第3章 「哀」
けだるい静寂が支配する深夜のファミレスに小夜子はいた。
件のチャラ男はきちんとハネをたたみ、まったく普通の人間のような顔をしてテーブルの向かいに座っている。
だが小夜子の関心は少年を飛び越え、少し離れた席に座っている一人の若い女に注がれていた。
テーブルの上を使用済みのグラスで埋め尽くしながら、女は同席の友人に繰り言を垂れ流している。人間とは異なる聴覚を持つ小夜子には、そのすべてが聞こえた。
「もう、彼といるのは疲れちゃったの……」
彼女の話は彼氏の浮気と暴力と、それに耐え続ける自分のエピソードで成り立っている。友人が「疲れちゃったの」を聞かされるのはすでに8回目だ。そして、次の言葉はこれまた8回目の「でもね、別れられないの」だろう。
それを確認しようとする小夜子の視界を、少年が遮った。
「小夜子ちゃん、あ~んしてみ?あ~ん」
ハンバーグの一かけらを小夜子に突きつける。
「そんな臭いものはいらん。」
「バカだねー。これはおいしそうな匂いって言うんだよ。」
少年は自分でそのハンバーグを頬張った。
「お前は、本当に人間の真似をするのが好きだな。そして、人間をよく知っている。」
「真似をするからよく知ってるんだよ。ほら、あ~ん」
今度は小夜子も素直に口を開けた。
「ふむ。タンパク質と脂質の味だな。微量組成のアミノ酸は……」
「うまいって言いたいのか。かわいいねー。でも、人間の言う『うまい』ってのはそういう事じゃないんだよ。」
「……不可解だ。」
カップルと勘違いしたのか、店員が気恥ずかしそうにラストオーダーを聞きに来た。
「追加は無い。結構だ。」
店員はぺこりと頭を下げると、愚痴を言っている女のテーブルに向かった。
少年は咀嚼していたハンバーグを飲み下す。
「今度はあの女か……でもあれ、ただの『可哀そう女』じゃん?」
「可哀そう……それは『哀しい』とは違うのか?」
「まあ違うっちゃあ違うし、似てなくもないけど……」
「違うものなのだな。じゃあ、どう違うのか教えてくれ。」
「説明できるもんじゃないんだよ。そうだなあ……成分とか組成とか言わずに、『うまい』って言えるようになればわかるんじゃないか?お前にも。」
「また不可解な事を言うんだな。」
「そうだな。不可解だな。」
少年はそれ以上の答えを小夜子に与えはせず、ハンバーグの残りを口に放り込んだ。




