滞ってます。
書き溜めてたスピンオフまで手を広げてるので、この先もこんな感じで亀更新ですが、おつきあいいただければ幸いです。
はっと目を覚ましてみると、すでに月は高く、予想以上に自分がうたた寝してしまったことを知る。
ユージィーンは…と隣の寝台を見れば相変わらず綺麗なままで、さてはこのまま戻らないつもりかと、思わずムカッとする。
まあ、そのほうが私も気が楽だし。
むしろ朝まで、マリカと心行くまで旧交を温めてくれればいいのだ。
そうは思っても、一度目が覚めてしまえば、妙に眠りは遠くなってしまって、私はため息をついて起き上る。
馬車の旅は馬と違って快適ではあるけれど、ずっと揺らされていれば疲れるし、どことなく埃っぽい自分の恰好も気になった。
お風呂…入りたいなあ…
エレインさんの館では窯炊き式のお風呂があったので、入浴には困らなかった。
でもそれはやはり一部の富裕層や、領主のような特別な階級にある人に許される贅沢だとも聞いていた。
「街の方では、たぶん共同浴場っていうのがあるのよね?」
エレインさんとの話の中で、ひとの多い都市部ではそういった施設があると、話がでていた気がする。
「場所…聞いてみよう」
外には出るな、と言われたけど。
もしかしたらこの近くにあるかもしれないし。
大体、自分だって勝手してるんだし、知ったことではない。
いささか憮然としながら、浴場の場所をきこうと受付に降りた私を待っていたのは。
私以上に憮然としたマリカの姿だった。
「何よ?なんか用?」
迫力のある美人顔に睨まれて、思わず腰が引けてから、私の側に怒られる筋合いがないことを思い出して背筋を伸ばす。
「きょ…、共同浴場に行きたいんですけどッ…」
「そこでて、すぐ」
ぶっきらぼうながら、欲しがっていた情報が得られて私は安堵する。
「今から沸かすから、少しかかるけど」
「あ、お願いします」
私の言葉に軽く頷くと、マリカは裏に回る。
おそらく炊きなおすように誰かに頼んでいるのだろう。
「…わかってるわ!」
たたきつけるような言葉とともに帰ってきたマリカの顔は何故か、更に凶悪になっていた。
とんでもなく不機嫌な相手と、じりじり胃の妬ける思いでまつ数分が重すぎて。
よせばいいのに、話しかけてしまう私は、本当に小心者だと思う。
「…ユージィーンとは一緒じゃなかったんですね?」
喧嘩を売るつもりはなかったが、そのような意図に受け取られてもしょうがない発言にしまった、と口を押えた私が見たのは。
一転して、その大きな目から涙をこぼしているマリカの姿だった。
「…フラれたのよっ…」
「えっ?」
びっくりする私を他所に、マリカは机に突っ伏してしまう。
「キスもしないで出てったの!よかったわね!浮気されなくて!」
いやいやいや?!なんつー恐ろしい勘違いをしてるんだ、このお姉さま!
「いや私はあんな、性格悪い人はちょっと…」
「私なんて、もうすぐ結婚しなきゃいけないのに…!」
ん…?どういうこと??
