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本物の強さ ‐出の場合。

〈趣味のごと毛布に付きし拔け毛取る 涙次〉



前回參照。



【ⅰ】


本沖彦市は晩婚だつた。可憐は、著名人の父を持ち、また若い母を持ち、まあ倖せな小學五年生であつたらう。この度、『性に目覺める頃』に主演したのは、彼女にとつて冒険だつたと云へる。この映画に出なくとも、彼女は充分子役俳優として惠まれてゐたのだ。所謂、二世だつたからである。それに比し、堂家出にとつては、この映画に役を得たのは、當然の帰結だつた。彼には野望があつた。その野望とは何かとは申すべきではなからう。敢へて云ふなれば、彼は、その藝名が→藝名なのである、示す通り、家を早く出たかつた。彼には捨てる物、例へば捨て去るべき造られた自己だとか、など一切持たずに、自分が映画界にある事だけが誇りに思へた。たゞ、新進の映画監督である杵塚と「組んだ」『性に目覺める頃』は、彼に僅かに殘されたサーヴィス精神の賜物、だつた事は確かである。難しい役柄であればある程、彼には熱中できた...(彼の家は貧しく、映画のギャラは「搾取」されてゐた。それには出のプライドからして、堪らないものがあつた。)と云ふ譯で、可憐と出には或る温度差があつたのだ。



【ⅱ】


「僕逹、本当に付き合つちやはうか?」と出。可憐「え゙!?」-「きつと杵塚さんも喜んでくれると思ふよ」。可憐にはさう云ふ發想はなかつた。ゆゑに、その申し出を断つた。彼女は出の野心の犠牲となる事を、恐れてゐた。然し、その「お断りします」との回答が出を傷付ける事だけは、避けたかつた。何故なら、出は報復して來るだらうから。きつとさうだ。本能的に(彼女がその「本能」を使ふ事は滅多になかつた)さう思つた。要は、何故自分がさう答へたのか、それは彼女の理解し得ぬところから湧き起こつた、謂はゞ出への恐れだつたのだ。



【ⅲ】


出は(ちえつ、詰まらない女子だなこいつ)とだけ思ひ、矢張り自分の道を自分で伐り開く事は、僕の持つて生まれた特性なのだ、と思つた。可憐の「本能」の事など、出には「知つたこつちやなかつた」のである。

だが、それを見過ごす譯はないルシフェル。ルシフェルは、【魔】でありながらも、人間通でもあつたと云へやう。當然の如く、出の今の氣分(それは深いところから出たのではない、單に思ひ付きだつた)を利用してやる、さう思つた。



※※※※


〈カフェ・ラテに自販機ごとの値段あり安きを訪ね街をうろつく 平手みき〉



【ⅳ】


或る夜、出の(別に居たくもない家の自室での)夢に、ルシフェルが出て來た。出は流石に驚いた。だが、(僕を利用するに値ひする者として認めてくれたのは、この【魔】が初めてだ...)たつたそれだけの事から、出は【魔】に魂を賣り渡した。いつも冷靜沈着でありたい、との出の願ひを、出は自分で棄てゝしまつたのか- 出はルシフェルの誘ひに、わざと乘つた素振りだつたが、その實は單にルシフェルに誑かされてゐたのだ。それは【魔】のよく使ふ手立てなのだ。



【ⅴ】


そこら邊の事情は、杵塚ならぬカンテラには筒拔けだつた。出の顔を初めて見た時から、カンテラには「思ふところ」があつたのだ。水晶玉を使ふ迄もない事だつた。然しながら、またしてもスキャンダルを起こす事は、杵塚も望んではゐなからう、さう思ひ、「出を斬らずしてだうこの事態を回避するか」が、當面のカンテラのメインテーマだつた事は、賢明なる讀者諸兄姉には、云ふ迄もなからう。さう、カンテラは一つの難局を迎へてゐたのだ。



【ⅵ】


こんな時、じろさんの存在の有難みをつとに思ふカンテラだつた。何とかしてじろさんの弟子に、出を取りたい、さう思ひ、じろさんに相談を持ち掛けた。じろさん「...分かつた。危ふいところにゐる出くんを救ふ積もりで、その話、承知しやう」。



【ⅶ】


が、時既に遅し。出の心はルシフェルに拐帯された後だつたのだ。それでもじろさんは粘つた。いつか、出の「自分は今の儘で充分強い」と云ふ思ひを覆してやる- さう思つた。じろさんにとつてチャンスと云へるのは、ルシフェルのやり口に、出が着いて行けなくなつた瞬間だつた。そのチャンスは、意外に早く來た。さて、今度は出の「本能」について触れねばなるまい。實は出の「本能」は、レッドカードを髙く差し出してゐた。それはSOSのサインによく似てゐた。ルシフェルはその事まで知るには、己れの策略に溺れ過ぎてゐた。「策士策に溺れる」と云ふ言葉の通りに。



【ⅷ】


或る日の事。云つてみれば出はルシフェルの許で、【魔】の修業を積んでゐたのだが、じろさん、その彼を挑發した-「出くん、それがきみの云ふ『強さ』なのか?」... じろさんは出を「とつちめた」。ルシフェルは、此井功二郎と云ふ男を、余りに見くびつてゐた。じろさんは出に投げ技を仕掛け、本當の強さと云ふものは、良き師に就いた時にしか、惠まれ得ぬものだと思ひ知らせた。出の理解は迅速だつた。と云ふか、散々じろさんに投げ飛ばされて、自分の強さが贋物だつたと氣付かない方が可笑しい・笑。「ちと乱暴だつたかな?」-カンテラ「いや、それぐらゐで丁度いゝよ」。今では出の師匠はルシフェルではなく、じろさんだつた。可憐への誘ひの事も忘れ、出はじろさんの「古式拳法」の虜になつた...



【ⅸ】


ルシフェル「儂が甘かつた。カンテラに氣を取られ、此井の存在を忘れてゐた儂が-」。まあこの話はこゝら邊で切り上げるとしやう。出は救はれたのだ。彼が性格俳優として本當に名を成したのは、それから間もなくの事だつた。お仕舞ひ。



※※※※


〈『手袋を買ひに』ハッピーエンドとは 涙次〉


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