第45話 第二王子との婚約
「ラズロル様のお戻りです」
「そう。ありがとう」
ラズロルとイルダのジョコダ領での活躍は、すでに一報が入っている。ダルシュ商会やエイル商会、港湾隊長らを移送したことも、グリアーノの民が自ら街を守ろうとしたことも、エリアノアの知るところではある。唯一彼女が知らないのは、イルダのエリアノアへの想いくらいであろう。
それからほどなくして、ラズロルたちが帰還した。夜を徹して戻った彼らが領内に入った時点で、エリアノアには連絡が届き支度を整え出迎える。
彼らを迎えたエリアノアは、侍女らの手で美しく装られていた。旅の疲れは、主の心づくしの出迎えが一番の癒しであろうとの計らいだ。
銀色の髪の毛を、花であしらったボンネットの中に持ち上げ、すっきりとした襟足。大きくあいた胸元はレースのフリルがまるで隠すように飾る。背中はリボンで編み上げ、エリアノアの白い肌をちらりと見せていた。
「お帰りなさい、ラズ、ジョルジェ──そしてグルサム」
「ただいまエリー」
「ただいま戻りました、エリアノア様」
「お久しゅうございます、エリアノア様」
「疲れたでしょう。報告は一息吐いてからでも──」
その時、一羽の鳥がエリアノアの手元に降り立つ。エリアノアへの急を告げる黄色の封筒に、彼女は言葉を止めて急ぎ封を開けた。
中にはさらに封筒が三通。
「一通はあなたへよ、ラズ」
「私に?」
残りの二通のうち一通はエリアノアへの親書。もう一通はエリアノアとその周囲の者たちへのものだった。
「……王都に反乱軍が向かっている、と」
エリアノアが溢した小さな言葉にラズロルは勿論、その場にいた者たちは顔色を変えた。
「皆、執務室へ」
「そうだね。ここではこれ以上の話は控えた方が良い」
急ぎ執務室へ移動する。部屋にはエリアノア、ラズロルの他にはジョルジェ、グルサムにいつもの侍女二名。それに執事のグラーグスと侍女長のサムリエが従った。
「第一王子を擁した一部貴族たちが、領民を船に乗せて王都に向かっているそうよ」
「王都の民は」
「神殿の敷地内にある避難所に、皆を移動させている最中みたい。王都軍は主に民を守る為に動いているから、他の貴族が警戒に当たっているそうよ」
「それが最適解か。各砦の軍を動かすわけにもいかないしな」
「はい。その隙に砦を落とされてはいけません」
「グルサムの言うとおりね。それで、私たちにも王都に至急戻るように、と」
全員の顔が引き締まる。すぐに旅立ちの支度が整えられた。
エリアノアは自室で身支度を整えながら、自分宛ての封を開く。金色の封緘は王の代理を示す蜜蝋。それにバラと剣をあしらったマイノア国王の紋章が押印されている。
「王命──」
その封筒の意味するところを計り、支度の手を留めさせて人払いをした。部屋にはエリアノア一人だけになる。
「第二……王子?」
手紙に書かれている文字に、エリアノアは目を瞠った。どこからか唇を読まれないようカーテンを閉め、ソファに座る。
「カイザラント国王マイノア・アルマイ・カイザラントとその正妃ラチュアノ・ルールティ・サンドレイア=カイザラントとの間の正式なる第二子」
声に出さず、唇だけ動かしその意味を体内に入れていく。
「第二王子、アルゼルファ・ファイルア・カイザラント殿下と私の……婚約」
愕然とする。
王家のしきたりとして、正妃よりも先に側妃に王子が誕生した場合には、万一を考えて神殿により第二王子をその妊娠から隠すこととなっていた。今回の第一王子の反乱軍への逃亡により、その存在を明らかにすることにしたという。
エリアノアは元より、王家に嫁ぐ身として育てられてきている。今更その嫁ぎ先が第一王子から第二王子になったところで、さして問題はない筈だった。
「どうして……」
自身でもそう割り切っていた筈なのに。
「どうしてこんなに──苦しいの」
心臓を鷲掴みされたかのように、息が苦しい。
喉が渇する。
目の前がふらふらと揺れ、焦点が定まらない。
静かな部屋。
窓の外では子どもたちが走り回る声がする。
カーテンを閉めてなお、光が差し込む空。
小さく嗚咽が響いた。
涙が零れていることに、気が付く。
ぼたりと手紙に雫が落ち、結婚という文字がぼやけてしまった。
しとどに濡れる頬。
どれほどこうしていたのだろうか。
流れる涙がやがて量を減らし、漏れる嗚咽が小さくなった頃。
カーテンを開けて、窓の外を見た。
光の下、輝くように続くメイアルンの水路が目に入る。
「──私はエリアノア・クルム・ファトゥール。ファトゥール公爵家の長子。課せられた務めは果たさねばならない」
瞳を閉じて、呼吸を整えた。