頭に?がとぶ私には構うことなく、マリカは話始める。
「親が決めた許嫁がいるの。私はこの宿屋の跡取りだから。結婚が決まったらもう…こういうこともできないし、一生この宿屋で終わるの。…だから、最後の火遊びだったんだけど…振られたの」
そう話す彼女の瞳にあるのは、強い倦怠感と閉塞感で。
それはあの、お葬式カップルの彼女に似ていた。
黒にして。黒じゃなきゃ嫌。
気づけば思わず、口に出していた。
彼らを前にしては、決して聞くことができなかったその疑問を。
「それ、結婚しなきゃいけないんですか?どうしても?」
「…え?」
「どうしても結婚が嫌なんだったら、他の道もあるんじゃないでしょうか?宿屋だってマリカさんがやったらいいんじゃないですか?」
「ちょっと!そんなことできないわよ!」
「なんでですか?」
「なんでって…」
向き合うマリカの瞳に戸惑いがある。
「そんなこと…考えてもみなかったから…」
「私の知っている領主さんも女の方でしたよ!マリカさんだってできますよ!だって…」
私は、迷っているマリカの手を握った。
「マリカさん、私のためにお風呂用意してくれましたよね?たぶん、裏でおこられたんじゃないですか?時間外にこんなことさせるなんて」
先ほどの裏の怒声は、きっとそれが原因だ。
あんなに不機嫌だったのに、わたしというお客のために最善を尽くしてくれるこの人は。
「ちゃんと、宿屋さんの…いい宿屋さんのお姉さんです」
その言葉に向かい合ったマリカの頬が赤くなっていく。
「べ、別に…あんたのためじゃなかったわよ…!」
「それでも嬉しいです」
これで色気ではなく、愛想も振りまいてくれれば、近所で評判の宿屋になるはずだ。
「もう…あんた煩い…!ほら、お湯が冷めるから早く行きなさいよ!」
「ふふッ…はーい」
首元まで赤いマリカがなんだかかわいく思えて、私は微笑みながら言われた方に足を向けた。
「あ、ちょっと…!」
しかし、去りかけた私の足を止めたのも、マリカの声で。
「なんですか?」
いぶかしげに足をとめた私に、声をかけながら迷ったように目を泳がす彼女。
それでも決意したように。
「貴方とユージィーンの関係は知らないけど…気をつけたほうがいいわよ」
「え?」
思いもよらぬ言葉に、動きがとまった私に。
「ユージィーンは…より効率よく操れるなら、恋愛だって意のままにできる人だから…迂闊に好きになると…痛い目見るわよ?」
迷いながら伝えてくる、彼女の声音は真剣で。
「…べつに嫉妬して言ってるんじゃないから!」
赤面して補足するマリカに、笑いかけながら私は今度こそ彼女に頭を下げてそこを後にする。
「ちゃんとわかってますよ。…気を付けます。ありがとう」
だから、その言葉をきいた彼女がついたため息は、私までは届いていなかった。
「あ~極楽極楽…」
エレインさんのお風呂と違って、大きなワインの樽のような湯船はさながら五右衛門風呂のようで、野外にあるところは露天風呂を思わせた。
あったかい湯船に顎までつかって見上げる星空は、あちらで見るよりも藍色で、そのなかにきらめくビーズのような光がたくさん瞬いている。
エレインさんに見せてもらった、藍染めの布のような空を見上げて、思い出すのはさっきのマリカの言葉だ。
「…恋愛だって意のまま、かぁ…」
もし、誰かを選らんで好きになれるなら、私結してこちらを振り向かない、あの幼馴染みではなくて、別のひとを好きになったんだろうか。
こんなこと話せるのは、雪だけだから。
そんな言葉を有り難がって、ついに引導が渡されるときまで、側に居続けるなんて不毛な真似はせずに。
でも、そうやって切り替えられる『好き』は、私が欲しい『好き』とは違う気がして。
そうやって、人を好きになれるユージィーンのことを、少し寂しく感じたりして。
まぁ、それも私には関係ない話だ。
気を付けて…とは言われたけど、ユージィーンからしたら私は養命酒のおともなんだし。
そんな色気のある関係になどなりようがない。
その時。
近くでがらんっという音が響いて、私は思わずびくっとした。
もやのような湯煙の向こうに、ぼんやりとした人影。
次第に晴れてくる視界に、見慣れた茶色の髪と瞳。
まさかこの場所で遭遇するとは思ってもみなかった、彼の姿に。
絶句する私と反対に、ユージィーンはにっこりとほほ笑むと。
「…やあ」
と手を挙げて挨拶してきた。
さすがエロ隠居。
知り合いに半裸であっても動じないなんて、いっそ見習いたいくらいだ。
っていうか。
私は思わず湯船からがばーっと立ち上がっていた。
「ユージィーン!その傷、どうしたの?!」
私の剣幕に焦ったのか、後退るユージィーンの腹を私は思わず捕まえた。
近寄るとぷん、と金臭い独特の臭いに包まれる。
でもそれよりなにより、その腹に走る傷に私の目は釘づけになってしまった。
色は白いけれど、しなやかな筋肉につつまれたその腹を醜く引きつらせる傷。
その傷に添うように滲む血に、私は焦る。
「どうしよう…!?ユージィーンが死んじゃう!」
「ちょ…!こんなかすり傷で死なないから!その派手なのは昔の傷だし!」
それよりなにより、と風呂場に反響してふわふわと聞こえる声で。
「ユキ…さすがにその胸は…寂しすぎるでしょ」
俺が育ててあげようか?と真顔で指摘され。
私は、改めて自分の恰好を思い出して。
「~~~~~ッ!!」
声もなく叫ぶとともに、ユージィーンの腹に拳をブチ込んでいた。
「ごめんね…つい手が勝手に…」
「うん…さすがに傷があるときは、洒落にならんかったね」
「ほんとごめん!」
あのあと傷口にパンチをめり込ませてしまったことで、ユージィーンの傷はまた開いてしまったらしく、あわただしく部屋に帰ってきた私は、宿屋にあった包帯をかりて、ユージィーンの腹に今、それを巻いているところだった。
しかし、何気に筋肉あるのが悔しい…これで腹ぷよだったら大笑いしてやったのに…!
