20. 告白
「……まったく、自分の娘に犯人との立ち回りやらせるとか、何考えとうとですか?」
波多さんはとても怒っていた。
まぁ、それは当然すぎるくらいに当然のことだった。玲央のお父さんは一回り以上も年下の部下に叱られてすっかりしょぼくれていた。
「だってよぉ、俺は酔っ払っとったし、玲央は自分にやらせろって言うし――」
「だけんって、犯人確保の危険ば冒すとを民間人に任せてよかわけなかでしょうもん?」
お父さんは素知らぬ顔でそっぽを向く。玲央が取り成すように口を挟む。
「まぁ、いいやん。結果としては上手くいったっちゃしさ――」
「おまえが言うな」
波多さんはピシャリと言った。
「結果的に上手くいったけん良かったばってん、そうやなかったらどがんするつもりやったとや? 第一、あそこに停まってるバンディットは誰が乗って来たとや?」
玲央がお父さんに倣ってそっぽを向く。お父さんは飲んでるのでライダー役を押し付けるわけにはいかない。それにしても、あまり外見の似ていない父娘のしらばっくれ方は笑えてくるほどそっくりだった。
波多さんは盛大な溜め息をついた。その後もクドクドとお説教が続いたけど、栗原親子はあからさまに聞いているふりをしているだけだったし、言ってる波多さんも「どうせ聞いてないんだろうけどな」という感じで、どちらかと言えば周囲の警察の人たちに対するポーズのような様子だった。
お父さんは腰掛けていたパトカーのフェンダーから立ち上がった。
「波多、すまんばってん、報告書は適当にごまかしとってくれ」
「仕方なかですね。そこの三浦くん、やったかな。彼のお姉さんに対する未成年者略取で通報を受けて現着したところ、彼が古閑誠たちに暴行を受けていたので全員を確保――そんなところで?」
「良かろうな。俺と玲央はおらんかったことにしといてくれると助かる」
「奴らの供述調書はどうします? 玲央はともかく、栗原さんがおらんかったことにするとはかなり難しかですけど」
「そこばどがんかするとがおまえの腕やろ?」
「ああ、そうですか」
波多さんは不満そうに鼻を鳴らした。お父さんが波多さんの肩をポンポンと叩く。
「ま、実際のところ、あいつらも俺の名前まで覚えちゃおらんやろ。偽名のほうがインパクトがあったろうし」
「越後のちりめん問屋がどうこうって奴?」
玲央が口を挟む。
「貧乏旗本の三男坊の徳田新之助でもよかったとやけどな」
「子供には通じらんって」
「まったく、この親子は……」
波多さんがぼやいた。ボクも同感だった。初めてこのハンサムな半居候に同情したくなった。
制服姿の警察官が波多さんに駆け寄ってきた。その人は一瞬、地面に座り込むボクを見てギョッとしたような視線を向けてきた。
「どうした?」
「えー、古閑誠の車から覚せい剤のパケが見つかりました。小分けしたとが十二袋、仕分けしとらんとが二袋。ざっと二〇グラムってとこですね」
波多さんの目つきが険しくなった。お父さんはヒュウと鋭い口笛を吹いた。
「波多、奴さんたちを現行犯逮捕だ。時刻はえーっと、午前零時十二分」
「ハッピー・バースデー」
嘲笑めいた玲央の声。思わず彼女の顔を見る。
「誰の?」
「古閑誠くんの。おめでとう、二十歳。これで晴れて少年法の適用外やねー」
ああ、そういうことか。
ボクの中でようやくパズルのピースがすべて埋まったような気がした。
古閑の体力を時間をかけてそぎ落としたのも、何かを待っていたように時間を気にしていたのも。そもそもあんな一対一の勝負を飲ませて事の成り行きを引っ張ったのも、すべては少年法という名の魔法が切れるのを待つための時間稼ぎだったんだ。
波多さんは制服警官と一緒に、古閑たちが載せられるのを待っている救急車のほうに向かった。
「あいつが二十歳の誕生日を迎えるのを待ってたんですか?」
お父さんは小さくうなずいた。
