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王位継承者の恋  作者: 穴澤 空@コミカライズ開始/ピッコマ連載完結!掲載中


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第48話 サノファの断罪

 多くの領民が声をあげるその広場の先には、神殿がある。

 神殿は広場に向けて大きく開けていて、王族の立つ台座、王の玉座、玉座と同じ高さに姫巫女の為の座、そしてその一段高いところに女神に捧げるアクアマリンで作られた祭壇があった。


 祭壇の奥には、透明な水が流れ落ちて滝になっている。

 奥にある滝までがはっきりと広場から見えるよう、この神殿は横長に作られていた。

 その王族の台座に、第一王女グラフス。彼女を守るようにホルトアが立っている。彼らの目の前には第一王子サノファとミレイ・ムールアト。


「サノファ。その娘をこの台座から下げなさい」

「この娘は私の正妃となる娘。されば、王族に等しい」

「愚かな。それに万に一つの可能性があったとしても、今は違うでしょう」


 グラフスの言葉に、サノファは一歩も引かない。爛々とした瞳で彼女をまっすぐに見る。そうして。


「グラフス様危ない!」

「──姉上。いいえ、カイザラント王国の姫巫女殿。私の立太子の儀を今ここで」

「抜刀するか。この場所で」

「ホルトア、剣を引け」

「まさか」


 サノファがグラフスの喉元を目指し剣を抜いた。だが、それがグラフスの眼前を通る前に、ホルトアの剣がそれを留める。グラフスは誰にも気付かれないようそっと数歩後ろに動く。剣にも動じぬ姫巫女を、民には見せつけなければならない。しかし、万一を考えて身の安全を確保する。


「第一王子に栄光を!」


 相も変わらず続く領民たちの声に、サノファが薄く笑った。


「姉上もお聞きになったでしょう。私の戴冠を望む声を。私を王太子にし、すぐに父上にご退位いただく。それが、我がカイザラント王国の繁栄の為です」


 愚かな言葉を口から吐き出すサノファに、グラフスとホルトアが呆れ、二の句が継げないでいると、美しい笑い声が響いた。


「誰に唆されたのかは知りませんけれど、随分と独りよがりな世界に生きていらっしゃるのね」


 広場の後ろ、神殿の門。その中央に、長い髪をなびかせたエリアノアがいた。

 彼女が小さく合図をすると、広場の中に入り込んでいたドミニク・ユーリアの手の者たちが、解毒剤を水路に溶かし始める。


「エリアノア! お前は私とはもう無関係。次期王に軽はずみに口をきいてはならぬ」

「ふふふ。おかしなことを。あなたはまだ立太子すら、なさっていないではありませんか」


 水路に流した解毒剤が広場に広がる。縦横無尽に繋がる水路に流される水量が少しずつ増え、水路近くの者の足下に薄く水が広がっていたことに、彼らは誰も気付いていなかった。


「あれ? 俺たち今……」

「え、ここ王都?」


 その水に触れた人々が、だんだんと正気を取り戻していく。

 徐々に、まるで憑き物が落ちたかのような表情を浮かべる領民たちは、やがて神殿で繰り広げられている、姫巫女への剣での脅迫にざわめきだした。


「第一王子が何故?」

「王子の横にいる女は誰だ」

「エリアノア様が、私たちを救ってくださったお方がいるのに」


 先ほどまでとは異なる声が、第一王子への賛歌に混ざり広場に広がっていく。


「サノファ、その娘を連れて膝を折れ」


 その時、神殿の奥から声が響いた。その声を知らない者は、この国にはいない。

 玉座に就いた時に、各領地を巡った時に、折に触れ彼はこの国の隅々まで、その姿を見せていた。

 ゆっくりと玉座の前に現れた国王は、そこに座する。

 サノファはその剣を下ろし、呆然と国王を見つめた。

 だが、国王はサノファを見ることはない。彼の瞳は民たちを見ていた。


「国王陛下!」

「国王陛下万歳」


 広場にいる正常になっていった者たち。そして周囲の施設からこの顛末を見守っていた民の口から、声が広がる。

 そんな声を、手を軽く上げて制した。


「我が国の姫巫女よ。女神カイザランティアの恵みを」


 国王の言葉に、グラフスが体を翻す。ホルトアが彼女の周りを守るようにして、付き従った。

 神殿の中央にある大きな女神像。その女神の瓶の水量を一気に跳ね上げる。女神の瓶の中には件の解毒剤。

 形式ばかりの──無論、それは国民には形式ばかりとは映らないが──祈りを唱え立ち上がった水柱は、その勢いをもって広場の隅々まで水をかけた。


 広場に集まる全ての領民の表情が、変わっていく。

 それを確認すると、エリアノアが詠唱を始めた。

 美しい歌声が、空に朗々と響く。


 エリアノアは、自身の歌声を武器だと思っていた。

 幼いころに褒められたその声は、人々を統治する時に己への信頼を勝ちうる為に使える武器であると。その為に、昔から声の出し方や歌の歌い方、国中の神殿巫女の詠唱法などを学び続けてきた。