見た目はひょろ長い彼だが、軍隊上がりということばは伊達じゃなかったようで、近くでみれば身体に無数の傷が白く残っている。
一番ひどい、腹の傷程ではないけど。
「これ…どうしたの?」
黙っているのも気詰まりで、私は包帯を巻きながらそう、ユージィーンに聞いてみる。
もしかして、軍隊時代の名誉の負傷かも…
「あー、女との別れ話が拗れてね…」
な訳なかった…!
でも、ちょっとらしくない理由に、私は首をかしげる。
「ユージィーンはそういうの、上手くやるタイプだと思ったんだけど…」
恋愛感情すら操れるという腹黒にしては、凡ミスの類に入るんじゃないだろうか。
私のその言葉に、ユージィーンのお腹が揺らぐ。
笑ってるらしい。
「ユキは誉めると見せかけて、貶すのが得意だね」
貴方にだけは言われたくないわっ。
動くお腹に、傷も揺れる。
それは他のところが、滑らかであればあるほど、異様で。
そうまでして、彼に執着した人の強い気持ちが感じられて。
「…その人、相当な美人でしょ?」
思わず呟いた言葉に帰ってきたのは、こんな深夜には似つかわしくない位の、明るい笑い声で。
「…なんでそう思うの?」
「相手が相当な美人じゃなかったら、黙って刺されたりしなさそうだから」
思いがけず、笑うユージィーンが見れて、私は思わず赤面してしまう。
このひとの、この笑いは苦手だ。
私にはあの、冷たい笑いのほうが安心する。
「ユキは変わってるね。そんなこと聞いたのは君が初めてだよ」
「悪かったわねっ…どうせ変人よ!!」
これまた、ユージィーンにだけは言われたくないけど!
憤然としながらも、包帯の巻き終わりを結んで、立ち上がろうとする私の顎をユージィーンが掴む。
「…うん。変人だね。でも困ったことに…俺はそんな君が、気に入ったみたいだよ」
「…は…?」
言葉とともに、意味ありげに指で唇をたどられて、私は思わずびくんと震えた。
なんなの?!なんでとつぜん、そんな色気だしまくりなの、この人?!
頭も打ってたの?!時間差で来ちゃったの?!
オーク色の瞳は、この薄暗い部屋では限りなく黒に近くて。
いきなり知らない人になってしまったかのような彼に戸惑う。
優しく添えられているだけの手を、振り払えなくて。
ただ、バカみたいに目を見開いて彼を見つめ返すことしかできなかった。
相変わらずの、チェシャ猫みたいなしてやったりの笑顔で、ユージィーンがこういうまでは。
「まあ、胸が洗濯板なのがたまに傷かな」
「…余計なお世話よ!!」
今度こそ、ユージィーンの頬にパンチをお見舞いして彼をベッドに沈めると、私は憤然と自分のベッドに向かった。
しばらく隣からは、色々と言ってくる声が聞こえたけれど、布団にもぐって聞こえないふりをするうちに、それも止み。
いつしか布団の温かさに、わたしは再びの、夢の世界に旅立っていた。