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第七話「シューカツ」

 久しぶりに大学に行くと木島のスーツ姿に出会って驚いた。

「就活だよ、シューカツ」

 大学三年の秋となると、そろそろ就職活動の始まるシーズンであり、大手企業や人気の職種などは十月ぐらいには説明会を始めるところもある。こうした企業のエントリーは年内に締め切られたりするそうで、いい就職口を狙う学生は早くもリクルートスーツに身を包み、東へ西へと就職セミナーや企業説明会に顔をバンバン出していた。

「似合わねぇ」

「そのうちスーツの方が俺に馴染む」

 うそぶく木島のスーツはパッツンパッツンに詰まっていて、もう少しサイズの合うスーツは用意できなかったのかと思ってしまう。

「どっか行ってきたのか?」

「これから。セミナーに顔出してくる。午前中は授業だよ」

 卒業論文提出資格単位にギリギリ足りていない木島は、普通は一年生で修得するはずの必修単位を取るために朝の九時から大学にやってきて、授業を受けた後に午後の二時から始まるセミナーに向かうらしい。

「早く取っときゃいいもんを」

「だって出席取るんだぜ。ありえねぇよ」

 必修単位である経済学概論は基礎の基礎の授業であり、それ故に出席を重視する、というか出席さえしていれば大抵受かる程度の試験しかしないので、この授業の単位を取っているかいないかで、その人物の性格というものがおおよそ察せられるというものだった。ちなみにオレは去年取得していて、木島よりは余裕ある大学生活を送っている。

「お前は就活せんの?」

「いまいち、まだピンとこないなぁ」

「俺は早くせんとマズイ」

 単位ギリギリの木島は来年の四、五月までに就職を決めて、残りの時間をすべて卒業単位取得に投入するという計画を立てていた。単純に言えばこの二年半の堕落した大学生活の清算をこの秋から一年半かけてやるということだった。普通は就活を始める前に単位を集めておいて、最後の一年を就職活動と卒業論文や卒業試験対策に費やすものであるが、そこはやはり木島であった。

「オレはそこまで焦っとらん」

「いいなぁ。単位くれよ」

「オレが欲しいよ」

「ギブ・ミー・タンイッ!」

 そうこう話しているうちに木島の時間がやばくなってきた。

「げっ、もうこんな時間か。社会人は時間厳守だ。そんじゃな!」

 走り去る木島の背中を見送るオレは、「社会人」などという言葉を口にする木島に違和感を覚えた。

「あいつが社会人になれるなら、社会人も適当なもんだな」

「ふーん」

 授業で顔を合わせた美咲に、構内のカフェテリアでお茶をしながら今日の木島の話をしてみると、美咲の反応は「ふーん」で終わった。

「美咲はどうすんの?」

「知らない」

 美咲は左手で黒髪を弄りながら、他人事のように返事した。




 秋が深まり庭の雑草も枯れる中、今日もワガハイは庭に来て、今日も笹倉さんが部屋に来る。

「うりうり」

 笹倉さんはネコ専用ブラシを買ってきて、ワガハイの身体をブラッシングし、ついでにマッサージまでうりうりとしてあげたので、ワガハイはなんとも言えない快楽に溺れた顔でゴロゴロしている。

