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第三話「木島の部屋」

 深夜も三時を過ぎた時間にオレたちは、木島守人の部屋の扉をノックした。

「てめーら、見舞いにもろくに来ないくせに、都合のいいときだけ顔出しやがって」

 木島守人の住んでいる2DKのアパートは、大学近くの畑の中に建っている。風呂とトイレが付いて家賃三万八千円という郊外っぷりの、貧乏学生には頼もしい築二十年のアパートだ。オレたちは木島を叩き起こして部屋に上がり込むと、ぶつくさ言う木島をなだめながら、勝手に押入れから冬用の毛布や夏用のタオルケットなんかを取り出して、枕になりそうなものを探しながら、散乱するゴミをどかして寝床スペースを確保する。

「人の家で勝手に布団まで敷くしよぉ」

「いいじゃないの、秋の夜長に独り寂しくしてんじゃないかと思ってね、良き友達の心遣いってもんじゃないの」

「良き友達なら、独り寂しく家で腹を下していたときに見舞いに来るもんじゃないのか?」

「友達の善意は素直に受け取るもんだよ。それで食あたりはどうだった? 落としたもんは食うんじゃないぞ」

「大丈夫だよ。今度は二秒で拾ってやるから」

「それなら、落ちてる途中に空中で掴め」

「なるほど」

「ってか、落とすな」

「おお」

「おお、じゃないだろ」

「いやいやなるほど、確かに落とさなきゃ拾わなくて済むもんな。ほら、俺よく食べてるときに食いもん落としちゃうじゃん?」

「そんなん知らんわ」

「じゃあ今知れ。そんで俺はよくお袋に……あ、美咲ちゃんそこ触らんで」

 オレと木島がアホな会話をしている間に、寝床を求めて部屋の隅でゴソゴソやっていた美咲は、テレビの脇に置いてあったダンボールを見つけて中をガサゴソやっていた。

「エッチぃのばっかだね」

「そこは男の聖域だ。文句あるか?」

「巨乳ばっか」

「趣味だ」

 木島は堂々と男らしく言い切った。

「ふーん。じゃああたしには興味ないんだ」

「胸には」

 木島は正直者のいい奴だった。

「秀雄くんは?」

「えっ」

「胸」

 美咲の胸は大とは言えず、小とも言えない程度にはあったが、どちらかといえば小に含まれるんじゃないかという微妙さというか、そもそも女性の胸は案外ブラジャーやらパッドやらで形を作っているので、直接見ないとどうなのかとは言えないなぁ、というようなことをたっぷり五秒ぐらい考えていたら、木島に背中を思いっきり叩かれた。

「どうした梶井ぃ、照れたかぁ? まったくこいつはウブだねぇ~」

「違うわ」

「そんなこと言っちゃって、興味津々な癖に。このムッツリっ!」

 木島がニヤニヤと笑いやがるので、オレは言い返してやろうとしたが、その前に美咲がうなずいた。

「ふーん。そうなんだ」

「おい、勝手に納得するな」

「じゃあ、見る?」

 何が「じゃあ」なのか相変わらずわからないが、こいつはいつもこういう迂闊なことをホイホイと言いのける。

 オレの口が止まり、さすがの木島も動きが止まった。

 沈黙。

「だ、誰が見るかっ」

 うわずった声が出て、オレはとても情けない気持ちになった。

「ふーん。じゃあいいや。木島くんお風呂借りるね」

「お、おう」

 美咲は平然とした顔でスクッと立つと、サッと歩いて風呂場に消えた。

「すげえなぁ」

「困るわ」

 木島の感嘆のため息に、オレは苦い顔で応える。美咲はよくこういう迂闊なことを簡単に言ってしまって自分の姿を女に変える。それでそれに乗った男といい加減になってしまい、それが他人の男だったりもするものだから同性から嫌われて、さらにもともと根が掴めない女だから結局そんな男どもとも長続きしないので、最終的に周りに男も女もいなくなるなんてことが何度もあって、オレは何度か忠告したが、美咲は相も変わらずそういうことを平気で言う。

