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王位継承者の恋  作者: 穴澤 空@コミカライズ開始/ピッコマ連載完結!掲載中


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第52話 正妃の夜会 再び

 正妃ラチュアノが夜会を催す。

 件の事件以来落ち着きがなかった貴族たちも、これで一頻りの処分が終了したと、ほっと息を吐いた。


「こうして王城の夜会に参加されるのも、久しぶりにございますね」

「本当に。お支度も楽しゅうございますね。やはりエリアノア様はお美しいですわ」


 ミーシャとマルア、それに他の侍女たちも、嬉しそうにエリアノアを着飾る。

 片側を編み込み、それを頭上にアップさせた髪の毛には、小さな青い宝石を編み込んだ髪飾りが煌めく。耳の横には白から水色にグラデーションがかかっている、水の女神の花カイザールが飾られていた。


 ドレスは水色で胸元が大きくあいたオフショルダー。その胸元には、アルゼルファの髪の色と同じ金の縁取りに、瞳の色であるグレーの宝石が輝く。二の腕にはシフォンでできたパフスリーブが付いており、エリアノアの細い腕をさらに華奢に見せた。


 パニエで膨らんだ裾は、オフホワイトの絹の布地にエリアノアの髪の毛と同じ銀色の糸で、刺繍がされている。その上から、袖と同じシフォンが幾重にもかかり、隙間から刺繍がちらりと見えるという贅沢な作りだった。


「ありがとう。皆が私の支度をしてくれるからよ」


 エリアノアのその言葉に、側仕えの者たちは喜びの表情を浮かべる。この上なく美しい主が、自分たちの仕事を認めてくれている。それだけで、この後もついていこうと思えるものだった。


「失礼いたします。お迎えの馬車が到着いたしました」


 執事のセルクがエリアノアに声をかける。

 正式に王太子の婚約者となったこともあり、今夜の馬車は六頭立てのものだった。両親は一足先に登城しているので、今夜はホルトアと二人、馬車に乗る。


「エリーとこうして馬車に乗るのも、久しぶりだね」

「本当に。それも、こんなに穏やかな気持ちで、だなんて」


 ふふ、と互いに笑いあう。ミレイが公爵家に来てからと言うもの、穏やかな日はなかった。それを思うと、今日はなんと素晴らしい夜であろうか。

 柔らかなクッションに座り、馬車から見える景色をゆっくりと眺めた。

 ガス灯がゆらぐ道々には、エリアノアの乗る馬車だと気付いた人々が手を振る。それに笑顔を返しながら、手を振った。


「良かったな」


 ぽつりと、ホルトアの口からそう漏れる。驚いて彼の方を見れば、心の底から嬉しそうに笑う。


「エリーが素直に感情を出せる相手と、結婚できることが嬉しいんだ」

「あら。私はいつでも素直よ」

「まさか! 公爵家の令嬢がいつでも素直だなんてあり得ないだろう?」

「ふふっ。素直であり続けたら、私もミレイみたいになっていたかしらね」

「自分の気持ちに自分が素直でいることと、周りを顧みないことは別の話だろう」

「それもそうね」


 エリアノアは、ミレイと同じように恋をした。愛しいと思う相手と出会った。けれど、ミレイと異なっていたのは、己の為すべきことを忘れなかったということだ。


「ラズが第二王子だと知らない間は、気持ちを包んで嫁ごうかと思ったけど」

「どこで誰に漏れるか、わからなかったからね。エリーにもアルゼルファ様にも、それぞれに我慢をさせてしまった」まぁ僕も、直前に知ったんだけど、と続ける。


 ふと、何度もラズロルであった時の彼が、エリアノアに「守る」と伝えていたことを思い出した。彼なりの、でき得る限りの誠意だったのだろう。


(それが逆に、辛くもあったんだけど……)


 隣に座るホルトアを見る。

 エリアノアと揃いの銀色の髪に青い瞳。すっと通った鼻筋が美しい。


「そう言えば、ホルトアはどうするの?」


 エリアノアがゆくゆくは正妃として王城にあがると決まった今、改めて公爵家の継嗣はホルトアと確定した。つまり、それなりの家柄の女性を娶らねばならない。


「エリーの婚約が発表になった翌日から、続々とお話を頂戴しているよ」

「あなたは、好きな方はいないの?」

「残念ながら」


 グラフス王女とは仲が良いが、互いにそのつもりは一切ない。家格的には問題ないが、エリアノアの相手が正妃の子となると、二人とも同じ家から相手を取るわけにもいかなかった。

 それは王位継承権にも関わる問題だからだ。


「グラフス様は、これで結婚しないで済むわ、なんて仰っていたけど」

「あの方はご結婚したがっていないからね。僕との話が可能性として出ただけで、嫌そうだったよ」

「ふふっ。第二王子の存在をご存じだったのに」

「それでも、その存在を露わにするかは決まっていなかったからね」

「──ホルトアは、今夜はダンスをきちんと踊らないとダメよ」

「流石に逃げ回るわけにはいかないなぁ」

「そうよ。婚約の話が出ているのであれば、なおの事」


 夜会で顔を合わせる。一緒に踊る。

 それは、婚約をする前の顔合わせだ。そこで会話をして、相手の事を知る。公爵家の妻として相応しいか、知性や気性をある程度判断する必要があった。


 ゆっくりと馬車が停まる。王城の内門に並ぶ衛兵が、礼を取った。

 先に降りたホルトアが手を差し出すと、足先からゆっくりとエリアノアの姿が現れる。その瞬間、まるで大きな花が咲いたかのような空気に包まれた。


「さぁ行こうか。正妃陛下からは、今日は僕たちで入場して良いと言われている」

「ではこのまま」


 やわらかな表情をまとう。ふわりとドレスの裾を翻して、エリアノアはホルトアのエスコートで、大広間へと向かっていった。


 広間には、すでに多くの貴族が揃っており、それぞれにダンスを楽しんでいた。ファトゥール公爵家の家格は王家に次ぐ為、王城への到着を含めて、最後になるように調整がされている。


