ご隠居さん、困惑する
超がつく気まぐれ更新で申し訳ないです。
こんな調子ですが、年内にもう一回位は更新する予定です。
「今日は妙に、おとなしいわね。悪戯を懺悔するなら今のうちよ?」
「…子供扱いは止めてくれないかな?領主殿」
「だって、ユージィーンが嫌味もいわないなんて、調子狂うのよ」
調子が狂ってるのはこっちのほうだよ。
ユージィーンは密かに後悔していた。
いつも少しだけ濡れているような、黒い瞳が彼の一挙一投足を見逃すまいと、注視しているのを感じる。
彼がパンをちぎれば、同じように。
彼がそれを口に入れれば、それもまた同じように。
領主夫妻とにこやかに談笑しながら、その瞳は常に、彼を見つめ、正確に彼の所作を真似していた。
その理由は分かっている。
彼がこれは予習だ、と言ったから。
マナーの勉強だ、と理解した彼女はどうやら、ユージィーンの真似をすることで体得するつもりのようだ。
それにしても、真面目過ぎるでしょ。
どんな言葉も真摯に受け止める、という彼女の特質を見極め損ねたこちらも悪かったが、そんなに真剣に観察されると、妙に落ち着かない。
「それにしても、そのドレスとっても似合っているわ。まるでユキの為に作ったみたいに」
加えて言うなら、このドレス姿も妙に落ち着かない。
見慣れてる筈の、流行りの形なのに、彼女が着ると…妙に扇情的で目のやり場に困る。
レインの誉め言葉に、彼女の頬が紅潮する。
「ありがとうございます。レインさんも、とっても素敵ですね。…ジークさんも」
視線がそれて、ちょっとホッとしたが、妙に恥じらいつつジークを見つめる瞳もそれはそれで落ち着かない。
「ありがとう。それにしても、ユキはドレスの扱いや、銀器の扱いに慣れてるね」
ジークの言葉に、ユキの瞳が少し泳ぐ。
この娘が言いにくいことを、ごまかす時の癖だ。
なんと言おうか考えながら、ジークの、それからレインの顔を見比べていた彼女だったが。
観念したようにひとつ息をつくと。
「…はい。実はこう言うものを日常的に扱うところにいたんです。ケッコンシキジョウって言うんですけど…」
そして、それがどんなところか説明をする彼女に、ユージィーンは密かに面白くない気持ちを感じていた。
これは何度かユージィーンが、間接的に尋ね続けてはぐらかされていた、彼女の仕事にかかわる話だと理解したから。
つまりは拗ねているのだが、そんなことを自分がするとは思ってない彼は、その感情をもて余していた。
「なるほど。ユキはとても、いい仕事をしていたんだね」
説明を聞いて、そう微笑んで総括したジークにたいして、ユキは浮かない顔をしていた。
「…いい仕事なのか…分からなくなってしまったんです、自分では」
そして、思い詰めたような目をして、ジークの、レインの瞳を見つめる。
「一生、一緒にいることを決めたハズなのに、早い人だと一年でお別れしてることもあって…」
結婚式場は結婚式をあげたら普通はお仕舞いらしいが、彼女の式場は特別で、毎年決まった時期、クリスマスというらしいが、特別なイベントとして結婚した夫婦を招待する晩餐会のようなものがあるらしい。
その招待状を発送するのも彼女の仕事らしいが、その返信として既に夫婦ではないという断り文句が返ってくることも度々あるのだ、と彼女はなんとも言えない寂しい瞳で語った。
ユージィーンには理解できない。
それは所詮、他人のことで自分のことではないのに、何故か傷ついている彼女が。
「そんなに、すぐにダメになってしまうならお手伝いしないほうが、シアワセだったのかな、とか。あんなに仲が良さそうだったのに結婚したら、顔もみたくなくなったとか…そういう人もいて。愛とか恋とか…結婚とか…もう諸々分からなくなってしまって」