「ここがいいみたい」

 ワガハイのでっぷりお腹の左右の脇を笹倉さんが優しく撫でると、ワガハイの細めた目がますます細まり、たまらずに口を開けて今にも「ふにゃ~」と鳴き出しそうな顔をする。

「かわいい」

 笹倉さんは拾った猫が家に馴染む自然さで、オレの部屋に馴染んでしまい、ワガハイに餌をあげるついでに、オレにも餌をくれるようになっていた。

「こんな食事じゃ身体に悪いですよ」

 オレの部屋の台所に積まれたカップめんを見るなりそう言った笹倉さんは、自分の部屋から卵と野菜を持ってくると、フライパンでちゃっちゃと炒めてオムレツを作ってくれた。

「おいしい」

 あったかいオムレツはあったかい味がして、気持ちもあったかくなったオレは素直な言葉を口にすると、笹倉さんは笑顔になる。

「また、作ってあげますよ。そうだ、今度は一緒に食べましょう。一人分だけ作るのって面倒だし、それに一人の食事って寂しくて」

 断わる理由も特になく、次の日にオレの部屋には二人と一匹の皿が並んだ。

 白いご飯に味噌汁に、キャベツたっぷりの野菜炒め。ワガハイには皿にあけたキャットフード。

「笹倉さんって料理上手だね」

「そんなことないですよ。これぐらい梶井さんでも作れますって」

 しんなりキャベツのあったかい味にご飯を加えてあごをモシャモシャ動かすオレを、笹倉さんはニコニコした顔で眺めている。

「梶井さんって、なんかかわいいですね」

 オレはちょっとびっくりして、水を飲んだ。

「私、兄がいるんですけど、似た感じなんですよね、梶井さんに」

「そうなんだ」

「だから安心できるのかな? 私、お兄ちゃん子だったんです」

「どこが似てるの?」

「うーん、なんかちょっと抜けてるっていうか、気にしないっていうか、ぼんやりしているみたいな、そんな感じの……あ、悪い意味じゃないですからね」

 笹倉さんはオレにかわいいお兄さんを見ているらしい。

 ワガハイが鳴いている。

「あっ、もう食べちゃった? 待っててね、すぐおかわりあげるから」

 おかわりをもらって満足したワガハイは、やっぱり用は済んだと言わんばかりに背中を見せて、礼も見せずに垣根の向こうに去っていった。

「あーあ、行っちゃった」

 笹倉さんは名残惜しげにしばらく見送っていたが、やがて食卓に戻ってご飯を食べた。

「ごちそうさま。おいしいご飯ありがとう」

 ワガハイよりも礼儀正しいオレは笹倉さんに素直な気持ちでお礼を言うと、笹倉さんはやっぱり笑顔でこう言った。

「夕飯も一緒に食べませんか?」

 妹のように安心している笹倉さんは、それからワガハイがいなくてもちょくちょくオレの部屋で食事をするようになり、猫のこととか、大学のこととか、猫のこととか、友達のこととか、猫のこととか、お兄さんのこととか、猫のこととかいろいろ話す。

「実は私、最近彼氏ができたんですけど、それで相談したいことが……」

 隣人に彼氏ができたらしい。

 壁越しに聞こえる音に隣人の顔を見る。

 夜の音。

 オレは布団をかぶって長い夜を眠る。




 十一月になったので文化祭が始まって、それにちょっと顔を出すと、美咲が彼氏を連れてデートしていた。

「田中くん」

 一週間前に告白されたと美咲が紹介した男は、痩せ眼鏡の削られた鉛筆のような印象の男だった。

「一年生なの。これが秀雄くん」

 田中くんは軽く頭を下げて「どうも」と言ったが、声が小さいのであまりよく聞こえなかったので、たぶん「どうも」と言ったのだろうと、オレも「どうも」と頭を下げて挨拶する。

 三人で文化祭を回ることになった。

 メインステージで学生のコピーバンドが演奏するブルーハーツの流れる文化祭の会場の人の入りはまあまあで、盛り上がりもそんな感じにまあまあだった。

 五十円の綿菓子を舐めながら、美咲は先頭に立ってオレと田中くんを連れ歩く。けれど特に行く場所も決めてなかったようで、呼び子に誘われるままに陶芸部で展示会を見たり、アーチェリー部で風船割りゲームをしたり、お好み焼き屋でジャンボお好み焼きを三人で食べたり、貸衣装屋で巫女さん衣装にコスプレしたり、民族楽器研究会でアフリカ音楽の演奏を聴いたり、喫茶店で手作りケーキを食べたりした。

 広場に設けられた喫茶コーナーで手作りケーキを食べるオレと田中くんは、ちょっと離れたところでカメラ小僧に囲まれてバシバシと撮影される赤と白の巫女さん姿の美咲を見ながら、美咲についての話をしていた。

「美咲のどこがよかったの?」

 田中くんは撮影される美咲の後ろ姿を指差す。

「ここで、美咲さんが空き缶の山を壊すのを見たんです」

 美咲を話す、田中くんの声はしっかりとしていた。

「見てたんだ」

「梶井さんもいましたよね」

「結構大変だったんだ。あれ」

「震えました」

 田中くんは美咲の黒髪を強く見る。

「美しかった」

 田中くんは美咲の黒髪を強く見る。

「訊いたんです。美咲さんに、あれはなんだったのかと。そうしたらこう答えてくれました」

「『わかんない』」

 美咲の声マネをしたオレに田中くんの顔が振り向く。

「そうです。よくわかっているんですね。美咲さんのこと」

「付き合い長いもの。よくやるんだよ、ああいう無意味なこと」

「そこが素敵なんです」

 田中くんはニヤリと笑う。

「美咲さんは無意味の意味を知っているんですよ。だから意味の向こうに行ける。美咲さんは自由なんです」

 そう言って田中くんはもう一度美咲を見やる。

「だから美咲さんは素敵なんです。あんなカメラでは捉えられない」

 フラッシュに光る美咲の横顔に、影が浮かんで消えていく。




 寒気の到来した十二月の空は灰色で、三年前に購入したコートもいい加減にぼろくなって、寒さを凌ぐのが大変になったので、新しいコートを買い換えるついでに新品のスーツも買ってみた。

「似合ってますよ」

 部屋に戻って着替えてみると、笹倉さんが誉めてくれた。

「就職活動しなきゃならないからね」

「スーツを着ると、男の人ってやっぱり変わりますね。キリッとして」

 スーツの縦のストライプがオレの身体を引き締める。

「格好いい?」

「梶井さんじゃないみたい」

 鏡に映るスーツのオレが、鏡に立つオレを見ている。

 オレを見るオレがオレを笑う。

 オレは少しネクタイを緩めた。

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