(4)
翌日から男の生活は一変した。
小夜子から定期的にかかってくる電話はいつも事務的ではあったが、その指示に従ってさえいれば株でも、ギャンブルでも、彼の手元に莫大な富をもたらすものだった。
金があれば女は蠅のように群がってくる。彼は躊躇することなく、妻から送られてきた離婚届に判を押した。
派手な車を乗り回し、女達をはべらせるようになった彼にとって、家はただ寝に帰る場所にすぎない。
その日もゴージャスに遊びまわった彼は、疲れた体を横たえるためにドアを開けた。
誰も返事する者がいなくなってから、彼は『ただいま』を言わない。機械的に鍵を閉め、靴をだらしなく脱ぐだけだ。
男はリビングに明かりを入れ、ソファにその身を投げ出した。
いつものように、小夜子からの電話が鳴る。
彼女の電話は、まるで見ているかのように、彼が一人になった時だけかかってくる。
今日も彼女の声は事務的だが、男はとびきりの愛想で応えた。
「はいはーい。次は何で儲けさせてくれるんですか。」
「次は、そのストラップを回収させてもらう。」
男の背中で、不安がぬるりと動いた。
「ストラップ?まさか、返しちゃったらもう電話してくれない、なんてことは無いよね。」
「電話はもうしない。」
「返さなかったら?」
「返さなくても、結果は同じだ。どうせお前は、もう電話に出ることはできない。」
理由のない不安が、ぬるりぬるりと体中を這いまわる。
「電話に出ることができないって、どういう事?」
「今夜、お前は死ぬ。」
声が電話からではなく、すぐ耳元で聞こえた。
男は恐怖という反射で振り向いた。
「ストラップをこちらに。」
そこには電話を耳にあてた小夜子と、もう一人、チャラそうな少年が立っていた。
少年の背中には本来なら羽を持つ唯一の哺乳類についているべき、あのいやらしいハネが、その体にふさわしい大きさに拡大されて生えている。骨ばって、薄い膜をまとったそれは悪魔をほうふつとさせる。
「おまえら、何者なんだ!」
「何者?こっちの言葉で言うと……ディオス?ハロス?」
少女は美しい唇の中で呟きながら少し考え込んだ。
「……ああ、死神……だ。」
「死神!」
ハネを生やした少年がげらげらと笑いだした。
「ダメだよ~、そんなストレートに言っちゃあ。それに、お前は正式な死神じゃないじゃん?」
「そうか、すまんな。次は気をつける。」
男の腰から下が恐怖でがたがたと震えだした。
「じゃあ、俺が死ぬってのは!」
「ああ、ごめんねぇ。上の決定だから、クレームは俺じゃなくて上に言ってね?」
少年が柔らかな笑顔を浮かべた。
「でも彼女のおかげで、死ぬ前にいい思いできたじゃん?あんたラッキーだよ。」
二階のどこかで、ガラスが割られる音がした。
「助……助け……」
「すまないな。私にはそこまでの権限は与えられていない。」
男の脚はまるでその機能をすっかり失ってしまったかのように動かない。
その間にも、何者かがバタバタと二階を物色している。
「じゃあ僕たちは『全て』が終わったころにまた来るよ。エンジョ~イ♪」
少年が小夜子の肩を抱き、飛び上がる。
「待……待って……」
差し出された男の手は、二人が消えた空を虚しくつかんだ。
二階を歩きまわっていた強盗たちの足音が階段を下りてくる。
そのリズム感の狂った葬送曲が男の最期を華々しく彩った。
小夜子は血だまりの中からストラップを拾い上げ、そで口で血を拭った。
ストラップの石が、暗い赤に染まっている。それは床の血だまりを吸い上げたような痛々しい輝きを放つ朱だ。
「これが……喜び?」
血だまりの主は強盗に刺された傷口をさらしたまま、すでに答えることはない。
「もっときれいなものなのかと思ったのだがな。」
少年は彼女の手元を覗き込んだ。
「一応『喜びの赤』は出ているようだし、いいんじゃないかな。」
「そうか。」
小夜子はストラップを乱暴にポケットに突っこんだ。
「次は『怒りの黄色』の回収に向かう。」
「おお?もう行くのか。俺はこいつの魂を回収しないといけないから、一緒に行ってやれないぞ。大丈夫か?」
彼女は何も答えずに彼に背を向けた。
その美しさゆえ、無表情ゆえにその行為は怒っているようにも感じられる。
彼は思わずその背中に声をかけた。
「クルエ……小夜子、人間を見ろ!もっとちゃんと人間を見ろ!」




