第二章 ポポロ村新婚旅行編
働きすぎの旦那様と、ポポロ村への新婚旅行
私たちが正式な夫婦となってから、ひと月が経った頃。
アバロン魔皇国は、深刻な問題に直面していた。
「……ルーベンス様、また徹夜ですか?」
執務室の扉をそっと開けると、そこには書類の山に埋もれ、完全に生気を失った旦那様の姿があった。
「あぁ、アリア……。すまない、魔王がまた、ルチアナ(女神)のソシャゲ課金に付き合って国家予算を横領しようとした形跡があってな。その補填と、ルナミス帝国との国境警備の再編で……」
ルーベンス様は、目の下に深い隈を作りながら、私の顔を見てホッと安堵の息を吐いた。
完璧な漆黒のスーツはシワが寄り、ネクタイはすでにどこかへ放り投げられている。限界を迎えたその姿は、冷血無比な貴公子というより、ただの『働きすぎで倒れそうなサラリーマン』だった。
「はい、温かい陽薬草茶と、ハニーかぼちゃのパウンドケーキを焼いてきましたよ。少し、休んでください」
私がデスクの端にお盆を置くと、ルーベンス様はペンを置き、フラフラと立ち上がって私の方へ歩み寄ってきた。
そして、そのまま私の肩にコテン、と頭を乗せて、すがりつくように抱きしめてきたのだ。
「る、ルーベンス様?」
「……少しだけ、このままでいさせてくれ。君の匂いと温もりがないと、魔力回路がショートしそうだ」
大きな体が、私に全体重を預けてくる。
外では恐れられている魔皇国の内政統括が、私にだけ見せてくれるこの無防備な甘え方が、可愛くてたまらない。私はそっと腕を回し、彼の広い背中をポンポンと優しく叩いた。
「よしよし。毎日お仕事、本当にお疲れ様です。……でも、このままじゃルーベンス様が倒れてしまいます」
「俺が倒れたら、この国の内政は三日で崩壊する。休むわけには……」
「ダメです。夫婦の権限で、強制休養を命じます!」
私が少しだけ語気を強めて言うと、ルーベンス様は驚いたように顔を上げた。
「ですが、ただ休めと言ってもルーベンス様はお仕事をしてしまうでしょうから……。私、行きたい場所があるんです」
「行きたい場所?」
「はい。アバロンの南の国境近くにある……『ポポロ村』です」
その名前を出した瞬間、ルーベンス様の氷の瞳がピクリと反応した。
「あの村は……豊かな地下水と世界樹の恩恵を受けた、最高の農業村ですね。それに……ルーベンス様の大好きな『ポポロシガー』の産地でもあります」
ルーベンス様は愛飲しているポポロシガーを、いつも商人経由で高値で買っている。直接村に行けば、最高級のものを安く、しかも大量に手に入れられるはずだ。
「ポポロ村には、太陽芋や肉椎茸、それにお喋りする『ネタキャベツ』など、新鮮で美味しい食材が山のようにあると本で読みました。……私、ルーベンス様と一緒に、その村へ行ってみたいんです。美味しいお野菜をたくさん買って、コテージで一緒にご飯を作って……ゆっくり、過ごしませんか?」
私が上目遣いで提案すると、ルーベンス様はゴクリと喉を鳴らした。
新鮮な食材を使った、妻の特製B級グルメ。
そして、大好きなポポロシガー。
何より、魔王の横暴や書類の山から解放される、静かな時間。
限界を迎えていた彼の『親父趣味』と『愛妻家』の魂に、これ以上なくクリティカルヒットしたらしい。
「…………行く」
ルーベンス様は、真剣な顔で即答した。
「絶対に行く。今すぐ執務を魔王のデスクに叩き返してでも行く。三日……いや、一週間の休暇をもぎ取ってこよう」
「ふふっ、良かったです。じゃあ、準備を始めないといけませんね」
私が嬉しくて微笑むと、ルーベンス様は私の腰をグッと引き寄せ、その端正な顔に艶やかな笑みを浮かべた。
「アリア」
「ひゃっ……」
チュッ、と額に、そして鼻先に、最後に唇に、啄むような甘いキスが降ってくる。
「そういえば、俺たちは結婚してから、まだ一度も遠出をしていなかったな」
「えっと……そうですね。お忍びで帝都の街を歩いたくらいで」
「なら、これは俺たち夫婦の『新婚旅行』だな」
新婚旅行。
その響きに、私の顔は一気にカァッと熱くなった。
「し、新婚、旅行……っ」
「あぁ。誰にも邪魔されない辺境の村で、昼は君の美味い飯を食い、夜は……君をたっぷりと愛でて過ごす。最高だな」
耳元で低く囁かれ、心臓が爆発しそうになる。
普段は激務で疲れ切っているけれど、お休みとなれば、この旦那様はどこまでも甘く、そして『大人のオス』全開になるのだ。
「も、もうっ……! 早くお仕事を片付けてきてくださいね!」
真っ赤になって抗議する私を、ルーベンス様は愛おしそうにきつく抱きしめ、喉の奥でくくっと笑った。
「待っていろ。明日には出発するぞ」
こうして、私とルーベンス様の、初めての旅行が決まった。
美味しいお野菜と、大好きな旦那様との甘い時間。
胸を躍らせていた私は、この時まだ知る由もなかった。
この平和な農業村『ポポロ村』が、神話の時代から生きる『神々(超越者)』たちを無自覚に手懐け、世界最強の旦那様を大人気なく嫉妬させる、とんでもない波乱の舞台になるということを。




