黎明 サイドストーリー1 ゼルイド(2)
「女性にも、一人前に働くことのできる場は提供すべきです。もちろん、それが可能になるには女性側からも立ち上がらなければなりません。私はその最初の一人だと思っています」
五級騎士としての初登校日、アイデインはまったく臆することなく数人の報道記者へ質問の答えを返す。しかしその言葉に、記者たちは懐疑的だ。
「騎士という男性しかなれないような職業を、どこまで続けられると思いますか? 卒業まではもつんでしょうか? これまで、女性騎士となっても四級騎士にまでなった方はいませんが」
半分以上、馬鹿にしたような質問だ。
「フフフ…。あなたの幻想は、いずれ打ち砕かれます。くだらない考えを持っていると、数十年後、あなたの仕事はありませんよ? 女性に取って代わられます」
「ずいぶん、挑戦的な考えをお持ちですね。その自信に、根拠はあるのですか?」
「ええ、私が人生を賭けて証明してみせましょう」
報道記者に対しては普通、聞かれた質問には素直に答えるのが当たり前だ。男性でもそうなのだが女性ならなおさらだった。それが、ここまで受け答えで冒険的なことをするなどと、誰が思っていただろうか。
「期待していますよ」
期待などまったくしていない風に、言葉にその心を乗せてしまった記者の言葉に、隣で聞いていたゼルイドはさすがにむっとした顔をしたが、抗議はしないでおいた。そこで抗議したところでもう、記事の内容は変わらないだろうからだ。
「では、また生存学の授業の後などにでも、また取材に参りますよ」
1名の記者を残し、残り数名は踵を返していく。
「まだ、何か取材の遣り残しがありましたか?」
心底むっとしているだろうに、アイデインは残った記者に、それを出さずに柔らかい笑顔を向けながら聞いた。
「彼らは記者魂の薄い者たちです。気にしないでください。アイデインさん、私はあなたを支持します」
「ハッハッハ! やっぱり分かる人は分かるんだなアイデイン!」
「嬉しいわ、ありがとう。あなたのお名前を是非お聞きしたいですが」
「アザゼル=カノミと申します。ウル伝聞社の政治面記者を担当させていただいています」
「アザゼルさん、覚えました。でも何故政治面の記者さんが?」
「私も、あなたと同じ考えだからですよ。女性は社会へ進出すべきです」
「こんなところに味方がいるなんて、思わなかったわ。アザゼルさんはこれを政治的に動かす気なの?」
「おそらく、今はまだその時期ではないんです。ですがいずれ時期が来たときには…」
「何かお考えがあるようね。どうやら、アザゼルさんとは一生のお付き合いになりそうですね?」
「アイデインさんがそういう心積もりでいてくださるのなら、おそらくそうなるでしょう」
「分かったわ。私の風伝接続番号をお渡しします。今後、取材は全てアザゼルさんを通したものしかお答えしないようにいたしますので、よろしくお願いします」
「では、私の番号も」
アイデインとアザゼルは紙切れにその場で書いた番号を交換すると、アザゼルは大きく頷いてその紙を懐に入れ、アイデインに右手を差し出した。2人は強く、手を握り合った。
「なあアイデイン、アザゼル記者は信頼できるのか? 何を考えているのか俺にはよく分からなかったが」
「ゼルイド、彼の加護流に気づかなかったの?」
「え? 何にも分からなかったな!」
「あれは記者ではないわ」
「はぁっ!? 記者じゃない? なんでそんなことが言えるんだ?」
「膨大な量の、それも整った加護流だったわ。彼はおそらく、騎士の称号を持っていると思ったの」
「おいおい、実践学の授業を受ける前から加護流が見えてるのか!? そうか、身分を隠しているということか?」
「そうでしょうね。それもこちらにわざと気づかせるように、政治面記者と名乗ったのよ」
「深読みしすぎじゃないか?」
「そのうち分かるわ。ところで求婚の返事を聞いてないけど」
「む!? ちょっと心の整理がつかなくてまだ答えられない。すまない」
「いいわ、じっくり考えてほしいから」
「うん、わかった。さあ、騎士としての授業開始だ! 気合入れるぞ!」
「フフフ…。そうね」
教室に到着した2人は、すぐに詠唱学の授業のために心を切り替えていた。
いくつかの授業が進むうちに、ゼルイドはアイデインの技量が既に三級騎士程度のものは会得していることに気づいていた。つまりアイデインは、加護を得られる前から既に特訓を開始していたのだ。
おそらくまだ加護流を感じられない頃から、擬似的に加護流を想像し、その操作技術を空想の中で完成させていた。そうでなければ説明の付かない現象なのだ。
「アイデイン、それはどうやって覚えた!?」
「フフフ…。騎士、そして加護。それは想像力よ」
「想像力が豊かすぎないか!?」
やがて紙伝の記事には、アザゼル記者が寄稿するものしか載らなくなったが、そこには男子生徒を凌駕して活躍する女子生徒が描き出されていた。
「アイデイン、3ヶ月も待たせてしまったが、返事を」
「ええ、待っていたわ」
「アトラタスを生き延びたら、結婚しよう」
「…ありがとう! 嬉しいわゼルイド…」
「待て! 抱きつくな! それは結婚してからだ!」
「もう、硬いこと言わないの」
「ぐはっ!?」
「あら、ちょっと力を入れすぎたかしら?」
「その手刀は、凶器だぞ…」
やがて2人は無事、アトラタス課外授業を突破した。女性騎士が騎士団長としてアトラタスを突破したことが紙伝に載ったとき、社会の風潮が少しだけ変化した。
さらには、地の力を利用した重力理論公式『空間力場=質量×光速の2乗』を論文で発表した頃には、社会は『女性騎士』という存在をそこに認めていた。
女性には仕事を任せられないというのは、間違いではないか? 女性が騎士になれないというのは、幻想だったのではないか?
