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01 若殿

※作者より

拙作において、こじきという言葉が出てきます。もし、ご不快に思われたら、お詫びいたします。

 子曰歳寒然後、知松柏後凋也

 子曰《しいわ》く、歳寒《としさむ》くして、然《しか》る後《のち》に松柏《しょうはく》の凋《しぼ》むに後《おく》るるを知《し》る也《なり》


 論語「子罕《しかん》」






 ――冬。


 その若殿は、曇天《どんてん》の下、寒風吹きすさぶ中、歩いていた。


 寒風だけでない、夜来の雪が冷たく若殿の粗末な草鞋《わらじ》を履いた足から体温を奪う。


「……寒い」


 若殿は両の手を口の前に持ってきて、はあっと息を吐いた。ほんのひと時の温かさ。だが、それゆえの、直後の寒さが、身に沁《し》みた。


「……このまま、凍え死ぬか」


 そうなることもあろうと、若殿は覚悟というか予測を立てていた。もう三日も食べていない。その上、この寒さだ。躰《からだ》が徐々に弱まっていくのを感じる。


「この寒さでは、誰もいないか」


 かといって、それぞれの家に訪《おとの》うて、食べ物を恵んでくれと言ったところで、何になろうか。

 すげなく追い返されるか、下手すると打擲《ちょうちゃく》の上、打ち捨てられよう。


 若殿は、寒風が激しさを増す中、両の腕《かいな》で己を抱いた。

 そして――これまでのことを、ほんの少し思い出していた。


*


 父はこのあたりの領主で、兄はその嫡男だった。父はやがて、このあたりの国々を治める主君と、それに対立する幕府の板挟みに遭い、その心労に負けて、隠居してしまった。

 隠居後、父は、次男だった若殿を連れて、隠居の地と定めた城へと移る。母は亡く、父は後妻を娶《めと》った。

 その後妻――継母《ままはは》との仲はぎくしゃくしたものだった。そして若殿と継母の関係は改善されないまま、父が亡くなってしまう。

 しかも、家督を継いでいた兄は、先年、主君に連れられて、このあたりの他の領主たちと共に、京《みやこ》へと上っていた。


 ……順調に行けば、亡父の隠居の城がそのまま若殿の城になるはずであった。

 ところが――


「若殿では治められまい」


 一の家臣であり、若殿の後見を務めるはずの井上という家臣が、こともあろうに、城を乗っ取ってしまう。

 さらに井上は、若殿を城から追い出してしまった。その時何故か城に残っていた継母も追い出され、若殿は継母と共に、寒空の下、誰からも見捨てられていた穴居《けっきょ》同然のあ(・)ば(・)ら(・)家(・)に住み着いた。生計《たつき》を立てる術《すべ》もなく、若殿と継母は、食べ物を恵んでもらって、飢えをしのぐ毎日を過ごす羽目になった。


 ――アレヨ、コジキドノヨ


 そう指差され、若殿はいつしか――こじき若殿と呼ばれるようになった。


*


「――――!」


 声にならない叫びを上げて、若殿は地を殴った。

 手が痛むだけだった。

 それでも、若殿は、何度も何度も地を殴る。


「おのれ! おのれ! 兄上さえいれば! 兄上さえいれば! あのような井上なんぞに城を横取りされぬものを……」


 声にならない叫びは、声を成し、それと同時に若殿の怒りと苦しみが湧き上がる。

 兄が主君の命令で、兵を連れて京にいる隙に。

 その隙を、井上が乗じて、若殿から城を盗った。

 主君の命である以上、兄はおいそれと帰郷できない。

 故《ゆえ》に、兄が舞い戻ってきて、井上から城を取り戻してくれるという展開は、無い。


 寒風が吹いてきた。


「うっ……」


 若殿は洟《はな》をすすり、仕方なく、あばら家へと戻るのであった。


*


 あばら家の中では、継母が横臥《おうが》していた。髪も乱れ、肌もか(・)さ(・)つ(・)き(・)、衣服に至っては継《つ》ぎ接《は》ぎだらけ。かつては容色を誇った女性だが、こうなるともう、妙齢であるにもかかわらず、ただの媼《おうな》と変わりない。


