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16. 対峙

 

 

 額の汗を拭って、シャッター横のドアのノブに手を掛けた。

 足が震える。口の中がやたらと乾く。バットを持つ手から力が抜けて、そのまま取り落としてしまいそうな気がする。


 ――おい、意気地なし。しっかりしろよ。舐められたら終わりなんだぞ。


 自分を叱咤してノブを回す。中は思っていたより静かだった。音楽が鳴っていないからだ。意外とドアのすべりが良くて、ボクが入ってきたのには気づかれていない。

 そのまま中を窺う。天井のライトは奴らがいるところの上だけが灯っていて、それ以外は暗がりの中だ。ボクは足音を忍ばせて奴らの背後、さっき覗いていた窓際のスチールロッカーの陰まで移動した。

「……やけんさ、オマエが余計なコトしゃべるけん、リュウジがパクられたとやろうがって。なんでおまえ、そういうコト言うわけ?」

 甲高い声。しゃべっているのはモジャモジャのようだ。

 モジャモジャは赤毛の子の髪を掴んで頭を揺さぶっていた。赤毛の子は「イタイッ、イタイッ!!」と悲鳴を上げてモジャモジャの手を押さえようとしている。もちろん、女の子の力では儚い抵抗でしかない。近づいてみて分かったけど、彼女の顔は痛々しいほどに腫れ上がっていた。

 質問の形をとっていても、答えを求めてられていないのは明らかだった。それはただの粛清だった。

「それにしたって、アッコもつまらんことしてくれたよなぁ。アニキの誕生パーティーが台無しやんか」

「ホントったいねー。せっかくハルカちゃんまで来てくれたとにさ。ねぇ?」

 軍艦カットと金髪女の元カップルが顔を見合わせた。最後の「ねぇ?」は姉貴に向けられたものだった。姉貴は小声で同意らしき言葉を口にする。

「で、どがんすっとや、マコト。イモヅル式にパクられるとか嫌ぜ?」

 金髪真ん中分けがつまらなそうに言った。古閑は飲み干したビールの缶をダンボールで作ったゴミ箱に放り込んだ。

「まぁ、しばらくは大人しゅうしとかんといかんやろうな。ちょうど良かったかもしれん。手持ちが少のうなってきとったし、次が入ってくるとにもちっと時間がかかりそうやったけんな」

「なんや、それ。手持ちがなかってどうゆうこつや?」

「なかとは言いよらんやろ。だいたい、オマエらがむやみにバラまくけんやろうが」

「しょうがなかやん。みんながくれくれって言うとやけんさ」

「みんなって誰や。どうせクラブでひっかけた女やろうが」

「まぁな。アレがあると楽ったいねー。ちびっと食わせてやったらすぐ脚ば開くけんな」

「あ、それは言える」

 赤毛の子をいたぶっていたモジャモジャが口を挟んだ。無口っぽい茶髪のトサカが肩をすくめる。古閑が忌々しそうに舌を鳴らした。

「ちっとは控えろって。そげん安いなかとぜ?」

「よう言うよ、自分の分はちゃんととってあるくせに。ハルカちゃん、もう飲ませてもらった?」

「……何の話?」

 姉貴がおずおずと口を開く。その声は恐怖に締め付けられるように暗くかすれていた。

 答えはとっくに出ていた。出てくる単語はどれもこいつらがドラッグを使っていることを示している。そして今夜、古閑がそれを姉貴に使うつもりだということを。

 その場の空気が変質したような気がした。立ち上がろうとした姉貴の身体は、しかし、隣の男によってがっちり押さえられていた。

「じゃあ、ハルカ、そろそろデビューするか?」

 周囲の連中が口々に囃したてる。姉貴は激しく身を捩ってその場を逃れようとした。

「ヤダ、ヤダ、そんなのヤダァ!!」

「大人しくしろって、ハルカ。騒いだっちゃ誰も助けにとか来んとやけんさ」

 古閑が爬虫類を連想させるヌメッとした含み笑いを姉貴に向けた。

 しかし、そんな光景を見ながら、ボクの頭の中はひどく冷静だった。苦笑いさえ浮かんでしまいそうだ。これが殺意というものなんだろうか。

 担いだ金属バットで肩をトントンと叩きながら、ボクは一歩を踏み出した。

「あー、お取り込み中、申し訳ありませんがね」

 我ながら芝居がかった声。大声で叫ばなかったのは声が裏返ったらみっともないからだけど、自分を落ち着かせる意味もあった。無駄にテンションを上げる必要はない。やるべきことは決まってるんだから。

