第49話 第二王子の戴冠
「エリー」
すぐ隣に寄りそうラズロルが、エリアノアの名を優しく呼んだ。
「アレ、使わせてもらうね」
「……アレ?」
そう言うと彼は国王の前にゆっくりと歩み寄り、直系の王族にだけ許された、起立したままの礼をする。
(あの礼。ということは、ラズが第二王子だっていうの?)
エリアノアは混乱する胸の内をできる限り表に出さず、分かり切っていたと言わんばかりの表情を取り繕う。
その場にいる領民も市民も、今この場で起きていることをじっと見守っているのだ。けして取り乱してはならない。
彼女に課せられた役割が、そうして自らを律していた。
「永きに渡る他国での生活、誠に大義であった」
「勿体なきお言葉にございます」
「王家のしきたりとは言え、その生まれから秘匿されてきた。国民には、間違いなく我が息子であると、今宣言しよう」
「我が王、我が父、国王陛下に栄光あらんことを」
そのまま女神の祭壇の前へ移り、跪く。
彼の前に、姫巫女グラフスが立った。白いエンパイアのドレスは刺繍が全体に施され、胸元を飾る一粒の宝石は、女神の瞳と呼ばれる大きく真っ青な石。それは戴冠式、立太子などの冠に関わる時にだけ、姫巫女の胸に飾られるもの。
「アルゼルファ・ファイルア・カイザラント。我がグラフス・ファルサ・カイザラントの名に於いて、カイザラント王国の王太子たる資格を有するか、女神カイアルファトゥールに問おう──剣を」
グラフスの言葉に、携えていた剣をスラリと抜く。そうして、女神に捧げた祭壇の奥で流れ落ち続ける滝へ、その剣を触れさせる。
途端、その剣から光が放たれた。
「ああっ! 瑞兆が!」
「王の印が出た!」
「輝く水が生まれた!」
その場にいた国民が、口々に声を上げる。
剣に触れた水が、次々と光り輝く水に変わっていったのだ。
それは、古来より王となる者だけが行う奇跡として、立太子の儀で国民への王の証として見せてきた瑞兆。王になる資格のある者に、女神が微笑むと言われている伝説。
無論、それには仕掛けはあるのだが、国民は知る由もない。
(なるほど。だからアレを使う、と言ったのね)
ラズロルがジョコダへ向かう時にエリアノアが預けた、メイアルン産の光苔カイアリア。その粉末を剣に落としたのであろう。国民の信仰対象の一つである光る水を、事前の細工の準備もないままでありながら、難なく作り出した。
(確かに利用して、と言ったけど。まさかこんなところで使うとはね)
「ここにいる全ての国民が、立会人である。今この瞬間、我が国の女神カイアルファトゥールにより、アルゼルファ・ファイルア・カイザラントは王太子として認められた」
グラフスがそう口にし、ラズロル──アルゼルファに剣の祝福を行う。これをもって彼は、この国の王太子として正式に国王の跡継ぎとなった。
王太子はそのまま、玉座の前に膝をつく。
「アルゼルファ・ファイルア・カイザラント。我がマイノア・アルマイ・カイザラントの名をもって、そなたを王太子として任ずる。名に恥じぬよう、国の為にその生を全うせよ」
国王が玉座から、正式に任を命じる。アルゼルファは国王をじっと見つめると、微笑み、口を開く。
「謹んで、お受けいたします。──国王陛下」
その言葉に、大きな拍手と喝采が沸き起こる。それを、サノファとミレイはギリギリと歯噛みをして、見続けていた。
「さて」
国王がゆっくりと玉座を立ち上がる。これで立太子の儀は終了だ。あとはサノファとミレイへの処罰かと思ったエリアノアに、国王から声がかかった。
「エリアノア。エリアノア・クルム・ファトゥール」
「はい」
美しいカーテシーで礼を取り、国王の前に歩み出る。
「そなたにも、辛い思いをさせたな」
「いいえ──いいえ、そんなことはございません」
腰を落とし、礼を取ったままエリアノアは返す。
「正式に、ここにいる皆の前で改めて宣言しよう──アルゼルファ、エリアノアの元へ」
「はい」
まるでそこにいるのが当然かのように、彼はエリアノアのすぐ横に並ぶ。
「エリアノア・クルム・ファトゥールをアルゼルファ・ファイルア・カイザラント王太子の妃とすると、正式に命ずる」
国王の言葉に、改めてその場に拍手が起きた。
「アルゼルファ殿下万歳!」
「エリアノア様に栄光あれ!」
鳴りやまない喝采に、エリアノアはそっとアルゼルファを見る。その視線を受けて、彼はやわらかく笑った。
(ラズだわ。私がずっと一緒にいた、ラズの瞳)
その瞳に、エリアノアは安堵を覚える。
「エリー。黙っててごめん」
「良いのよ。どこに誰がいるかわからないもの。この状況で私もあなたも、為すべきことを為した、それだけ」
「君はどこまでいってもエリーだな」
「それは褒め言葉よね」
「勿論」
国民には何を話しているかは、聞こえない。だがその様子は、二人の仲の良さを感じさせるには十二分のものであった。
「クソ! エリアノアは私の婚約者だ。その女もその場所も、私に返せ!」
「サノファ様? 私のことを愛しているのでしょう?」
「ミレイは黙っていろ。お前に唆されて、私はこうなったんだ」
「酷い! 私だって、あなたが王家の人間じゃなくなったら、愛情なんて消し炭よ」
「なんだと!」
美しい二人とは対照的に、肩まで床につかせるほどに取り押さえられたサノファとミレイは、互いを口汚く罵り始める。
その様を目にし、エリアノアは優雅に歩き彼らに近付いた。歩く姿すら美しく見える彼女の一挙手一投足に、その場にいる誰もの目が奪われる。
サノファのすぐ横で、腰を落とすこともせずに笑いかけた。
「ご機嫌よう、サノファ様。私、何度も確認いたしましたわよね。私を選ぶか否か」
「それは──」
「あなたには、何度もチャンスがございました。それを自ら捨てたのです」
「知らなかった……! 知らなかったんだ!」
「学ぶ機会は幾度とありました。私も、ホルトアも、無論、グラフス殿下も、同様の教育を受けております。私たちが知っていて、あなたが知らない、は説明がつきません」
エリアノアの言葉は、そのまま国民の税で生きている人間への、民の嘆きだ。民の訴えだ。
為政者であることの意味を、貴族であることの意味を、絶えず己に問いかけ続けよ。国民は愚かではない。
彼女たちは、幼いころからそう教えられてきた。そしてそれこそが、エリアノアが自らを律してきた誇りでもあった。
「サノファ様。あなたには、一つだけお礼申し上げたいことがありますの」
彼を断じてきたエリアノアは、美しい笑みを浮かべ彼女の婚約者の元へドレスの裾を翻して戻っていく。
「義務ではなく、心の底から伴侶と共に生きていく喜びを、知ることができましたもの」
彼女のその言葉は、じっと二人のやりとりを聞いていた国民の歓喜を呼んだ。
再び大きな拍手が起こり、中には涙を流す者すら現れたのだった。




