(5)
「……そろそろだな……」
小夜子は地上に着いてからずっと隠していたその羽を、まるで伸びでもするかのように大きく広げた。
まさしく濡羽色のそれは、明るい月に照らされた夜空のように青みがかった漆黒。まがまがしい闇の深淵のように、見るモノを不安にさせる美しさを宿している。
その大きな翼をはためかせ、少女は哀れな女の目前に降り立った。
「ここは……」
ビルの屋上は夜空からの強い風に吹かれて寒々としていた。
少女の視界に驚きで目を見開いてしまった女の顔が映る。
「良かった。まだ死んでいなかったな。それの回収に来た。」
ふと、素朴な疑問が小夜子を捕らえる。
「ここで何をしている?」
女は屋上のフェンスを乗り越えた外側、狭い空間に張り付くように立っている。
「死ぬのか?いわゆる自殺というものだな?」
無遠慮な質問を投げかける小夜子は、その大きな羽でホバリングしながら女の眼前に浮かんでいる。
コウモリが、軽やかな羽ばたきの音とともに小夜子の隣に立った。
「小夜子ちゃんってば、あんまり人間を驚かせちゃダメだよ。」
「すまんな。次は気をつける。」
「それに、彼女は自殺する気なんかこれっぽッちもないよ。」
「ない……のか?」
じゃあ、わざわざ有刺鉄線で掻き傷を作ってまでここに立っている、これは……?
「それはねぇ、自殺ごっこ。」
「ごっこ?遊びで死ぬのか。」
「死なないよ。彼氏か、この前一緒に飯食ってた男か……ともかく誰かに電話しているはずだよ。『私、もう死んじゃう~』ってね。」
「それは、何か意味がある行為なのか?」
「あるよ。彼女にとってはね。助けに来てくれる王子様を待つ、悲劇のヒロイン気分が味わえる。」
少年は、ちょっとサディスティックな眼差しで女に微笑んだ。
「さあ、時間だ。」
扉が開き、誰かが屋上に駆け込んでくる音がした。
女は助けを求めて振り向く!
だが、そこは振り向くには狭すぎた。
足を踏み外した女は空中を泳ぐように両手をばたつかせたが、落下する体を支えるには何の役にも立たない行為であった。




