15. 約束
廃材置場は思っていたよりはずっと狭くて、都会の学校の手狭な校庭くらいの広さだった。
山肌側には鉄骨で支えられたスレートの大きな屋根があって、見るからに動かなそうなボロボロのトラックが停めてある。うずたかく積み上げられた材木がいくつかの山を作っているけど、それらが再利用を待っているのか、朽ちるまで放っておかれているのかは分からない。
敷地の奥のほうに玲央が言っていたスレート壁の倉庫のような建物があった。採光用の窓は屋根に近い高いところにあって、そこから中に灯りが点っているのが見て取れた。正面のシャッターも完全には閉まっていなくて、下の僅かな隙間から光が洩れている。シャッターの横にドアらしきものがある。その前にクルマが四台。古閑のグロリアと鈍い赤ランドクルーザー、白いマークⅡ、シルバーのアルテッツァ。
「クルマ、動かんようにしとっちゃろうか?」
「どうして?」
「逃げるとき、追いかけられると面倒やん。こっちは徒歩やし」
確かにそうだ。バンディットに三人は乗れない。
「でも、どうやって?」
「タイヤをパンクさせとくとか。釘ならいっぱいありそう」
どこで拾ったのか、玲央は大きな釘を手にしていた。廃材置場だから探せば木に刺さったままのものは見つかるだろう。
少し考えて、ボクは首を横に振った。
「時間がないよ。逃げるときはクルマが入れないところに逃げればいいし、音を立てるのもあんまり感心しないな」
「そう?」
玲央は少し不満そうだった。
建物に近寄った。中からはエイベックス系のユーロビートが聴こえてくる。それとけたたましい笑い声。どうしてこういう連中は無駄に声が大きいんだろう。
汚れた窓の一つから中の様子を窺った。
小さな体育館くらいあるここは元は加工場だったらしくて、中のスペースの三分の一ほどを占める大きな作業台や、機械が据えてあったらしいコンクリートの台座がある。奥のほうには壊れて動かなくなったサビだらけのフォークリフト。天井からはチェーンで材木を持ち上げるウィンチがぶら下がったままだ。正面のシャッターを開けると、ちょうど作業台の前にトラックをつけられるようになっている。外の置場から材木を運んできてここで加工、そのままトラックに載せて出荷という形になっていたようだ。
建物の残りは加工中の材木を置いておく場所だったんだろう。真四角になるようにとられたそのスペースが、今は古閑たちのアジトになっているというわけだ。
「ひい、ふう、みい……。うっわ、多い」
隣で窓を覗き込みながら、玲央は指で中の人数を数えている。
L字型に置かれた三人掛けのソファにそれぞれ三人、床に直置きしてあるコンポのセットの前に一人。そして、その真ん中でコンクリートの床に横座りしているのが一人。合計で八人。
古閑らしいボウズ頭はこっちに背を向けるソファの一番端。その隣に姉貴のポニーテール。馴れ馴れしく肩に回した手の先にビールの缶が見える。古閑はそれを姉貴に飲ませようとしている。姉貴は露骨には断らないものの、嫌がっているようだ。古閑も無理に飲ませようとはしていない。反対の手にはタバコ。忙しない奴だな、どっちかにしろよ。
姉貴を挟んだ反対側に今どきあまり見かけないリーゼント。もう一つのソファも位置関係は同じ――女の子を男二人で挟んでいる。金髪の真ん中分けと茶髪のトサカという違いはあっても、誰彼かまわず睨みつけずにはいられない澱んだ目つきは同じだ。
二人の間にいる女子はこういう男たちと詰め合わせセットのような枯れ草色の金髪だった。
笑い声の主な供給源はここだった。どぎついアイメイクや露出しすぎの服からして目指しているところが浜崎あゆみなのは間違いないけど、残念ながらそこへ到達するにはかなりの、しかも困難な道程がありそうだった。まずは歯並びの矯正にいかなくちゃならない。その次は断食道場。
コンポの前にヤンキー座りしていたのは小柄で痩せた男だ。モジャモジャの髪を後ろに束ねていて、歯をむき出しにして笑っている。軽くステップを踏みながら、誰かを脅かすようにロー・キックの真似を繰り返している。
その誰かは真ん中で地べたに横座りしている女の子だった。モジャモジャの蹴りが空を切るたびにビクッと肩をすくめている。姉貴とは違う高校の制服を着ていて、セミロングの髪は赤みがかっている。目指すところがどこかは分からないけど、いずれにしても浜崎よりは彼女のほうがいくらか道は平坦に見える。