「継室《けいしつ》どの」


 若殿は、他人行儀に、そう継母のことを呼び習わしていた。


「継室どの、今、戻りまいた」


「……ああ」


 継母は眠りから覚め、寝ぼけ眼《まなこ》を擦《こす》った。


「――で?」


 最小限の問いではあるが、継母と若殿の間では疎通していた。

 食べ物のことである。


「……無い」


「……そう」


 継母は大儀そうにうなずくと、再び目を閉じた。特段、責めることも無い。責められる云《い》われも無いので、少なくとも若殿はそう思っているので、その場にどっかと座り、数少ない財産である襤褸《ぼろ》布をかき集めて、身にまとい、寒さから己を守るのであった。

 常なら、このまま二人ともいつしか眠りにつくのだが、今日はちがった。


「……餅ならある」


 か細い、継母のその声は、若殿がかろうじて聞き取れる声量だった。


「――は?」


 若殿が思わず問い返すと、継母はむくりと起き上がり、部屋の隅に行き、今となっては、彼女の唯一の財産である文箱を開けた。

 中から、餅がひとつ、出てきた。


「どうして……」


「若殿が出かけてる間に、実家の家人《けにん》が来た」


 継母の実家は、やはり若殿の父に嫁ぐには相応《ふさわ》しい、この国でも一、二を争う勢力の領主である。それほどまでの実家に、何故継母が帰らないのか、若殿はずっと不思議ではあったが、今は餅だ。


「それがあるなら、早《はよ》う、焼いて食えば良いではないか、継室どの」


「継室……まあいいか、そうじゃな、焼いて食うべきじゃな」


 継母は酷《ひど》くつまらなそうな表情《かお》をして、若殿の手に餅を押しつけて、さっさとまた寝転がってしまった。


「継室どの?」


「……焼けばよかろう」


 継母は欠伸《あくび》をひとつして、黙ってしまった。


「…………」


 焼いて来いというのか。

 この寒空の下、枯れ枝を集めて。


 若殿は、その継母の態度に、苦労の押しつけだと感じてしまった。


「――ああ、分かったよ、継室どの! 焼いてくればいいんだろうッ」


 激昂して若殿はあばら家の外に出る。

 容赦のない寒風。

 若殿は泣いた。


 何だ、これは。

 何故、こうなる。

 何故、おれにやらせる。


 若殿は涙をぬぐう。


「……枯れ枝くらいは、恵んでもらわなくとも、拾えるか」


 苦笑しながら、山地から吹きすさぶ風の中、枯れ枝を探す。

 一本、二本と、拾っていく。

 ……そして、若殿の腕に、それなりの数の枯れ枝が集まった。


「火打ちは……家の中か」


 若殿は舌打ちした。

 家を出る時、持ってくれば良かった。

 また――あの、気まずい空間に行かねばならないのか。


「仕方ない、か……」


 背に腹は代えられない。

 あんな継母でも、いればそれなりに気を張って暮らしていく相手とは言える。

 若殿は目をつぶって、顔を左右にぶるぶると振り、気を入れ替えると、家に戻ろうとしたとき。


 そのとき。

 若殿の視線の先、あばら家の前の小道を、ふらふらと歩く影が見えた。


「何だ、あれは」


 墨染の衣《ころも》から、僧侶だということは、見て取れる。


「しかし……覚束《おぼつか》ない足取りだな」


 あっちへふらふら、こっちへふらふらと、その僧侶は小道を歩いてくる。

 若殿が、胡乱《うろん》な雰囲気を感じて、僧侶から身をよけようとする。

 僧侶が、若殿の存在に気づいて、目線を寄越した。

 気づかれた、と若殿が警戒した瞬間、僧侶はが(・)く(・)り(・)と地に落ちた。


「御坊《ごぼう》!」


 さすがに異常を感じ、若殿はそう呼びかけて、枯れ枝を放り出して、僧侶の元へ行く。

 僧侶は地に伏したまま、立ち上がることができないらしく、「ふぐっ、ふぐっ」とくぐもった声をもらしていた。

 まずい、と思った若殿は、僧侶を抱えた。

 大分老いた僧だ。老僧と言える。


「御坊! 御坊! しっかり召され!」


「た……」


「た……何?」


「食べ物……を」


「あ?」


 老僧は空腹により倒れたのであった。

 そして若殿は、懐中にしまった餅のことを思い出した。

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