ユージィーンはその言葉に、ジークが新婚だと聞いたときに、ユキの顔に浮かんだ微妙な翳りを理解した。
あのときは、ジークを気に入って既婚であることを残念がっているのかと思っていたが、違ったらしい。
「でも、お二人を見てて久しぶりに、結婚っていいものかもって思えました」
彼女は最後に、明るく二人に微笑みかける。
「お互いに、お互いが大事って伝わって…お二人なら、ずっと…このまま幸せになるんだろうなって想像できて…幸せでした」
ユキのその言葉にジークは少し微笑んで、レインは少しだけ恥じらって頷いている。
「実は私の幼馴染みも、結婚するんです。…その人にも、お二人みたいに幸せになってほしいなって」
続いたユキの言葉に、ユージィーンはその瞳を細めた。
どこか、なにかが詰まったようなそれに、彼の何かが刺激される。
彼女は何かをごまかすときに、瞳が揺らぐ癖がある。
そして今、その瞳は揺らいでいた。
「それは光栄だわ。ユキにもいつか、そんな人が現れるといいわね。そう言えばお付き合いされてる方はいなかったの?」
レインの質問に、彼女の白い肌がピンク色に染まる。
それはどこか扇情的で、ユージィーンは思わず目を反らした。
「いるわけないです!さっきの幼馴染みにも、男友達みたいだって言われる位だったし…」
なるほど。幼馴染みとやらは男らしい。
そんな小さなことが、いちいち気になる自分を、ユージィーンはもて余していた。
「そんなことないわよ!こんなに可愛らしいのに…私の方がよっぽど男勝りだわ」
レインの言葉は、ジークの何かのスイッチを入れたらしい。
その手をとって、口付けると妖しい青い瞳で妻を見つめている。
もうこうなったら、耳に蓋と決めてるユージィーンは、デザートに乗っかっていたサクランボを見つけて、ニヤリと微笑んだ。
ちょっとした悪戯を思いついて、目の前の彼女を窺う。
もう、正視に耐えない甘甘な二人から、慌てて目を反らして、再び彼女はマナーの勉強に戻ってきていた。
すなわち、ユージィーンの観察である。
それを確認して、彼はそれをぱくり、と全部口にいれてしまう。
その所作にユキは戸惑ったようだったが、少しだけ迷って同じように口に入れた。
ユージィーンは笑いを堪えつつ、それを口の中で動かして。
ぴろっと舌を出す。
その上には種と、結ばれたサクランボの軸が乗っていた。
それを見た彼女は、きっとからかわれたことに気づいて、怒りだすだろうとユージィーンは思っていたのだけど。
彼女の真面目さは、彼の予想を超越していた。
彼女は真剣な顔で口をモゴモゴし続けて。
数分後、彼と同じようにぴろっと出された彼女の舌には。
種と、微妙に輪になって止まっている軸が乗っていた。
どうだ!と言わんばかりのドヤ顔に。
「…うん。なかなか上手だね」
ユージィーンは珍しく誉め称えた。
彼は動揺していた。
キラキラと瞳を輝かせて舌を出す彼女に、早くそれをしまって欲しかった。
そうじゃないと、やたらに大きいテーブルなんか乗り越えて。
彼女にキスしてしまいそうだったから。
ユージィーンは相変わらず、二人の世界の領主夫妻をみやってため息をついた。
どうも無意識に煽られてるらしい。
それか船上生活が長くて、欲求不満なのか。
王都についたらその辺りも、スッキリしておかないとだな…と懸案事項にプラスして、ユージィーンは彼女に囁いた。
とりあえず目に毒なあの二人から離れて、クールダウンしなくては何かやらかす自信があった。
「…庭でも散歩しない?あの二人はしばらくこの調子だと思うから」