「だから友達少ねぇんだよ、あいつ」

「なるほど」

「どこまで本気かもわからん」

「冗談じゃねぇの?」

「それもわからん。ただそれに乗ると冗談じゃ済まない」

「怖いなぁ」

 オレもまったく同感だった。普段はただの変わり者の友人なのに、「見る?」の一言で女に化けて、オレはオレで男に変わる。

 男女という言葉。

 怖い話だ。

 シャワーの音。

「ところでおまえら、こんな何もないところでこんな時間まで何やっとったんよ」

 木島が今更ながらの疑問を訊いてきた。

「ちょっと大学で怒られてて」

「何したん?」

「空き缶ピラミッド」

「なんじゃそりゃ」

 オレが説明しようとすると、美咲が風呂から裸で出てきた。

「木島くん、シャンプーない!」

「石鹸がある!」

「髪が痛む」

 オレは大声を上げた。

「タオルぐらい巻けっ!」




 そんなわけでオレと木島はシャンプーとリンスを買いに行くことになった。

 駅前のコンビニに戻る途中の十分の道のり。

「椿オイル入りシャンプーとコンディショナー。高いんじゃねぇの、こうゆーのって」

「髪、きれいだもんなぁ」

 三時を過ぎた夜の道は寒さに震え、暗闇の底に電信柱の外灯がぽつりぽつりと光っていて、オレと木島はその下をトボトボと歩いていく。

 オレと木島と虫の声。

「おまえもシャンプーぐらい買っとけよ」

「男だったら石鹸だろう」

「意味わからん」

 木島のこだわりは独特で、やはり美咲と友達でいられるのはこういう人間だからなんだろうなと思っていると、木島は遠い目に記憶を浮かべながらしみじみと呟いた。

「しかし思ってたよりあったなぁ」

 胸の話。

「83はあったな。それにお椀型で形がいい。美乳だ」

 オレは呆れた。

「よく見てるな」

「見えるのに見ないのは失礼だろう」

「それってセクハラじゃねぇのか?」

「見たいくせに見ないのをムッツリと言う」

 木島は常に堂々としている。結局こんな深夜まで何してたとか、空き缶ピラミッドってなんだとかいったことよりも胸の方に興味が移った木島は、その話をもう一度訊くこともなく胸の話を十分間し続けた。

「巨乳もいいが美乳もいいなぁー」

 木島のこだわりは独特で、こだわらないところも独特で、そんなところが木島らしい。

「美巨乳ってないかなぁー。揺れるけど崩れないみたいな」

 胸の話がアホな願望に変わる頃、遠くにコンビニの明かりの四角く浮かんでいるのが見えてきた。

「いらっしゃいませー」

 深夜のコンビニの元気のない店員の挨拶に迎えられてシャンプーを探す。木島は雑誌コーナーで立ち読みを始める。

 コンビニの店員は二十歳前後の男の一人きりで、あくびをしながら棚の整理をやっていた。明らかにやる気がなくて仕方なさそうに手を動かす姿は、今のオレは仮のオレで本当のオレじゃあないんだぜ、しょうがなくコンビニで働いているんだぜ、といった感じの雰囲気が出ていて、お疲れ様ですとオレは心中でねぎらいの言葉をかけた。

 それでシャンプー。

「ありがとうございましたー」

 深夜のコンビニの元気のない店員の挨拶に送られて店を出る。

 帰る道も十分。

「やっぱ胸は90はないと。さっき雑誌で確認した。巨乳は美乳に勝る」

 帰る道も胸の話。

「ただいまー」

「おかえりー」

 部屋に着くと美咲はタオル一枚を羽織った姿で布団を被って座っていた。

「寒かった」

「服着りゃいいだろ」

「だってまた入るんだもん」

 そう言って美咲はシャンプーとリンスをひったくると、風呂に戻って髪を洗って帰ってきた。

「ドライヤーは?」

「押し入れ」

 何故押し入れにドライヤーがあるのか不明だが、木島自身はドライヤーなんて使う性質の人間じゃないので、ドライヤーがあること自体にオレは奇跡を感じた。

「おまえドライヤーなんか使うの?」

「冬場は寒いからな。洗濯物もよく乾くぞ」

 用途が違った。

「ハロゲンヒーターかよ」

「ドライヤーの方がハンディだ」

 名前はドライヤーでもドライヤーではないそれを、美咲は気にせずドライヤーとして使う。バッグからブラシを取り出し、ブオーブオー乾かしながら丁寧に髪を梳く。

「眠い」

 手入れを終えると美咲は寝た。木島も寝た。オレは一人風呂に入る。

 膝を抱えてやっと入れるぐらいの浴槽のお湯はただの水になっていた。シャワーの栓をひねると最初は水で、徐々にお湯になっていく。湯気が浴室を満たす頃、曇った鏡に映るオレはぼやけた姿になっていて、輪郭を求めて鏡を擦ると、オレの顔が出てきて濡れた。

 排水口に長い髪の毛が落ちていた。

 オレは拾って見て流す。

 オレは石鹸で髪を洗ってやった。

 オレの髪の毛と長い髪の毛は一緒になって排水口に落ちていく。

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