温かい雪
空に張り付いた銀盆が夜空を濡羽色に照らしている。
夜空と同じ色の翼を広げた小夜子は、病院の屋上に所在なく座っていた。
満月は、タケの笑顔によく似ている。寂しげで、哀しげで、それでも漆黒の闇を照らそうと輝く……あれからタケは苦しんだ。衰弱していくおのれを持て余して怒り、嘆き、わめいたりもしたが、最期の瞬間に彼が浮かべたのは、やはり笑顔だった。
その笑顔を胸の内で反芻しながら、小夜子はタケから回収した石を手のひらの上で転がした。それは月の光を反射しながら時に明るく、時には暗く輝く。くるりくるりと色を変え、静かに輝いている。
「赤……黄色……緑……」
どの感情も決して混ざりあうことなく、反発することもなく次々と色を変えるそれは、まさしく矛盾を抱えながらも輝く『人間』そのものだ。
飽くことなく石に見入っている小夜子の隣に、コウモリが舞い降りた。
「小夜子ちゃんお待たせ。終わったよ。」
「そうか、終わったんだな。全て……」
そんな彼女の顔にはすっかり、もとの無表情が張り付いている。
ムルシエラゴはそんな彼女に、おおげさなため息をついて見せた。
「『死は等しく全てを無に帰す』だっけ?まだそれを信じてるのか?」
「信じるも信じないも……タケはもういない。」
小夜子の眼差しは手のひらの中にある小石の輝きだけを、かたくなに映している。
彼はそんな彼女の視線を奪うかのように夜空に手を広げた。
「見てごらんよ。」
人間の目では決して捉えられない風景がそこにはある。異界から吐き出された七色に輝く粒子が、まるで雪のように地上へと、降り注ぐ。
「あれは再利用の過程で出た魂のかけらだよ。」
かけらは静かに地上へと、生きているモノたちの上に静かに静かに降り積もる。
夫だった男を亡くした女の上にも、怒りっぽかった上司を亡くしたバイト君の上にも、片思いの相手に逝かれてしまった男の上にも……
「人の上に降ったそれは、楽しかった思い出だったり、哀しくてやりきれない思いだったり……さまざまな感情となって地上にとどまり続ける。」
息子の冷たくなった手を握り締めている母親の上にも、静かに、優しく……
「小夜子ちゃんの中には、もう一かけらも、タケ君はいないのかな?」
小夜子の翼の上にも、ただ優しく降り積もる。
「タケは……いる。」
小夜子はぎゅうっと石を握りしめた。
「あいつを思い出すと、痛い。苦しい。消してしまいたい……でも、温かくて消せない。私の中のあいつは矛盾だらけだ。」
「矛盾しているのは、タケ君じゃないでしょう。」
「そうか、この矛盾は私の物か。」
「不可解か?」
「もちろん、不可解だな。だが、私はこのままがいい。ダメか?」
少年はいつものようにヘラっとわらった。
「いや、いいんじゃないの?」
大きな満月が柔らかい光で小夜子を照らしている。あの月は本当に……似ている。
小夜子は月に向かって、目じりと口角を柔らかく歪ませた。
「わらった?いま、笑ったよね?」
「何を眠たい事を言っている。帰るぞ。」
濡羽色の夜空に一羽の烏が飛び立った。夜空と同じ、強い青を秘めた黒色の翼で……
月の光の中で楽しげな笑い声がしたような気がした。