何を話しているのかは聞こえなかった。表のシャッターから洩れ聞こえていた声が、この場所からはよく聞こえなかったからだ。
玲央がボクの肩を指でつついた。
「あんまり状況は良うないみたいね」
「うん。何を話してんだろ?」
「見た感じじゃ、真ん中の女の子を吊るし上げようみたいやけど……。しっかし何よ、あのロー。まったく腰が入っとらんやん」
そこは怒るところじゃないような気がする。
「知ってる顔は?」
「お姉さんの隣の軍艦カットは古閑の弟。ずっとアレがトレードマークなんよ。それと、もう一つのソファの金髪女はウチの学校の卒業生」
「そうなの?」
「うん。アタシが弟をぶちのめした後、インネンつけてきたけんね。あの二人、付き合うとったとよ。今はそうやないみたいやけど」
確かにそんな感じだった。付き合っているんなら他の男の間には入らないだろう。
「で、どうなったのさ、そのインネンは? まさか、あの歯並びの悪さは玲央に蹴っ飛ばされたから?」
「アタシ、女の子の顔を蹴るほど極悪人やなかよ。やたら足クセの悪い女やったけん、徹底的に下段で足を潰してやっただけ」
「サラッと怖いこと言うなよ」
玲央は素知らぬ顔でボクの指摘をやりすごした。
「……さて、と。どうする、亮太?」
「うん、どうしよう」
玲央と話しながら、ボクはこの後の策を考えていた。
警察を呼ぶのがベストの選択なのは間違いない。姉貴まで補導されるのは本意じゃないけど、ここまできて「一人だけ何事もなく放免」というほど都合よく物事が進まないのは覚悟しなくちゃならない。姉貴の恨みがましい視線に耐えることなんて、最悪の事態に比べれば何でもないことだ。
問題はどうやって警察を呼ぶか――言い換えると、どんな容疑で警察に通報するかだ。
今のところ、こいつらはまだ明確な罪を犯していない。十七歳の女子高生を夜に連れまわすのは、たぶん何かの法律か条例に引っかかると思う。でも、それだけで警察がホイホイと動いてくれるとはちょっと思えない。そんなことを言ったら、箱崎埠頭あたりにいるヤンキー車はすべて検挙しなきゃならなくなる。
せめてこの廃材置場がもうちょっと民家に近いとか他の誰かの所有だったら、夜に騒がれて近所迷惑とか不法侵入とかいくらでも理由をつけられる。けれど、ここは古閑の親が経営する会社の持ち物、しかも山奥だ。どうにもならない。
それでも、警察を呼ぶだけなら手はある。理由をでっち上げればいい。
ただ、問題はそうやって警察を呼んだ後だ。もしも警察が踏み込んだときにそれなりの事実――つまり、古閑たちを逮捕するに足りる何かがなければ、せいぜい注意を受ける程度だ。この場はとりあえず姉貴たちを解放することができるだろうけど、それは単に事態を先延ばしするだけだ。おまけに今度は警察もまともに取り合ってくれなくなる。
何かが起こることを期待してるわけじゃないけど、何も起こらなければ動きがとれない。思わぬジレンマに眩暈がするほど腹が立った。
「六人かぁ。さすがにちょっとヤバかねぇ」
ボクが考え込んでるからか、玲央は窓からの監視に戻っていた。険しい眼差しや言ってることとは裏腹に、口許には舌なめずりしそうな不敵な笑みが浮かんでいる。間違いない。彼女は中の奴らをぶちのめす算段をしている。
「まさか、殴り込むつもりじゃないだろうね?」
「しょうがないやん。打つ手がないとやろ?」
「そうだけど……。でも、それはやっぱり無理だよ」
「ビビっとうと?」
玲央は鼻白んだような視線を向けてくる。ボクは思わず彼女を睨みかえした。
「そうじゃない。この期に及んでビビるもんか。でも、冷静に考えろよ。六対二で勝てるわけないだろ」
しかも二は数値どおりじゃない。見た限り、ボクが勝てる可能性があるのは金髪女と小柄なモジャモジャくらいだ。玲央は四人を相手にすることになる。
「じゃあ、どうすると? お姉さんがあの真ん中の子みたいなことになってもよかと?」
赤毛の彼女はさっきからモジャモジャに何やら問い詰められていた。俯き気味の彼女の顔を下から覗き込んでいる。ヤンキー座りでそうするにはかなり身体を捻らなきゃならない。傍から見れば滑稽な格好でしかないけど、彼女からすれば笑うどころの話じゃないだろう。
ボクは玲央を引っ張って、その場を離れた。
「玲央。――頼みがあるんだ」
「何ね?」
「警察を呼んできて欲しいんだ。正確に言うと、いつでも呼べるところまで行って待ってて欲しいんだ」
玲央はこれ以上ないほど怪訝そうな顔をしていた。