 突然の闖入者に全員の視線がこっちを向いた。怪訝そうにボクの顔を凝視してくる。

「亮太!?」

 姉貴が一番に大声を出した。

「……どうして?」

「迎えに来たに決まってるだろ。まったく、こんなところで何やってんだよ。遅くまで出歩いてると母さんに叱られるぜ」

 場違いな姉弟の会話。古閑を始めとして、誰もが事態が飲み込めないようにキョトンとした顔をしている。そんな中で最初に立ち直ったのは軍艦カットだった。

「誰や、貴様きさんッ!?」

「ちゃんと話を聞いてないのかよ。どう考えたって、そこにいる三浦春香の弟だろ。ひょっとして日本語が通じないのか?」

「なんてや、コラ」

 バネ仕掛けの人形のように軍艦カットが立ち上がる。

 そいつを見ているようなフリで、ボクはずっと姉貴と古閑の動きを追っていた。できれば全員が呆けている今のうちに動いて欲しかったけど、恐怖に固まっている姉貴にそれを求めるのは酷だ。

 ほんの数秒の睨み合い。古閑がゆっくりと立ち上がる。真ん中分けとトサカ、金髪女は様子を見守るように座ったままだ。モジャモジャも一人掛けのボックスソファで薄笑いを浮かべてこっちを見てる。

 古閑は呆然とする姉貴の肩に強引に手を回した。

「――ハルカ、言うちゃれよ。一人でとっとと帰れって。おまえ、弟が遊びに行く邪魔ばっかりしてムカつくって言いよったやん」

「うそっ、そんなこと――」

「言うてないとか言うなよ。あと、なんやったっけ。ストーカーみたいにバイト先まで顔を出すけん、ウザくてしょうがないっても言いよらんかったか?」

 姉貴の目に後悔と気まずさ、罪悪感の色が浮かぶ。力なくうな垂れる姉貴を、古閑は力任せに引き寄せた。

「亮太ぁ、ゴメン、そんなつもりじゃ……」

「そんなつもりやなかなら、どがんつもりなんかってッ!?」

 姉貴の声に古閑の嘲笑がかぶさる。姉貴は顔を伏せてボクから目を逸らした。古閑はボクを見て、気持ち悪いほど相好を崩した。

「おまえ、こがん薄情な姉ちゃんば心配して、山奥まで追っかけて来たってか。美しい姉弟愛やんか。ヤスシ、おまえもちっとは見習えって」

「そこでオレ?」

 軍艦カット――ヤスシが口を尖らせる。金髪女がギャハハと品のない笑い声をあげる。

 目配せを合図に他の三人と金髪女が一斉に立ち上がった。赤毛の女の子を引っ立てて外へ連れて行こうとする。彼女のことも気になるけど、今は助けに行けない。

「ま、そういうことやけん、さっさと引き上げちゃってくれ。もちろん一人で。俺たち、今から出かけるけんさ」

「そういうわけにはいかない。姉ちゃんとその女の子は置いてってもらう」

「はぁ?」

 古閑は何かの発作のように笑い出した。他人を馬鹿にすることに慣れた無駄に朗らかな笑顔。横でヤスシが追従のような曖昧な笑いを浮かべている。

「勇ましかこったいな、ええ? 持ち慣れんモンば持っとうと怪我すっぜ。そがんもん、どんだけ振り回したって俺にゃ当たらん」

「ああ、コレ?」

 バットを持つ手に力がこもる。

「心配しなくていいよ。あんたに当たらないことは分かってる。そのために持ってるわけじゃないからね」

「……ハルカの弟やけんって、あんまり調子に乗んなよ?」

「調子に乗ってるのはそっちだろ。あんたには当たらなくても、表に停まってる霊柩車には当たるんだぜ」

「なんてや?」

 バンッとドアが開く。茶髪のトサカが顔を出す。

「オイ、マコトッ!! こんガキ、おまえのクルマばボッコボコにしとうぞッ!!」

 ボッコボコっていうほど酷くないだろ。ちょっとフロントガラスとヘッドライトを割っただけなんだから。

 そのままこっちに来るかと思ったら、古閑は姉貴を突き飛ばして外へ飛び出した。ヤスシもその後に続く。その場にはボクと姉貴だけが残された。どうせ逃げられはしないと踏んでいるんだろう。

