第53話 あの日からのプロポーズ
王都カイザランティアにある王城の奥。
第一王女の宮のその奥に、彼女の為の庭がある。
周りを木々が囲い、まるで森のようなそこは、許された人間だけが入ることのできる場所だった。
グラフスとその弟アルゼルファ。そして婚約者のエリアノアが、白い椅子に座っていた。同じように白い丸テーブルには、グラフス付きの侍女が淹れた紅茶が白磁の器に入って置かれていた。
「アルは忙しいから」
「やめてください、姉上。エリーが心配するから」
「あら、そんなことはないわ」
「酷いな、少しは心配してくれないか」
「ふふ。冗談よ。体を壊さないで、と心配しているわ」
花がほころぶように笑うエリアノアを、二人はニコニコと見つめる。
口にする紅茶が甘い。
「ジョコダ領も、半分は召し上げなのでしょう?」
「ああ。取り潰しをしてしまうと、今度はゼトファ侯爵家を処分しないといけなくなる」
「それはさすがに避けたいものね」
グラフスの言葉に、エリアノアは頷く。
「ゼトファ侯爵家はサルール様派の先鋒。今ここでゼトファ侯爵家にまで何かあれば、サルール様不在の今、国のバランスが崩れてしまう」
「とは言え、側妃不在のまま、側妃派を放置し続けるわけにはいかない」
「二人の言う通りだ。このタイミングを乗り切った後に、徐々に……。その為には今、波風をたてるわけにはいかない」
ジョコダ領主は、港の管理不行き届きとして蟄居を命じられた。嫡子が婚約していた相手が今回の事件の首謀者の娘である為に、彼は婚約者共々市井に下る。ジョコダ領主としては娘を跡継ぎに据えさせ、婿取りをすることとなった。
「そう言えば、サノファ様は今、神殿なんですよね?」
「ええ。神殿の地下で、カクカを作っているわ」
カクカは植物を発酵させた菌で、それを元にした食品は国民の生活に深く関わっている。湿度の高い場所でしか作れず、体への負担が高い為、その作り手は少ない。
「神殿には常に人の目があるから、許可なく誰かに会うことはできない。もっとも、万一廃嫡とは言え王家の血筋を得ようとする人間が入り込んだとしても、子を成すことができないように処置されている彼では、どうすることもできないでしょうけど」
さらりと口にするグラフスに、二人は頷く。彼はそれだけの罪を犯してしまったのだ。複数領の領民を巻き込んでおいて、自由を得られる筈はない。
「まぁサノファのことなんて、どうでも良いわね。あの神殿の日以来、二人でゆっくり話なんてしてないんでしょう?」
「まったくその通り。王家に返上させた領地をどうするか、どこの貴族が管理するか。各貴族の子どもたちをどうするか、そんな事ばかり。せめてこれが、これからの国の舵取りをどうするかという、建設的な話であれば、良かったのに」
「でもそれを決めないと、それぞれの領民は困るものね」
「そうなんだエリー。だからやっと、今日時間を取れてホッとしてる」
ウインクをするアルゼルファに、思わず目を伏せてしまう。幾度かされている仕草に、エリアノアはいまだに慣れないのだ。
そんな二人を見て、グラフスが笑った。
「私はそろそろ神殿に戻るわ。侍女たちも連れて行くから、遅くならないうちにエリーを送ってあげなさい」
暫くの間、二人きりにする。言外にそう告げて立ち上がるグラフスに、アルゼルファとエリアノアは、共に立ち上がり礼を取る。
「エリーとの結婚の日取り、早くお決めなさいね」
金色の髪の毛をなびかせて、その場を去った。
途端に、その場に静寂が訪れる。
静かな森の中。鳥のさえずりが響く。
青い空には雲一つ浮かんでいなかった。
「エリー、座って」
「ありがとう」
エリアノアのすぐ横にまわり、背に手を添えて椅子に座る手助けをする。ドレスの裾を彼女自身が軽く直すと、アルゼルファは剣をすぐ脇に置き、跪いた。
「アル?」
「エリー。君に改めて、結婚を申し込むよ」
アルゼルファの言葉に、エリアノアはじっと彼を見つめる。
「俺の、伴侶となって欲しい」
風が吹く。
エリアノアの銀色の髪の毛が揺れた。
彼女の脳裏に、はるか遠い昔の記憶が蘇る。
『大きくなったら僕のお嫁さんになってね』
(あれは……。あの子どもは……)
目の前にいるアルゼルファを見る。
あの日、幼いエリアノアの目の前にいた、金色の髪の毛に美しいグレーの瞳の少年。
今彼女の目の前で、太陽の光を浴びて輝くアルゼルファの髪の毛は、確かに同じように金色だ。
エリアノアを見つめるグレーの瞳も、やはり同じように明るく美しい。
「アル……。あなたはあの日の、アルなの?」
エリアノアの言葉に、アルゼルファは今まで見た中で一番幼い表情をして笑う。その笑顔に、答えを見た。
(ああ。私は、初恋を実らせたのね)
一時は初恋の思い出を胸に、嫁ぐことを決意した。
一時は二度目の恋を胸に、嫁ぐことを決意した。
けれど。
──もう、この恋を胸に秘める必要はないのね。
エリアノアは、アルゼルファを見つめる。そうして。
「うれしい」
あの日と同じように返事をし、あの日と同じように手を差し出す。
アルゼルファは──。
エリアノアのその手をとり、彼女の甲にそっと唇を触れさせた。