 まるで女神の歌声だ。

 彼女の詠唱は、そう讃美されるようにまでなっていた。

 その、歌声が響く。

 夢から醒めたような状況にある領民たちは、その声に救われたと思うであろう。

 エリアノアは、ゆっくりと広場の中央を歩き神殿へと向かった。


 周囲にいた領民は、彼女がそこにいることに気付くとすぐさま膝を折る。まるで女神を讃えるかのように、自らの二つの手を重ね彼女を見上げた。

 その彼女のすぐ後ろには、騎士のようにエリアノアを守る男がいる。

 この広場にいる領民は、彼のことをよく知っていた。


 ツァルセンの街で、ミランズの村で。

 彼らの苦しみを救ってくれたのは、他ならぬエリアノアと彼であったのだから。

 神殿まで到着すると、中央の女神像へ深く礼を取る。それはこの水の神殿で取る中で、最も礼を尽くしている形だった。


 そうして、まっすぐにサノファを見つめる。

 解毒剤の水は、サノファにもかかっていた。彼もまた少しだけ冷静さを取り戻した表情でエリアノアを見る。


「私は……今、なにを……?」


 だが、領民たちとは違い、自分がしてきたことは分かっていた。完全なる洗脳ではなく、彼の思い込みを利用していたのだ。しかし、冷静になったところで、事態が変わるわけではない。


「お久しゅうございます、サノファ殿下。殿下と私が婚約を解消されてから、随分とご自由な振る舞いをされていたようですわね」


 エリアノアの言葉に、領民が驚愕した。


「エリアノア様はもう、サノファ殿下の婚約者じゃないのか」

「俺たちはエリアノア様に忠誠を誓っている」

「そうだ。あの王子の為になんて、ビタ一文も動くものか」


 ざわざわと広がる不満に、サノファは体を震わせる。彼が何かを口にしようとしたその瞬間。


「サノファ・トゥーリ・カイザラント。そなたを廃嫡とする」


 国王の声が、まるで地響きのように響いた。


「なっ」

「そんな!」


 ここまでずっと黙っていたミレイが、初めて声を上げた。だが、二人の叫びは黙殺される。


「今この時をもって、カイザラントを名乗ることを禁ずる。そなたの名はサノファ。それだけだ」


 家名を奪われる。家名を奪われるということは、サノファは王族ではなくなるということだ。王族でないということは、公侯爵にのみ許されているミドルネームも、名乗ることは許されない。

 取り戻した冷静さは、すぐに掻き消えた。元来持っていた視野の狭さは、洗脳の有無も関係せず、自己を律することもできないまま放埓に生きてきた証だ。


「そんな馬鹿なっ! 私は! 私が王に……」

「その口を閉じなさい。あなたが今口にしていることは、王への反逆です。国家転覆を謀った者がどうなるか、知らないわけではないでしょう」

「姉上! そんなことを言わないでください。私は王になる為に」

「お黙り。見苦しい」


 正妃と共に現れた側妃が、ぴしゃりと言葉を途切れさせた。


「度重なる注意にも耳を傾けないそなたには、国をまとめる力なぞない」

「はは、うえ……?」

「私を母だと呼ぶことは認めよう。されど、陛下を父と呼ぶことは、私が許しませぬ」

「そん……な」


 それは、側妃が己の職を辞するという意味。彼女もまた、彼女なりの責任の取り方を選んだのであった。

 国王と正妃は悲しい瞳で側妃を見る。重なる説得にも、側妃はこの道を選んだ。その決意に二人も、ついに折れた。


「その二人をその場に取り押さえよ。そして後ろに並ぶ、グリニータ伯爵、ムールアト伯爵、ミランズ男爵、ザルフェノン男爵及びその場にいる夫人を捕縛し、空中牢へ」


 国王の言葉に、近衛兵が動く。


「なにをっ、お前たちっ! 王に攻め入りなさい!」

「そうです! お前たち領民の苦しみは国王の責任です」


 その場にいたムールアト伯爵夫人、ザルフェノン男爵夫人が口々に言う。グリニータ伯爵夫人とミランズ男爵夫人は蒼白の表情でその場に佇んでいた。


「領民の苦しみは、貴殿ら領主の責任。なればこそ、彼らが牙を剥くべきは貴殿らでありましょう」


 エリアノアに従っていたラズロルは、彼女のすぐ隣に寄り添い藍色のジュストコールの裾を翻すと、彼ら彼女らを揶揄する。


「なっ! なによ。従者風情が!」


 顔を真っ赤にして声を荒げるザルフェノン男爵夫人に、エリアノアが口を開こうとした。だがそれよりも一歩早く、国王が声をあげた。


「我が第二王子アルゼルファ・ファイルア・カイザラント。今ここに、立太子し、王太子となることを認める」


 その言葉に、エリアノアが国王を見、そして神殿の端から端まで目を走らせた。だがどこにも第二王子の姿が見当たらない。

 国王の視線の先にいるのは、エリアノアが良く知る人物。だが、彼はずっと旅を共にしてきたラズロル・リードル・マイトファイアである筈だった。


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