「姉ちゃんッ!!」

 呆けてる姉貴に怒鳴る。姉貴はビクッと身体を震わせた。普段の威張りくさった姉貴面はどうしたのかと訊きたくなるくらい、泣き顔は子供のようだった。

「……亮太ぁ」

「泣くなよ。――大丈夫、すぐに助けがくる」

 今の姉貴にその意味が理解できるかどうかは分からない。ボクはGショックに目をやった。バックナックルを使うときや、相手の攻撃を受け止めるときに腕時計をしていると思わぬ効果がある。壊す覚悟があるなら簡易のメリケンサックの代わりにだって使える。玲央に教わったことだ。

 玲央がここを離れて二〇分。そろそろ警察に通報してくれている頃だ。

「――こんガキャアッ!!」

 古閑が猛然と中に戻ってきた。目が血走っている。胸倉をつかまれたのとほぼ同時に強烈な右が飛んできた。一瞬、意識が飛びそうになった。

 痛いというよりも殴られたところが熱い。そのまま吹っ飛ばしてくれればいいのに、胸倉はつかまれたままだった。おかげで二発目を喰らうことになった。今度は本当に吹っ飛ばされた。

「亮太ッ!!」

 姉貴の叫び声。古閑につかみ掛かろうとするのをヤスシが押さえ込んでいる。

 ボクはよろめく足で地面を確かめながら立ち上がった。金属バットはすでにどこかへ転がっていってしまっている。もとより不意打ちでもかけない限り、使えるとは思ってなかった。グロリアをボコボコにする役に立っただけで充分だ。

「このクソガキ、マジでぶち殺す」

「……他に違った言い回しはないのかよ? ワンパターンにも程があるぜ?」

 返事の代わりにロー・キックが飛んできた。玲央が見せてくれる下段回し蹴りとは比べるべくもないけど、言うことを聞いてくれないボクの脚にはかなりこたえた。再びボクは膝をついた。予想していたからといって痛みをこらえられるもんじゃない。

 口の中を切ったのか、やたらと金気くさい。二発目が当たった顎のちょうつがいのあたりが早くもうずく。

 でも、よく考えるとそこは玲央との特訓でいためたところだった。まったく、練習なんだから少しくらい手加減してくれればいいのに。ま、手加減したら特訓にならないけど。

 自分で自分に突っ込むとなんだか可笑しくなった。

 ボクは笑みを浮かべていたんだろう。古閑は苛立ったような声で「何笑いようとかって」と言いつつ、ミドルキックを撃ち込んで来た。とっさにガードして脇腹に直撃するのは避けた。そのまま転がって少し離れたところで身体を起こす。

 目の端に外に出て行った面々が戻ってくるのを捉えた。赤毛の子も一緒だ。姉貴と二人、乱暴に床に座らされている。泣きじゃくる声に混じって、姉貴がボクの名前を呼んでいるのが聞こえる。


 ――よし、これでいい。


 この場に殴り込むことについては、ボクなりに計算を立てていた。

 奴らの暴力を姉貴たちに向けない方法は一つしかない。矛先をそれ以外――つまりボクに向けることだ。グロリアを壊したのはそのためだ。ヤンキーにとってクルマはある意味すべてだろうし、悪趣味でもあのグロリアにはお金がかかっている。

 逆上した古閑はボクをボコボコにするはずだし、他の奴らもそれに追従するだろう。少なくともその間は姉貴たちへの乱暴は防げる。そうやって時間を稼いでいる間に玲央が警察を連れて戻ってきてくれるはずだ。

 つまり、ボクはそれまでの間、古閑の攻撃に耐え続ければいい。こいつをぶちのめせなくてもいい。こいつらにはボクに対する傷害以外に、麻薬の所持という言い逃れできない容疑があるのだ。

 終了のゴングが鳴るまで持ちこたえることができれば、ボクの勝ちだ。

 

 

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