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17. 疾風

 

 

 姉貴の悲鳴のような叫び声――ボクの名前を呼ぶ声が聞こえる。

 たった数メートル向こうのはずなのに、やけに遠くに感じられる。左耳の奥に何か詰まったように感覚がなくなっている。鼓膜が破れたのかもしれない。

 どれくらい時間がたったんだろう。

 パトカーのサイレンが聞こえる気配はない。とんでもなく長い時間が過ぎたような気がするけど、そう考えると大して時間は稼げていないようだ。

 なのに、ボクはコンクリートの床に転がって、指先すら動かせなくなっていた。途中から顔は痕が目立つという理由でしこたま腹を殴られていた。おかげで内臓が圧縮プレス機にかけたように押し固められてしまっている。弁当を食べていたら、今ごろ床に胃の中身をぶちまけていただろう。

「ふう、ガキんくせにけっこうタフやな」

 古閑の弟――ヤスシの声。ボクより二学年上なだけとは思えない見事なすきっ歯のせいで、どうしても空気が洩れてるような妙な感じに聞こえる。

「そいつがタフやなくて、おまえが弱かだけやないとや?」

 誰かが混ぜっ返す。ヤスシは言い返しはしない。たぶん、言ったのは目上の誰かなんだろう。

 こいつらのグループ内の力関係に何の関心もないけど、変なチャチャを入れるのはやめて欲しかった。その分の腹いせがボクに回ってくるからだ。案の定、ヤスシはボクの背中に蹴りを入れた。

 勝てないことは最初から分かっていたし、覚悟もしていた。ボクの役目はとにかく姉貴たちから目を逸らさせることと時間を稼ぐこと。だから、こうやって地面に這いつくばって足蹴にされても冷静でいられた。悔しくないわけではもちろんないけど。

 玲央は――警察はまだか。

 一瞬、何かの手違いでこのまま来ないんじゃないか、という考えが脳裏をよぎる。

 玲央がうまく警察に説明できないで、まともに取り合ってもらえなかったんじゃないだろうか。あるいはボクが送った指示メールがサーバに引っかかったままになっていて、玲央は連絡がないことにやきもきしながらコンビニの前をウロウロしているのかもしれない。ひょっとしてコンビニに行く途中で無免許運転で止められて、話も聞いてもらえずにこっぴどくしぼられているのかも……。

 次々に浮かぶ不吉な考えを必死で振り払った。今さらジタバタしても始まらない。

「……さて、と」

 古閑の声音は「ぶっ殺す」を繰り返していたとは思えない朗らかさに満ちていた。変なクスリでもキメたんだろうか。

「リョータくんも大人しゅうなったところで、みんなでドライブに行くか。ヤスシ、ミノル、そのガキをおまえらのランクルに乗せろ。俺とハルカはノブのマークⅡに乗せてもらうけん。アッコとチヒロはカズシのアルテな」

 全員が思い思いに返事する。しないのはボクと姉貴、アッコとかいう赤毛の子。諦めたのか、それとも、恐ろしくて声が出せないのかは分からないけど姉貴たちは沈黙してしまったままだ。

「兄貴、こいつも連れていくとや?」

 ヤスシの不満そうな声。古閑が皮肉っぽく笑う。

「いくらなんでも、ここに置いとくわけにはいかんけんな。もちろん、途中で捨てるけど。ま、運が良けりゃ誰かに拾ってもらえるやろ」

「俺らのこと、タレこんだらどがんする?」

「大丈夫って。何て言うたっちゃあ、お姉ちゃん想いのリョータくんやけんな。ヘタなことしたらハルカが恥ずかしか思いすることくらい、想像できんわけやなかろうよ」

「なーるほど、さっすが兄貴」

 こういう輩が考えることって、どうしてこうベタなんだろう。まぁ、ベタは効果があるからベタなんだという考え方もあるんだけど。

 しかし、古閑たちがここを出るとなるといろいろと話が変わってくる。もし玲央が間に合わないのなら、せめて手掛かりを残していかなくちゃならない。携帯があればブラインドタッチでメールを打つという奥の手があるけど、壊されたくなかったので倉庫の外に隠してきていた。指示のメールを見た玲央から電話がかかってくるのをこいつらにとられたくないというのもあった。