「法を守る警察官が言うともなんやけど、法律ってのはやっかいでなぁ。犯行時の年齢が未成年やったら、逮捕したときが何歳でも未成年扱いになってしまうとさ。まぁ、君への暴行とかお姉さんへの未成年者略取はどうしようもなかけど、薬物事犯については所持ば確認したとが成人後なら、大手を振って地裁に送れるわけったいね。販売目的ってことになれば、初犯でも執行猶予はなかけんな。地獄に落ちるぜ」
お父さんが呟く。玲央が顔をほころばせる。
「良かったね、亮太。これでお姉さんも安心やない?」
「うん……」
自分がやったことがもたらした結果に、ボクは少しの間、呆然としていた。
ボクは古閑がいずれは姉貴に暴力を振るうだろうと思って、何とか遠ざけようとしたに過ぎない。まさか、それが人を一人、刑務所へ送る手伝いになるとは思っていなかった。
もちろん、悪いのは古閑とその仲間たちであって、ボクが気に病まなきゃならない理由はない。むしろ、その運命に姉貴が巻き込まれそうになったことに怒るべきだし、その危険が去ったことを喜ぶべきだった。それは分かっている。
それでも、ボクの周りには幾重にも重なったヴェールが覆い被さっているような気がした。何かの拍子に大きな音がしたらパッと目を覚ましてしまいそうだ。要するにボクは、この夜の出来事にまだ現実感を抱けていなかったのだ。
うっそうとした山間の木々の間を縫うように救急車のサイレンが聞こえてきた。
「おっと、お迎えが来たぞ、坊主。おまえもとっとと病院で手当してもろうて来い。せっかくのハンサムが台無しぞ。彼氏がそがんやったらウチの跳ねっ返りが悲しむ」
「……はい」
ハンサム呼ばわりは照れ臭かったけど、からかわれているだけだと思って妙な否定はしなかった。傍にいた玲央が口を挟んでこなかったのがちょっとだけ嬉しかった。
ボクは救急車が入ってこれるところまで歩いた。玲央が隣を着いてくる。知り合いのバイク屋がトラックでバンディットを引き取りに来てくれるんだそうで、彼女はそれ待ちだった。いくらなんでも警察の目の前で乗って帰れない。
「玲央、ホントにありがとう。感謝してるよ」
ボクは玲央の顔を見た。玲央はさっきと同じように少し慌てた感じでそっぽを向いた。そのまま、こっちを見ずに口を開く。
「――ちょっとぉ、恥ずかしかけんやめてって。アタシたち、友だちやろ?」
友だち、か。
今はそれでもいい。でも、いつか玲央を守れるくらいに強くなりたい。
「……でもさぁ」
玲央の声に不満げな響きが混じる。
「何だい?」
「亮太、こっ酷うやられたよねぇ。アタシの特訓、役に立たんかったっちゃないと?」
結果からみれば彼女の言う通りかもしれないけど、一応、ボクにも言いたいことはあった。
「そんなことないよ。最後のほうは目も慣れてたし、避けようと思えば避けられたんだ」
「ホントにぃ?」
「本当さ。今なら玲央の手だって捕れるかもよ?」
「言うたね? よぉし、構えて」
本気かよ。ボクは慌てて半身に構える。玲央は短く息を吐いて鋭いジャブを放った。
まったく反射的としか言いようがないけど、ボクは見事に玲央の手首をつかんでいた。ひょっとしたら神経が昂っていて、いつもより集中力が高かったのかもしれない。
「……あれっ?」
「捕れちゃったね」
何とも言えない気まずい沈黙。やがてボクはニンマリと、玲央は引き攣った笑みを浮かべた。
「あの約束って月曜日だったよね?」
「そうやったっけ?」
「とぼけるなよ。今日は日曜日だから、タイムリミットの一週間以内だ」
「えーっ、ちょ、ちょっと待って。今のはナシ。ほら、練習時間中やないしさ」
「構えろって言ったのは玲央だろ? それに一昨日だったっけ、帰り道に不意打ちでやっといて、ボクが文句言ったら「いつ何時も練習」って言ってたじゃないか」
玲央はまたしてもそっぽを向いた。しかし、そんなことではボクは誤魔化されない。
「さってと、どんなこと聞いてもらっちゃおうかなぁ?」