だがその考えもまだ小さなものであって、アイデインが出産して引退したという報が紙伝に載ったのを最後に、日々の喧騒の中で人々の頭からは消えて行った。
しかしただ一人、その記事を見て目を輝かせた少女が居た。その少女がやがて世界を変えることになるとは、誰も知らなかった…。
―それから数年…。
「やあ、アイデインさん。娘さんも元気そうですね?」
「おじちゃん、誰―?」
「アルテミス、お母様の友達よ。お久しぶりねアザゼルさん。学生の頃はいろいろお世話になったわ。ありがとう」
「こんにちはー!」
「やあ、アルテミスちゃん。こんにちは!」
ある日の午後、小さな娘と手をつないで河原を散歩していたアイデインを、アザゼルが訪問した。
「旦那さんも順調そうですね」
「ええ、すぐに三級騎士にはなれないみたいで、少しだけ心配ですけどね」
「そうですか。…今の生活に疑問はありませんか?」
「フフフ。そろそろ、そう来ると思っていましたよ。最初に会ったその日からね」
「何だ、そこまで読めていたんですか。では隠し事は無しでいきましょう。私は近衛兵長を勤めております」
「母上―。あっちにワンワンがいるよー?」
「アルテミス、行ってきてもいいわよ。咬まれないようにね! ワンワンを連れてるお爺様に迷惑かけないようにするのよ?」
「はーい! いってきまーす!」
娘の手を離し、アイデインはにこやかに見送ると話の続きを切り出した。
「そうね、そういう身分だと思っていたわ。記者にしては、加護が強すぎた」
「あれでもうまく隠していたつもりなんですけどね」
「フフフ。それで、近衛ともあろう方が何故このような戯れごとを?」
「先に引退された、シルベスタ先王のご指示なのです」
「あら? ご体調が優れないということでしたけれども?」
「実はあれから、あることが起きまして。先王はご在位の頃より元気になられました」
「あら良かったわ。あること、とは?」
「太陽王が、まもなく現れます」
「まあ!? 素晴らしいわ!」
「ただし、彼は本来太陽王になるべき方では無かったようです。本来の太陽王は逝去されておられたようです。そういう予知が出たのです」
「そんな! なんて嘆かわしいこと…。それで、先王様は新しい太陽王のために何かをするおつもりということなのかしら? そこに私が?」
「太陽王を支える隠密団の創設。団長はシルベスタ先王様。そして副団長は、あなたという案が出ているのです。もちろん旦那様も表向きは騎士を勤めていただきますが、一緒に隠密団に在籍していただきたいのですが」
「そのような重大な任務とは…。どうして、そのようなことを先王様はお考えになられたのかしら?」
「もう一つの予知が。それは、女性賢者を伴って現れるという予知です」
「あら、私も大概だったけど、とうとう女性賢者ですか。ついに来たのね、時代が変わるときが」
「そうです。そしてその太陽王と女性賢者を補佐するのが、女性騎士であるあなたと、旦那様のご夫婦で、というわけです」
「謹んでお受けする方向で、夫と相談いたします」
「ええ、それでは、お返事は王城へ機伝で」
「分かりました。ありがとうございます」
それだけ告げると、アザゼルはアルテミスへ手を振りながら遠ざかっていった。
「太陽王を、補佐する!? ぐっはぁあ! 痛いよアイデイン!」
「だめよゼルイド、声が大きいわ。これからはこのことを口に出してはいけません」
「う…了解した。それは俺の志望そのままじゃないか。断るわけがない!」
「そう言うと思っていたわ。やりましょうか」
「ハッハッハ! 忙しくなるな!」
2人はやがて来る補佐業務を想い、抱合って喜びを表現していた。
「ということだったのさ!」
「そんなことがあったんですね。その頃俺とユリカは、森の中で騎士の夢を語り合っていたということかな?」
「おそらくその語り合いが因果律の海に影響して、エリオスに予知夢を見せたんだな。さあ、あと2日で即位式だ。思い出話もこのぐらいにして、準備を進めないとな!」
「ええ、ゼルイド先生。これからもよろしくお願いします」
「ハッハッハ! 任せてくれ!」
ゼルイドとアイデインは、俺たちがまだ小さな頃から力を貸してくれていたのだ。頼もしい仲間だ。
王都の夜は優しい月光に照らされ、静かに更けていった。