 代わりのアイデアはまるで浮かばないまま、ボクはヤスシとモジャモジャ――ミノルの二人がかりで外に運び出された。ヤスシがブツブツとぼやく。

「なんで俺はこんガキで、ノブさんたちは女連れなんかな。不公平よなぁ」

「それば言うなら俺もそうさ。あーあ、せめてチヒロだけでもこっちならいいとに」

「あれは俺のオンナって」

「よう言うぜ。チヒロの奴、ノブさんとカズシさんにべったりやんか」

「せからしかって」

 話を聞いているだけでそこはかとなく人間関係が見えてくる。古閑と真ん中分け、トサカ――どっちがノブでどっちがカズシかは分からないけど――はイーブンな関係。ヤスシとミノル、チヒロは同学年だろう。ヤスシはまだチヒロと付き合ってるつもりのようだけど、チヒロはそうでもないようだ。それは窓の外から見ていてもそう思えた。

「ここまでクルマ回してくるけん待っとけ」

「おう。意外と重たかな、こいつ」

 一人じゃ支えきれなくて、ミノルはボクをコンクリートの前庭に放り出した。受身が取れずに背中を強く打ちつけた。衝撃で肺の中の空気を吐き出させられて、ボクはその場で猛烈に咳き込んだ。身体を丸めて何とか呼吸を取り戻そうとするけど、なかなか咳は収まらなかった。

「うっわ、汚なッ!! よだれで顔、グチャグチャやん」

 嘲るようなミノルの声。ヤスシはクルマに行こうとして途中で戻ってきた。

「どうした?」

「いや、どうせなら今のうちに迷惑料貰うとこうと思うてさ。クルマば汚さるっとは俺やけん」

 ヤスシはボクの上を跨いでポケットを漁り始めた。抵抗しようにも手足に力が入らない。せめてと思って身体を捩ったら、ヤスシが面倒くさそうに拳を落としてきた。後頭部を殴られて目の奥で火花が散った。

「オッ、なんやコレ?」

 ヤスシの手が腰の後ろのフラッシュライトに触れた。お守りとして貸してもらったけど、結局使わずじまいだった。

「懐中電灯?」

「あー? いらん、いらん。財布は持ってらんとかな……。お、けっこう持っとるやん」

 ジーンズの尻ポケットから財布を抜かれた。一万円とちょっと入っていたはずだ。あとはレンタルビデオ屋のカードと西鉄の定期券、ファミレスのドリンク券。それと――。

「うっわ、誰や、この女!?」

 それは学校でこっそり撮った玲央の写真だった。休み時間になると一人で中庭で過ごす習慣がある玲央を、父親が一時期趣味で使っていた超望遠の一眼レフで校舎の影から撮影したものだ。木々のやわらかい影の下でうっすらと目を伏せて物想いにふける玲央は、十五歳とは思えないほど大人びていた。