「ふーんだ、亮太のイジワル」
振り返った玲央はイーッと歯を剥いて顔をしかめた。さすがにその顔は可愛くない。
「なんね、ホントに福岡高いところ巡りツアーとかすると?」
それも悪くはない。玲央が――あの勇ましい玲央が怖がって震えるところなんて、見たくても見られるものじゃないからだ。
でも、ボクは違うものにすることにした。
「だったら、写真を撮らせてくれないかな。今度はちゃんとしたのを撮りたいんだ」
玲央が不意に真顔になった。
「……今度は?」
馬鹿か、ボクは。
全身が総毛立った。失言にも程ってものがある。
玲央の目が物凄い勢いで吊り上がっていく。やばい、ボクは途轍もない地雷を踏んでしまった。
「そう言えば、さっきの二人組ってアタシの写真を見とったみたいやけど……。あれ、亮太の財布を漁っとったんよね?」
「えっ、あ、その……あはははは」
「笑って誤魔化さんよ! なんね、いつアタシの写真とか撮ったとッ!?」
言い訳が脳裏を駆け巡る。
でも、玲央に納得してもらえそうなものは一つとして浮かばなかった。嘘はつきたくなかったので、正直に自供することにした。
「ゴメン。実は昼休みにこっそり撮ったんだ。その……頼んでも断られると思ったから。写真、あんまり好きじゃないって言ってたよね」
「そうやけど……」
玲央は憮然とした表情だった。無言で手を差し出す。ボクはおずおずと自分の財布ごと玲央の手のひらに置いた。生活指導の女の先生にエロ本を没収されたって――いや、そんな経験ないけど――ここまで気まずくないに違いない。
玲央は財布から写真だけを引き抜いた。
「……ふん、まぁまぁ、よう撮れてるやん」
「でも、それロングショットだから小さいし、正面向いてないしね。できれば笑ってるところが欲しいんだ」
「嫌よ。アタシ、写真うつり悪かもん。――これはまぁ、没収せんけど」
玲央は写真を収めた財布を返してくれた。
「……なんでそがん、アタシの写真が欲しいと?」
その質問を待ってた。ボクは彼女を見据えて、大きく息を吸い込んだ。
「好きな子の写真を欲しがったら、おかしいかな?」
……うわあ、言っちゃったよ。
内心のドキドキを押し隠すようにボクの表情は硬くなっていく。鼓動がとんでもない速さに駆け上がっていくのが分かる。何よりも耳が熱い。
断られない自信なんてまるでなかった。なのに、不思議と嫌われたらどうしようとか、これで友だちでいられなくなったらどうしようとか、そういうネガティブな考えは浮かばなかった。それよりも、このチャンスを逃したら後はないという想いのほうが強かった。
玲央はプイッとあさっての方向を向いた。
「……まったく、意気地なしのくせにそがんとこばっかり度胸があるとね、亮太って」
お互いにその後の言葉が続かない。
救急車がバックで敷地に入ってきた。制服の警察官が降りてきた救急隊員と話をしている。こっちを見て、ボクのことを運ぶ患者だと説明しているようだ。
救急隊員のおじさんの指示通り、ボクは救急車のリアハッチから車内に乗り込んだ。玲央はボクの後ろに立っていた。
気まずいわけじゃないけど言葉が浮かばない。ボクは「……じゃあ、行くから」とだけ呟いた。
「――ねぇ、亮太?」
玲央がボクを呼んだ。けど、俯き加減でボクの目を見ようとはしない。
「なんだい?」
「……写真、綺麗に撮ってくれる?」
「もちろん」
玲央は顔を上げた。そこには照れ臭そうにはにかむ、今まで見せてくれた中で一番の微笑が浮かんでいた。
ポケットの中には携帯電話がある。写真を撮ろうと思えば撮れる。けれど、カメラのレンズを向ければ玲央は表情を固まらせるに違いなかった。それはそれで可愛らしいんだろうけど、今、目の前にある笑顔は写真に残すことはできない。
だから、ボクはそれを懸命に脳裏に焼き付けることにした。ブラジリアン・ハイキックなんて物騒な技を持っている、ボクだけの天使の笑顔を。