ユージィーンの囁きに、彼女は珍しく、一もニもなく頷いた。
このピンク色の空気に耐えかねているのは、彼女も同様らしい。
こっそりと抜け出していく二人に、領主夫妻が気づいたのは、扉がしまるその音を聞いた後のことだった。
夜の庭は静寂に満ちて、二人が歩く音だけが響いている。
「あの二人はいつも、あんな感じなの?」
そんななか、思わず漏れたという感じの彼女の質問に、ユージィーンは笑った。
「そうだね、大体は。…まぁ、あの二人の場合、仕方ないとこもあるんだけど…お互いに盛大にすれ違ってたこともあったから。ジークは特に、言葉にしないと伝わらないって思っているんじゃないかな?」
傍目から見ると、十二分に伝わってみえるのだが、そこは当事者には見えないのだろう。
苦笑するユージィーンに、ユキの頬も緩む。
「でも、ちょっと羨ましいな。ちゃんと伝わる思いがあって…」
少女めいたその顔に、似つかわしくない大人の表情。
ユージィーンの中の、何かを刺激するそれが不快で、彼は思わず口にしていた。
「…それ、さっきの幼馴染みってやつのこと?」
その言葉に、彼女の華奢な肩が揺らぐ。
「…違うわ」
固い否定の声に。
「嘘だね」
即座に否定してしまう。
女の嘘を指摘したら、面倒なことになるのは百も承知なのに。
「嘘じゃないわよ!」
「じゃあ、何で君はそんな顔でソイツの話をする?」
そんなの、俺には関係ないのに。
「貴方には関係ないでしょ?!」
彼女にこう言われると、無性に腹が立つ。
「関係あるね。君は俺の商品になるといった。だから、途中でリタイアされたら困るんだ。ソイツにあいたくないから、帰りたくないって」
そんな理屈は通らないって、どこかで冷静な自分が言うけど。
「…そんなことっ…し、ない!」
どこか苦しそうに彼女が反発するのを見れば、頭が痺れるように忘れてしまう。
「じゃあ、なんで君は帰りたいしゃなくて、帰らなくちゃっていうの?それは何処かで、君が帰りたくないっていう思いがあるからじゃないの?」
気持ちではなく義務として、帰る。
そんな心が、彼女にそう言わせてるのだとしたら。
そうなのだとしたら。
大きく見開かれた彼女の瞳が潤む。
「そ、んな、こと、な…いっ!」
噛みしめるようにはきだして突如、胸を押さえるようにして彼女はその場に崩れ落ちていた。
ユージィーンは動揺した。
動揺のあまり彼らしくないことをした。
「…ごめん、言い過ぎたよ」
すなわち、少女の前にしゃがみこんで、頭を下げたのである。
こんな風に謝る彼をみたら、レインは驚きに目を丸め、ジークは嵐に備えて準備を始めるに違いないほどだったが。
「ちがっ…うの…」
青ざめた彼女からの返事に、ユージィーンは首を傾げる。
「もうっ…キツくて…限界…、なの」
苦しそうな息をして、彼女が言う言葉はどこか閨を思わせて淫靡で。
そんなつもりじゃないと分かっているのに、幻惑されている自分に、ユージィーンは困惑する。
だからいつもなら、この程度で察することが、全く読み取れなかった。
そこで間抜けにも質問してしまったのだ。
「…何がキツいの?」
そんな彼の質問に、彼女は真摯に答えてくれた。
「コ、ルセットよ!」
そして、続けた。
「お願い、だから、この、紐ゆるめ、て!」
背中にあるそれを、忌々しそうに見つめる彼女。
それがどんな意味かも知らない筈の、異国の娘。
その事が妙に腹立たしくて、ユージィーンは彼女の顎に手をかけた。
「…君、意味分かっていってるの?」
驚いたように見開かれた瞳が、すぐに睨み付けるようにかわる。
「な、んの…」
残りの言葉は言わせなかった。
ただ、抗議するために開かれた唇に、思いのまま口付けていた。