 盗撮と言われても何も言い返すことはできない。撮らせてくれと頼んでも断られること間違いなしなのでそうするしかなかったのだ。

「これ、ヤスの中学の制服やん?」

「へっ? ああ、そうやんか。――おい、ちょっと待てって」

 ヤスシの声が曇った。

「なんで、こいつがこの女の写真持っとうとかって」

「知っとう?」

「知っとうも何も――」

 ヤスシは言いよどんだ。そりゃそうだろう。暴力だけが拠り所のこいつにとって、二つも年下の女の子にぶちのめされたのは忌まわしい過去以外の何者でもない。

「ひょっとして、おまえが中学んときにボコボコにされた女?」

 ミノルの声に嘲りが混じる。一瞬、その場に剣呑な空気が膨らんだけど、すぐにしぼんでしまった。

「……そうったい」

 ヤスシはぶっきらぼうに認めた。自分で喧伝するはずはないので、おそらく古閑が面白半分に言いふらしたんだろう。いい兄貴を持って幸せだな。

「くそっ、こいつんせいで俺はエライ恥かいたんぞ。兄貴にはこれでもかっていうくらいバカにされるし」

「そりゃあ、女に負けるおまえが悪いとやんか。つーか、この女、そがん強かと?」

「空手やりよるけんな。言うとくけど、俺は相手が女って油断しとっただけぜ?」

 いくら油断してたって瞬殺はないだろ。心の中で突っ込んでやった。ミノルも同感だったようで、喉の奥で笑い声をあげている。

「ばってん、こうやって見るとこいつ、意外と可愛くね?」

「どこがかって。おまえ、実物見たことなかけんそがん思うだけさ。一七〇センチ以上もあるオトコオンナぜ?」

「誰がオトコオンナって?」

 バカ丸出しの会話に割り込む、ちょっとハスキーなアルト。その声は――

「ひぶっ!!」

 ボクの目の前にヤスシの顔が転がってきた。そのまま頭を踏みつけるように足が落ちてくる。ヤスシはとっさに地面を転がってその足を逃れた。

 ボクは首を捻って宙を見上げた。下から見上げるアングルのせいで実際以上に長く見える脚。


 ――玲央!!


 心の中で叫ぶ。本来あるべき立場とは逆だけど、助けに来てくれたことに胸が熱くなった。

「くっそ、貴様――」

 ヤスシが身体を起こそうとする。しかし、玲央はその隙を与えずにヤスシの顔面を思いっきり蹴り上げた。ゴツッという鈍い音がして、ヤスシはもんどりうって倒れた。玲央はさらに追い討ちをかけようとしている。

 パチン、という音がした。

 音がしたのはミノルの手の中だった。折り畳み式のナイフのノッチの音だ。オモチャのような小さな刃先だけど、勿論、それはオモチャじゃない。ヤスシに向かってるせいで玲央はミノルに背を向けている。

 ――危ないッ!!

 けれど、声は喉に引っかかって出せなかった。

 とっさに起き上がろうとしたボクの手に何かが触れた。ついさっき、ヤスシが「いらね」と言って放り出したフラッシュライトだった。

 拾い上げて、逆手に持ってグリップエンドのボタンに指をかけた。

「オイッ!!」

 ボクは力いっぱい怒鳴った。今度は声が出た。

 反射的にミノルがこっちを向く。発光ボタンを押し込んだ。先端から強烈な白色光――文字通りのビームが伸びる。

「――――ッ!!」

 ミノルの声にならない悲鳴。完全に不意打ちだったので、手で遮ることもできずに直視してしまっている。

 ……おい、こんなの子供に持たせていいのかよ。そう突っ込みたくなるほど、シュアファイアのフラッシュライトはとんでもない代物だった。至近距離では直接当たっていなくても目を背けずにいられないほどだ。細長いグリップの形のせいもあってガンダムのビームサーベルを連想してしまった。

「亮太、ナイスっ!!」

 声と共に視界に玲央が飛び込んできた。

 ミノルが必死に身体を捩る。頭を両手でガードして腹部を守ろうと身体を丸める。目が見えない状況ではそれしか方法がない。

 玲央は冷酷にも無防備な股間へキックを叩き込んだ。見ているボクまで生唾を飲み込んでしまいそうな見事な金的蹴り。

「ウゲエッ……!!」

 力ない呻きがミノルの口から洩れる。

 しかし、それでは終わらなかった。後ろ向きにたたらを踏むミノルをめがけて、玲央はとどめの上段後ろ回し蹴りを放った。すでに防御の術がないミノルの側頭部に、玲央の踵が吸い込まれるように命中した。

 悲鳴すらあげることもできずにミノルは撃沈した。

 

 

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