 エリアノアたちが名前を呼ばれ広間へ入った後には、両親であるファトゥール公爵夫妻もすぐに入場した。

 四人が近くのソファでくつろいでいると、やがて第一王女と第二王子、そして国王夫妻が現れる。


 あくまでも正妃主催の非公式な夜会である為、国王の挨拶は特になく、併せて貴族側が挨拶に行く必要もなかった。

 国王が手を上げると、曲が変わる。水の女神に捧げるというタイトルがついたワルツだった。軽やかな曲調にあわせ、国王が正妃と踊る。

 滅多にしないそれに、他の貴族たちからは歓声があがった。


「エリー。私と踊って欲しい」

「喜んで」


 アルゼルファの瞳の色と揃いの明るいグレーのジュストコールには、やはり彼の髪の毛と同じ金糸で刺繍が施されている。ところどころに輝く石は、エリアノアの瞳の色の宝石だった。

 片膝をつき、エリアノアの手を取ると、その指先に口付けをする。


 その流麗な姿に、広間にいる女性は老いも若きも、溜め息を吐いた。そして、それを受け止めるエリアノアが、わずかに染める頬の色に、広間にいる男性がこぞって胸の高鳴りを感じていた。


 軽やかな音楽にあわせ、二人はまるで羽が生えているかのように踊りだす。体重を感じさせないようなステップで広間の中央まで移動すると、折よく曲が切り替わった。


「あら、この曲は」


 初めてアルゼルファと踊った時の曲だった。アルゼルファを見れば、いたずらっ子のような顔で笑う。


(用意してくれてたの)


 覚えていてくれたことも、こうしてその正体を露わにした後に、同じように踊ってくれたことも、全てがエリアノアの喜びに繋がる。

 アップテンポの曲にあわせ、アルゼルファは時折わざとリズムを崩しては、エリアノアをからかうようにリードする。それもまた、あの日を彷彿とさせた。


「そう言えば、あの日約束したスキャルニ。メイアルンで飲めて嬉しかったよ」

「美味しかったでしょう。また飲みにいらして。きっと領民も喜ぶわ」

「エリーが好きだと言ったあの景色。あの領地の美しい全てのものが、君と領民たちの努力で作られていると、とても良くわかった」


 アルゼルファの言葉は、軽やかな足取りに比べてとても真摯なものだった。


「俺はきっとこの先、国王となった時に迷うこともたくさんあると思う。それでも、あなたが隣にいてくれれば、王として道を違うことなく進むことができる」

「ラ──アルゼルファ様」

「アル、と呼んでくれないか」

「あれからやっと、二人でゆっくり話すことができたわね──アル」


 頬を染めてそう言うエリアノアに、アルゼルファは愛おしくてたまらないという瞳を向ける。そうして、腰にまわす手に、わずかに力を込めた。


「アル?」

「もう二度と、誰にも渡さないよ」


(……彼のこの瞳。私はこの瞳を知っているわ。誰かを、愛おしいと思う瞳)


 曲がゆったりとしたものに変わる。緩やかな三拍子のワルツは、エリアノアのドレスの裾を、優雅に揺らめかせた。

 大きくあいた背中には、素肌にかかる部分に真珠がランダムに飾られた銀糸がかかり、エリアノアが動くたびにそれが揺れて、まるで泡沫の夢を見ているようだった。


「あの日、君と踊れただけで幸せだった。たった一曲。それだけで、満足するつもりだったんだ」


 くるりとエリアノアの体が回転する。体に沁みこんだステップを踏みながら、エリアノアは彼の顔を見つめた。


「母に頼んで、君に会う為に夜会を開いてもらった。随分と盛大なわがままだろう?」

「私に会う為に?」

「そう。もうすぐ嫁いでしまう。そうしたら、踊ることなどできなくなる。それに、サノファはどうやら別の娘にうつつを抜かしているらしい。そんなことが重なったら、我慢できなくなったんだ」


 ドレスの裾が翻る。アルゼルファの言葉に、エリアノアは目を瞠った。

 二曲目が終わり、広間には少しのざわめきと、人の入れ替わりが訪れる。


「ああ、曲が終わってしまった。今日は二曲だけ、エリーと踊ることを許して貰ったんだ」

「二曲だけ?」

「本当はずっと君を独占していたいんだけどね。そうもいかなくて」


 くすりと笑うアルゼルファに、エリアノアも笑う。


「そうよ。王太子殿下」

「君からそう呼ばれるのは、変な気持ちだ」


 王太子となって、いや、カイザラント王国の王子として、初めての夜会だ。挨拶をしに来る者も、ダンスを申し込みに来る者も多い。

 エリアノアも、同じだ。正式に王太子の婚約者となった今、挨拶や祝福を受ける時間を設けないとならなかった。


「明後日」

「明後日?」

「そう。明後日、迎えを出すから姉上の宮で」


 婚約中であっても、いや、だからこそ王太子の宮で二人で会うことは、避けるべきことだった。

 第一王女の宮であれば、建前は十二分に立つ。


 エリアノアは、次の約束を受け幸せそうに笑うと、アルゼルファに連れられてグラフスの座る席に向かう。

 そうして、誰もが見惚れるカーテシーでアルゼルファに挨拶をすると、その場にいる全ての貴族をうっとりとさせたのだった。



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