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帰りの車を走らせながらも、その胸にともった怒りが静まることは無かった。
彼がストレス発散のために向かう先……それはカラオケや、居酒屋なんて小洒落たものじゃない。内向的で下戸の彼は、それらに心癒されることは無かった。
まして、スポーツで怒りを燃やしつくしてしまうなんて事もない。
彼が向かったのは車道からは少し奥まった林の中。そこは不法投棄でがらくたがあふれかえったゴミゴミとした空間だ。
「おお、これがいい!」
今日の彼の獲物は、右手が外れているくせにつんと澄ましたマネキン人形だ。
両手でその足首を持って振ってみると、程よい運動量と破壊力がその腕に伝わった。
「ったく、ふざけんじゃねぇよ、あのクレイマーが!」
手近な冷蔵庫にマネキンを振り下ろす。
ゴボン!
いやな音がして、その澄ました顔が大きく砕けた。
「みんなして俺をバカにしやがって!」
同期たちが次々と本部勤めに上がって行く中、彼だけがいつまでも小店舗勤めの一社員のままだ。
ガゴン!
マネキンの肩から上が不自然に曲がった。
「だいたい!あのバカ店長めが……」
クレーマーに必死で頭を下げているその間、あいつは休憩室に隠れていやがった!
その怒りはマネキンの頭部を完全に砕きとばした。
周りに罵りの言葉と破壊をまき散らしながら、男は狂ったように暴れ続けた。
男が呼吸で肩をはずませながら立ち止まった時には、かつてマネキンだったそれはむき出しになった骨組と、砕け残ったFRPの塊になり果てている。
それを満足げにゴミの山に放り込み充足のため息をついたそのとき、男は今まで気付かなかった『人の気配』を感じて振り向いた。
「……!」
そこには、風呂敷包みを下げた昨夜の少女が立っていた。
「もういいのか。」
いつからそこにいたのかは知らないが、男の破壊行動を見ていたにもかかわらず、その美しい顔は凍ったように動かない。
男はそれが蔑みなのか、ただの無表情なのかを読みあぐねていた。
「それは楽しいのか?」
彼女の声に責める感じは一切ない。ただ事実確認をするためだけの事務的な口調だ。
だが男には、それが責めの一言のように感じられた。
「なんだよ。俺を警察にでも連れて行こうっていうのか?それとも『アブない人』だって誰かに言いふらすのかよ。」
「私は、楽しいのかを聞いているだけだ。」
男はやっと彼女の無表情はただの無表情であり、質問には質問以上の意味は無い事に気付いた。
「楽しくてやってるわけじゃねえよ。」
「では、怒りがすっきりするのか?」
「まあ、多少はな。」
「不可解だな。」
彼女の質問は終わったようだ。
今度は男が疑問を投げかける。
「お前は、なんでここにいるんだよ。」
「それは哲学的な質問なのか?」
「哲学的?俺はただ、この場所にいる理由を聞いただけだぞ。」
「理由か。お前がここにいるからだ。」
「ストーカー?」
「違う。観察はさせてもらっているがな。」
「そういうのをストーカーって言うんだろうが!」
「違うぞ。べつに私は、お前に恋愛感情を抱いてはいないからな。」
微妙に会話がかみ合わないもどかしさに、男は軽い怒りを覚えた。
少女はそんな違和感さえ気にせず、手もとの風呂敷包みを男に差し出した。
「なんだよ、それは。」
「カシオリだ。あと、これはシュウリダイだ。」
少女はポケットから帯封がついたままの諭吉を無造作に取り出し、風呂敷の上にポンと置いた。
「足りるか?」
足りなければもっとくれるつもりか?ただのおかしいガキかと思っていたけど、こいつ、一体何者なんだ。
男は恐怖を隠すかのように、ぞんざいな態度でそれを受け取った。
荷物を渡して身軽になった少女はくるりと踵を返し、歩き出した。
「おい、観察とやらはいいのかよ!」
そのあっさりとした態度に男の方が思わず聞いてしまった。
「お前のプライベートには興味がないんでな。」
小夜子は振り返ることも、立ち止まることもしなかった。
「じゃあ、俺の何に興味があるんだよ!」
「怒り。」
ざあっと林を吹き抜ける風が、その声を男の耳に届けた。




