[5]
「終わりだ……何もかも。」
プロとしてのプライドと、笑顔という装備を打ち砕かれ、おそらくはこれからクビになるであろう彼はボンネットに取りすがるようにして泣き崩れた。
涙とともに、彼の本質である『怒り』があふれ出す。
「畜生、もう知らねえよ、あんな店!」
ボンネットに……もちろん隣の車のボンネットに、怒りを強く蹴りこむ。
バオン!とボンネットがたわみ、微かに傷がついた。
これじゃ足りない……男は車を破壊するにふさわしいエモノを探そうと、振り向いた。
「……!」
そこには昨日と同じように小夜子が立っていた。
相変わらずの無表情で、男を責めるでも憐れむでもなく『見ている』だけの小夜子。
今日は一人ではなく、へらへらと意味不明に笑う少年を傍らに従えている。
「なぜ、自分の車を蹴らない?」
「彼は冷静だからだよ、小夜子ちゃん。怒っているように見えても、ちゃんと自分が損しないように計算できるぐらいに、ね?」
男は少年が背中に掲げた悪魔的なハネに心をとらわれ、答えるどころではないようだ。
小夜子に対して幾度か感じた恐怖の正体が、いま目の前にある。
「あれは、お前の仕業かよ!ふざけんな……」
言葉とは裏腹に、彼は震える膝でじりじりと後ずさった。
「私は何もしていない。それが限界を迎えただけだ。」
小夜子が指差したブレスレットの真ん中で、あの地味だった石が強い輝きを放っていた。
鼻先に近づけるようにしてみると、石はまるで男の心の中から吸い上げたように、ねとりとした膿にも似た黄色に変わっている
「なんだよ、これ、気持ち悪い!」
男はブレスレットから素早く手を抜くと、それを小夜子に投げつけた。
「お前ら、俺をどうする気だよ。殺すのか?」
少年がオーバーリアクションでそれに答えた。
「殺すなんてとんでもない。僕らは、運命に書きこまれた死の瞬間に立ち会うだけさ。」
「死の……やっぱり俺を殺す気じゃねえか!」
「だから、殺さないってば。僕らの仕事は、君の魂を回収する。ただそれだけ。」
「回収?俺の魂をどうする気だよ。」
「んー、企業秘密だから詳しくは言えないんだけど?とある工場で細かく砕かれて、再利用するんだよ。」
小夜子の形良い唇が抑揚なく動いた。
「心配するな。死は全てを等しく無に帰す。」
男の体が恐怖に突き動かされた。車に飛び込み、素早くエンジンをかける。
「いやだ……死にたくない!」
男は死神たちから逃げようと、アクセルを踏んだ。
車は怒ったように急発進したが、少年は小夜子をふわりと引き寄せてそれをかわした。
勢い余った車が駐車場の中でぶつかり、ほかの車をなぎ倒し、小さな炎を吹く。
男の人生のラストシーンが炎に包まれていく中、すでに彼に対する興味を亡くした小夜子は、手の中の黄色い石をじっと見つめていた。
「これも、きれいとは言い難いな。」
「でも、ちゃんと『怒』の黄色だし。大丈夫、大丈夫。」
小夜子はただ、じっと石を見つめていた。




