13. 追跡
実際にこうなってみると、ボクには手の出しようがなかった。
GPS付きの携帯電話は基地局を経由して位置情報がサーバに残るので、かなり正確に追尾できるという話は聞いたことがある。でも、その機能を利用する方法までは分からない。携帯電話会社に電話しても相手にしてもらえないだろう。
警察も同じだ。今のところ、姉貴もあいつも何も犯罪行為は犯していない。女子高生がバイトを抜け出して男に会いに行くのをいちいち追跡していたら、警察はそれだけで手一杯になってしまう。
仮に二人がいるところが分かったとしても、そこまで行く方法がない。相手には悪趣味極まりなくてもクルマがある。ボクには自転車しかない。
結局、ボクは無力な子供にすぎないのか。
できることと言えば、あいつが本性を表すのが今夜じゃないことを祈ることしかだけだ。金属バットなんか用意して、何を準備をしてるつもりになっていたのか。自分の頭をバットでぶん殴りたい気分だった。
呆然としていると携帯電話が鳴った。ディスプレイに表示されていたのは〈栗原玲央〉の名前だった。
少し迷ったけど通話ボタンを押した。
「――もしもし?」
「何ね、その露骨に落胆した声は?」
そんなつもりはないけど、彼女から電話をくれた嬉しさと何だろうという戸惑いが半々といったところだった。
「ひょっとして亮太、まだいじけとうと?」
「いや、そんなことないよ。ちょっと取り込んでるもんだからさ。それより、昼間はゴメン。あんなこと言うつもりはなかったんだ」
一瞬の沈黙。微かな吐息が聞こえたような気がした。
「ううん、こっちこそゴメン。アタシもあんなキツイこと、言うつもりやなかったとよ?」
「いいんだ。おかげで目が覚めたよ。その……怒ってないかい?」
玲央は少しおどけた調子で「怒っとらんよ」と言った。
「亮太こそ、気にしとらんと?」
「してないよ。意気地なしなのは本当だしね」
「気にしとうやん」
ちょっとだけ沈黙があって、ボクらは静かに笑いあった。本当は電話越しじゃなくてちゃんと会って謝りたかった。彼女が気づかせてくれなかったら、ボクはとんでもない思い違いをするところだったのだ。
「ところで、取り込み中って言うたけど、どうかしたと?」
話すべきかどうか、ちょっとだけ迷った。これはあくまでもボクの問題だ。彼女を巻き込むべきじゃない。
でも、ボク一人ではどうすればいいのか分からないのも事実だ。何かいい解決策があるわけでもない。つまらないことにこだわらずに今は知恵を借りるときだ。
「姉貴がバイト先を抜け出したんだ。たぶん、あのヤンキーと一緒にいると思うんだけど」
「ああ、そがんやね」
「ヘッ!?」
思わず奇妙な声が洩れた。なぜ、玲央がそれを知ってる?
「どういうことだよ?」
「だって、二人ともアタシの目の前におるもん。えーっと、正確には五〇メートルくらい前方」
何がどうなってるのか分からない。
電話の向こうでマイクが風を切る音を拾った。アクセルが開く金属的な唸りも微かに聞こえる。玲央は例の真っ赤なバンディットに乗っているらしい。
「君、どこにいるのさ?」
「和白通りを新宮方面に北上中。もう新宮町に入ったかな。どうでもよかけどこの辺ってカラオケ屋さん多かねぇ。郊外やけんかな?」
「何を呑気なこと言ってるんだよ。なんでそんなところに?」
いよいよ意味が分からなくなってきた。ハッキリしてるのは玲央が新宮町の国道3号線を走っていて、その五〇メートルほど先に二人がいるということは……。
「ひょっとして君、あの霊柩車もどきを追いかけてんのか?」
「あったり~」
玲央の声は無意味に朗らかだった。尾行という普通はありえないシチュエーションにテンションが上がっているのかもしれない。
「夕方からあのヤンキーに張り付いとったけど、八時過ぎくらいにお姉さんのバイト先に向かったけん、こりゃやるかなと思っとったら、案の定」
「貼り付いてたって、ずっと?」
「今日はね」
思い返してみると、学校での特訓の前後に玲央はやたらと生あくびをしていた。杉野から「栗原の奴、授業中に思いっきりイビキかいて寝とったぞ」とも聞かされていた。それもこれも、ボクはてっきりグラウベのDVDを見たり、ブラジリアン・キックの練習をしているもんだとばかり思っていた。
しかし、実際はそうじゃなかったらしい。
「まぁ、やるとしたら今夜とは思っとったけどね」
「何が?」
「古閑がお姉さんを呼び出すとが。ついでに言うと、お姉さんにその――危害を加えるともね」
「どうして、そんなことが分かるんだよ?」
「古閑誠の二十歳の誕生日が明日なんよ。今夜までは何やっても少年法が適用されるけど、午前零時を過ぎればそうやなくなるけんね。ちゃんと刑法で裁かれるし、晴れて実名報道やし」
