(3)
男がメモに書かれた売り場を回り終わる頃には、すでにあたりは夕闇に包まれていた。
やっと興奮のひと段落した彼は、その時初めてポケットの中で着信のメロディーが鳴っている事に気がついた。
電話に出ると、淡々としたあの少女の声。
「お金はたくさんになったのか?」
男のポケットは、現金と当たりくじでふくれあがっている。
「それで、お前の『嬉しい』を買え。」
短い電話はそれだけで切れた。
そのあとの画面には、着信を知らせるマークが浮かんでいる。
「やばい!忘れてた。」
着信画面を開くと、会社から、妻から、会社から、妻から、妻から、妻から…。
男が電話にすら気付かないほど夢中になっているその間に、着信は限界を超えている。
そして充電も……バッテリー切れの警告音が鳴り、画面が暗くなった。
「まあ、いいか。」
奮発して、あいつの欲しがっていたブランドのバッグでも買って帰ろう。後は、何だか有名だって言ってたややこしい名前のケーキと……定番の花束かな。
男は、ポケットの中は重く、足取りは軽く歩き始めた。
抱えきれないほどの荷物を抱えた男を玄関で出迎えたのは、山のように積まれた段ボールと、大きな旅行用の鞄だった。
リビングでは、妻がうつむいてソファに座っている。
男が買い物の包みをテーブルの上に置くと、妻は顔も上げずに言った。
「どこに行っていたの。」
その淡々としたしゃべり口は小夜子を連想させる。
いっそ、キレて罵りかかってくれる方がわかりやすいのに。
男は妻の手にブランドのロゴの入った紙袋を握らせた。
「欲しいって言っていただろ。仲直りのプ・レ・ゼ・ン・ト。」
しかし彼女は夫の存在を全て拒否するかのように、その紙袋を床に置いた。
「今日はどこに行っていたの。」
「会社のことか?心配しなくても、あんな会社やめたっていいんだよ。」
「どこに行っていたかって聞いてるのよ!」
同じことを三度も言わされた彼女の怒りが堰を切ったようにあふれ出し、男の浮かれた心を弾き飛ばした。
「昨夜だって2次会の途中で帰ったっていうのに、そのあとは何をしていたの!もう、あなたってば、毎回信用できないようなことばかり……」
「落ち着けって。そんなに怒らなくても、お前が心配するようなことは何も無かったよ。昨夜は。」
「じゃあ、昨夜以外は!」
「だから、悪かったって!反省して、こんなにお前のものばかり買って来てやっただろ!」
男も大声をあげた。こうなると、二人の間にはもう罵りあいしかない。
激しい口戦に止めを刺すように、妻はひときわ大きく叫んだ。
「もう、本当に無理!お金がどうとか、物がどうとかじゃないの!無理、無理、無理!」
逃げるように玄関を飛び出していく彼女を、男は追い掛けることさえしなかった。
「無理なのは俺の方だよ!これだけ金があれば、女なんか選び放題なんだからな。」
男の悪態を受けるべき妻の姿はもうそこには無い。
男は件のストラップを恭しく取り出し、大事そうに撫でまわした。
「さあ、幸運の女神ちゃん、また電話してきてくれよ。」
ストラップに付けられている石の表面に、紅い輝きがほんの一瞬、走った。




