EP 7
【翻訳】スキルの真価
深夜の『秘密の夜食同盟』を結んでから数日。
昼間のルーベンス様は、相変わらず氷のように冷徹な「魔皇国の内政統括」として振る舞っていた。廊下ですれ違っても、使用人たちの手前、軽く目礼を交わすだけだ。
けれど、夜になれば厨房でネクタイを緩め、私の作ったご飯を「美味い、美味い」と幸せそうに食べてくれる。そのギャップを知っているだけで、私の毎日は信じられないほど色鮮やかで、満たされたものになっていた。
そんなある日の昼下がり。
私が中庭の散歩から戻ると、ルーベンス様の執務室から、城を揺るがすような悲鳴と怒号が聞こえてきた。
「どうして読めないのよおおおおっ!!」
「ラスティア様、落ち着いてください! 城の防壁が揺れています、魔力の放出を抑えて……っ!」
ドガァァン! という物音に驚き、私は慌てて執務室の開け放たれた(というかまた吹き飛んだ)扉から中を覗き込んだ。
そこには、頭を抱えてしゃがみ込む魔王ラスティア様と、胃のあたりを押さえて青ざめているルーベンス様の姿があった。
「あ、あの……ルーベンス様。何かあったのですか?」
私が恐る恐る声をかけると、ルーベンス様は「アリアか……」とひどく疲れた顔でため息をついた。
「いや、ルチアナ(女神)の横流しルートを通じて、地球という異世界から『朝倉月人』の限定グッズが届いたんだが……」
「これよ! 見てちょうだい!」
ラスティア様がバッ、と立ち上がり、私に一枚の紙切れを突きつけてきた。
それは、地球の技術で作られたらしい『写真』だった。そこには、キラキラとした笑顔を浮かべる見目麗しい人間の青年の姿と、謎の文字がペンで書き込まれている。
「せっかくの『ドームツアー記念・直筆メッセージ入りSSRブロマイド』なのに、何が書いてあるか全く読めないのよ! 私の最上級の【解読魔法】を使っても、ルチアナの奴が変なプロテクトをかけてるのか、弾かれちゃって……っ!」
どうやら、異世界の文字(日本語)であるため、魔族の魔法でも解読不能らしい。
「月人君が……私の推しが、私に向けて(※不特定多数のファン向けである)何かを語りかけてくれているのに、それが分からないなんて……っ。こんなの拷問よ! もう世界なんて滅ぼしてやるわ!」
「お待ちくださいラスティア様! アイテム一つで短絡的に世界を滅ぼさないで――」
ルーベンス様が必死に魔王をなだめようとする中、私は突きつけられたブロマイドの文字を、何気なく見つめた。
(あ……)
その瞬間、私の頭の中で、五歳の時に授かったハズレスキル【翻訳】が、静かに発動した。
「あの……『いつも応援ありがとう』……」
「え?」
私がポツリと呟くと、ラスティア様とルーベンス様がピタリと動きを止めた。
「『いつも応援ありがとう! 君たちの笑顔が僕の魔法だよ。次は福岡ドームで会おうね! 愛を込めて、月人より』……って、書いてあります」
「…………は?」
静まり返る執務室。
ラスティア様は目を丸くして私を見つめ、ブロマイドと私の顔を何度か往復した。
「あ、あの……間違っていたらごめんなさい。でも、私にはそう読めて……」
「あ、あ、ああああ……っ!!」
次の瞬間、ラスティア様がボロボロと大粒の涙をこぼし始めた。
「福岡ドームで会おうね……愛を込めて……っ! 月人君が、私に愛を……っ!!」
「ラスティア様、落ち着いて……いや、落ち着かなくていいですが、泣かないでください」
ルーベンス様がドン引きする中、ラスティア様は猛然と私に飛びつき、ギュウウウウッ! と息が詰まるほどの力で抱きしめてきた。
「貴女、すごいわ! すごすぎるわ!! まさかルチアナのプロテクトを貫通して、地球の言語(神代の文字)を完全翻訳するなんて!! 貴女、神様!? いいえ、あのジャージで酒ばっかり飲んでるルチアナなんかより、よっぽど神様よ!!」
「ぐ、ぐるじい……っ」
「ラスティア様、アリアが潰れます! 離れなさい!」
ルーベンス様が慌てて魔王を引き剥がしてくれた。
ゼェゼェと肩で息をする私を見て、ルーベンス様は信じられないものを見るような目を向けた。
「アリア……君の【翻訳】スキルは、文字通り『この世のあらゆる言語』を翻訳できるのか?」
「は、はい……。ルナミス帝国では、魔導書も兵器の仕様書もすべて共通言語で書かれているので、『誰も読めない文字を読める』なんて何の役にも立たない、無能なスキルだと言われていましたけど……」
私が俯きがちにそう言うと、ルーベンス様はハッと息を呑んだ。
「無能だと? 冗談じゃない」
ルーベンス様は、私の肩をガシッと掴んだ。
その氷の瞳には、夜の厨房で見せる親父モードの緩みも、昼間の冷徹さもない。ただ、純粋な驚愕と、熱烈な歓喜が入り混じっていた。
「……ルナミス帝国の連中は、本当に取り返しのつかない大馬鹿野郎の集まりらしい」
「えっ?」
「アバロン魔皇国の地下書庫には、古代大戦の時代から誰にも解読できていない『古代魔法』の魔導書が山のように眠っているんだ。もし、君のスキルでそれが読めるとしたら……」
ルーベンス様の言葉に、私は目を見開いた。
「アリア・クロイツ。君のスキルは無能なんかじゃない。君は、このアバロン魔皇国において、計り知れない価値を持つ最高の至宝だ」
まっすぐに見つめられ、熱を帯びた声で断言される。
生まれて初めて、私の持っているもの(スキル)が、誰かに認められた瞬間だった。
「ルーベンスの言う通りよ!」
鼻をかみながら復活したラスティア様が、満面の笑みで親指を立てた。
「アリア! 貴女は今日からアバロンの最重要VIPよ! ルーベンスの妻だろうとなんだろうと、私の『推し活翻訳担当』として厚遇してあげるわ! さあ、今すぐルチアナから届いてる他のグッズの文字も全部読みなさい!」
「も、もちろん、私にできることなら喜んで……!」
「ラスティア様、アリアを困らせないでください。まずは俺が古代魔導書の翻訳を――」
「月人君のメッセージが先よ!!」
私のハズレスキル【翻訳】が、世界最強の魔族たちの間で引っ張りだこになった瞬間だった。
(私……ここに居ても、いいんだ……)
ワーワーと言い争う魔王と冷徹貴公子を見つめながら、私は胸の奥が熱くなるのを感じていた。
ルナミス帝国が捨てた私の『無能な力』は、ここアバロン魔皇国で、思いもよらない形で花開こうとしていた。