「……意味が分からんけど。警察なら携帯で呼べばいいやん。電波は来とうし」
「それは分かってる。ボクのも通じるしね。言いたいのはそういうことじゃないんだ。玲央、ここの場所を警察に説明できるかい?」
一度しか通っていないボクには山道の説明は最初から無理だし、バンディットの後ろで見ていた限り、いくら道を覚えるのが得意な彼女でも他人に説明するのは無理そうだった。何と言っても目印がなさすぎる。
「古閑建材の資材置場って言えば分かるっちゃないと?」
「ここが住所登録されていればね。でも、ここには電話がない。君を待ってる間に一〇四で訊いてみたんだ。古閑建材でいくつ番号があるかって。届けがあるのは雁ノ巣の本社と津屋崎ってとこにある資材置場だけだった。電話で古閑建材の資材置場って言ったんじゃ津屋崎に行かれかねない」
「警察もそがんバカやないと思うけど……」
そう言いながら、玲央もはっきりとは否定できないようだった。
ボクが心配しているのはそれだけじゃなかった。何を理由に通報するかにもよるけど、通報のときに「津屋崎じゃない、山の中の資材置場」と念を押せば、普通は警察はまず所有する会社に確認の連絡を入れるはずだ。
しかし、今回はそうされるわけにはいかなかった。時刻からして、その電話を受けるのが古閑の親だからだ。彼らは悪さをしているのが自分の息子たちであることに気づくだろう。ここの場所をとぼけるわけにはいかなくても、そうなればすぐに連絡が入って、警察が到着した頃には誰もいなくなってしまう。
「なるほどね。それで?」
「ボクがこの場で奴らを見張る。君は警察が分かるところ――さっきのコンビニで連絡を待ってる。ボクが電話かメールで連絡を入れたら、すぐに一一〇番するんだ。そして、警察が来たらここまで連れてきて欲しい」
「どうしてアタシが連絡係なん? お姉さんにもしものことがあったとき、誰が助けると?」
「言ったろ、六人はいくら玲央でも相手にできないって。それにコンビニまでどうやって行くのさ。まさか、ボクにバンディットを運転しろって言うんじゃないだろうね?」
「そうやけど……」
ついでに言うなら、玲央がバイクで警察を先導するような事態も避けたかった。いくら非常時でも無免許運転を見逃してはくれないだろう。
「……分かった」
いかにも渋々といった感じで玲央は言った。
「頼んだよ。君だけが頼りなんだから」
「いまいち納得いかんけど。まぁ、よかたいね。そん代わり――」
「何だよ?」
玲央はボクの目をジッと覗き込んだ。ボクは場違いにも鼓動が早くなるのを感じた。
「もし、お姉さんの身に何かあったって、絶対にムチャしたらダメよ?」
「大丈夫、そんな怖いことできないって。何と言ってもボクは意気地なしだからね」
「まだそんなこと言いよる。亮太って意外と根に持つタイプやね」
玲央は少しだけ渋い顔をした。ボクは笑った。自分がこの場で浮かべたいと思った、穏やかで自信に満ちた笑顔を浮かべられた気がした。
「約束するよ。ムチャはしない。だから、早く行ってくれ」
急ぎ足でこの場を離れる玲央を見送って、ボクは時間の計算をした。
ここからコンビニまでがおよそ一〇分。
問題は警察に電話をかける段階から後だ。いくら玲央が理路整然と話したとしても、説明に五分はかかるだろう。警察がすぐに動いてくれたとして、コンビニまで五分以内ということはない。まぁ、一〇分というところか。そして、ここへ戻ってくるのに一〇分。計二十五分。姉貴に取り返しのつかない傷を負わせるのには充分すぎる時間だ。
建物の中を覗き込んだ。
どうやら事態は少しずつ進行しているようだった。さっきまで座っていた赤毛の子は床に打ち倒されている。得意げにピョンピョンとステップを踏むモジャモジャの姿。囃し立てる周りの面々。その中で姉貴だけが後姿でも分かるくらい身を硬くしている。
玲央には事態が動いたら連絡を入れると言った。でも、最初からそんなつもりはなかった。
ボクは玲央に向けてメールを打った。細かい指示を書き込むとメールはかなりの長さになった。コンビニに着いたらすぐに警察を呼ぶように――そういう内容だ。打ち合わせの内容と違っているのは被害者が姉貴でもなければ、床に座り込んでた赤毛の子でもないことだ。
警察を動かすには理由が必要だ。言い換えれば被害者が必要だ。だったら、奴らが行動を起こすのを待たなくても他に手はある。被害者は作ればいい。ボクは金属バットを握り締めた。
ゴメン、玲央。約束は守れそうにない。