だからその前にというわけか。今週に限って姉貴を水曜日に連れ出そうとしたのも、おそらくそのためだ。あのときはボクが邪魔をしたせいで目的は果たせなかった。だから今夜、姉貴にアルバイトを早退させてまで邪な企みを実行に移そうとしている。クソッ、なんて奴だ。
「ところで玲央、どうしてあいつの――古閑誠の誕生日が明日だなんて知ってるんだよ?」
「調べたに決まっとうやん」
玲央は例によって事も無げに言う。ボクは思わず盛大に溜め息をついた。
「どうしてそこまでしてくれるのさ?」
ボクの声は自分でも驚くほど冷たかった。玲央は少し当惑したようだった。
「どうしてって……友だちのお姉さんが危ない目に遭うのを防ぎたいって思うとが、そんなにいけんこと?」
「いけないとは言ってない。でも、あんな奴の周りをウロウロして、玲央の身に何かあったらどうするんだよ。自分がどれだけ危険なことをやってるのか、分かってんのか?」
「アタシのこと、心配してくれとうと?」
「いい加減にしろよ。ボクは真面目に話してるんだぞ」
声に込められるだけの真剣さを込めて言った。玲央の不満そうな沈黙が電波を介して伝わってくる。
「……アタシがやってること、お節介なん?」
「そうじゃない。気持ちは嬉しいし、感謝もしてる。それは本当だよ。でも、君に危ないことはして欲しくない」
「危なくなんか――」
「相手は名の知れたファイターなんだってね。そりゃ君は強いんだろうさ。でも、夜道で女の子を殴るような奴が真っ当な勝負に応じるわけがない。君がボクに言ったことだよ?」
「分かっとうよ、そんなこと」
「いいや、分かってない」
玲央はしばらく黙っていた。口を尖らせて頬を膨らませている表情が脳裏に浮かんだ。
「そんなに怒らんでもいいやん。なんね、喜んでくれると思ったとに……」
そりゃボクだって喜んでいるさ。けれど、それを彼女に見せるわけにはいかない。見せれば彼女はさらにムチャをするに違いないからだ。
「じゃあ、どうすっとよ?」
彼女にこれ以上、危険なことをさせるわけにはいかない。
しかし、今、玲央が目を離せばいよいよ姉貴の行先の手掛かりはなくなってしまう。矛盾に苛立たされつつも、とりあえず行先がハッキリするところまでは彼女に尾行を頼むしかなかった。
「ボクもそっちに行きたいんだけど、何か方法はないかな。まだJRはあると思うんだけど」
「あるやろうけど。でも、まさか、タクシーで乗りつけるなんて言わんでよね」
「そうだよなぁ……」
他に手がなければ父親を呼び戻すしかない。いくら仕事の虫でも事情を話せばすぐに戻ってくるだろう。いくら父親が姉貴に甘くても――いや、甘いからこそ古閑のような男の存在は許せないはずだ。その後の家庭内冷戦を想像すると恐ろしく気が滅入るけど、最悪の事態よりはマシだ。
「ねぇ、亮太。あんた、原付には乗れる?」
不意の質問に答えに詰まった。
「えっ? ……うん、茨城の祖父ちゃんちで乗ってたけど?」
今、ぶっ倒れている母方の祖父の家は土浦で農業をやっている。関東に住んでいたときには田植えや稲刈りの時期には手伝いに行かされていて、そのときに弁当やお茶を運ぶのに農道を原付バイクで走らされていた。
「何ね、自分も無免許で公道走ったことあるやん。アタシのこと、さんざん不良みたいに言うたくせにさ」
「田舎の農道をチンタラ走るのと、福岡みたいな都会をブッ飛ばすんじゃ罪の重さが違うよ。で、それがどうしたのさ? まさかバイクを盗んでこいなんていうんじゃないだろうね」
「尾崎豊じゃあるまいし。ウチに乗っとらんヴェスパがあるとよ。お祖母ちゃんちから乗って帰ってきて返しとらん奴がね」
「それを貸してくれるのかい?」
「コケんて約束してくれるならね」
玲央は彼女のアパートのカギの隠し場所――お父さんがよくバッグごと仕事場に忘れてくるのでそうしてあるらしい――と、ヴェスパのキーや予備のヘルメットが置いてあるところを教えてくれた。
「あ、カギが入っとう小物入れの横の抽斗は絶対開けんでよね。いい?」
「開けないよ。泥棒じゃあるまいし」
玲央は他にいくつか持ってきて欲しいもののリストを並べ立てた。ボクはそれをメモしてポケットに突っ込んだ。ボクが新宮町に着くか、グロリアの行先がハッキリしたら電話を入れることにした。
「玲央、絶対に危ない真似はしないって約束してくれ。もし、姉貴の身に何かあったとしても」
ボクはもう一度、声に力を込めて言った。ジレンマはある。けれど、姉貴のために玲央を危険に晒すわけにはいかない。それは身内であるボクの役目だ。
玲央はいかにも渋々という口調で「……分かった」と答えた。