第43話 グリアーノでの捕り物
「……ということで、私は殿下とミレイ嬢を増長させてしまうことをしてしまいました。その償いとして、ファトゥール公爵閣下からは、側近の役を辞し各領地をまわることを命じられたというわけです」
公爵からは、説明の為に公爵家関係者にはすべてを話す許可を得ていた。
「なるほど。確かにあなたがした、たった一つの行為はそのまま大きな潮流を生む、引き金の一つとなったわけですからね」
包み隠さずすべてを話す彼に、ラズロルは表情を動かさずに事実を告げる。
(ファトゥール公爵は、手札にしたか)
イルダのエリアノアを思う気持ちを利用し、側妃派の貴族の現在の内情を探ることにしたのだろう。
侯爵家の嫡男をおおっぴらに断罪することは、それなりにリスクを伴う。今回彼がしでかしたことは、国家への反逆の一端とされても仕方がないことではあった。それをこうして不問に付すことで、ゼトファ侯爵家へ貸しを作る。
イルダにしてみれば、恋い慕う女の家である上に、恩義が生まれるのだ。上手く使えば良い駒になるのだろう。
(だとすれば)
ラズロルはさらにそこを突いた。けして裏切らないよう。しかしそれは同時に、イルダの命を守ることでもあった。切り捨てられることのないように。
「ゼトファ侯爵家としては?」
「はい。父はすでにファトゥール公爵家と話を済ませております。ここジョコダに関しては、私に──ひいてはファトゥール公爵家に全権を委任すると」
「それは重畳」
ようやく笑みを見せたラズロルは、あくまで主導はゼトファ侯爵家であることを前面に押し出すように告げる。
イルダもすぐに意図を理解し、この後の計画についての打ち合わせは深夜にまで及んだ。
*
水の女神の集合礼拝が行われる朝。
グリアーノの街の善良なる住民は皆、神殿に集まっていた。
この時間のこの礼拝に、ダルシュ商会の人間や、港湾隊長が出席をしていないことは調べ済みである。
いつもの礼拝、いつもの祈り。そうなる筈であった。
「グリアーノの民よ。今しばらくこの神殿にとどまるように、と女神カイアルファトゥール様のお告げである」
神殿長が、祭壇の上から民に告げる。ざわめきが起きるが、女神像に異変もない為、皆静かに様子をうかがった。神殿長には早朝に、ただこう告げよと指示を出してある。
「ねぇ、何か音がしない?」
そう言葉を発したのは、年端もいかない少女だった。
それを受け、少女の母親がすぐ近くの巫女を見る。神殿長が頷くと、巫女は少女の頭を撫でながらゆっくりと笑った。
「大丈夫。今、カイアルファトゥール様の御遣いが、この街を、この港を、守ってくださっています」
その言葉は、静かな神殿内に届き渡った。それだけで、今何が街で起きているかを大人たちは察する。
「す、助太刀を……」
「俺たちも、御遣い様を手伝わせてください」
街の男たちが声を出す。
「腕に自信のある者だけでも、行かせてください。巫女様は、女子どもをここでお守りください」
「神殿長! お願いします」
そこへ馬を駆ってきたラズロルが現れた。男たちの動きを見て、神殿内に安全を守る為に潜んでいたイルダの手の者が、彼に連絡を入れたのだ。
大きく放たれた神殿の扉の前に現れたラズロルは、まさしく神の遣いのように民衆には思えただろう。上級貴族の衣服、立派な馬、それに見劣りをしない顔立ちと気品。
彼の言葉を、一同は待つ。
「良いだろう。今、ゼトファ侯爵家の者がこの港を守る為に、狼藉者どもと、それを取り仕切る者を片付けているところだ。貴殿らも、己が街を守る為に力を」
ラズロルの言葉に、街の男たちは居ても立っても居られなくなったのか、すぐに立ち上がる。
「俺たちの港だ。俺たちの街だ。誰よりも俺たちが守るべきなんだ」
それを口にしたのは、スパイスの店の店主、ジャミラだった。彼に続き、他の男たちも口々にそう唱える。
ラズロルは微笑み、彼らを引き連れるようにゆっくりと馬を走らせ始めた。
街の人間の多くが神殿に集まる日の朝は、ダルシュ商会の人間は商会長夫妻を筆頭に全ての者が、きまって港湾会館で朝から宴席を設けている。
グルサムはその宴席の支度に幾度か潜り込んだことがあり、勝手がわかっていた。
「こちら側に、ダルシュ夫妻と港湾隊長夫妻、そしてグイナス・エイルが座っております」
会館の見取り図を指し示し、グルサムはラズロルにそう告げる。昨夜の打ち合わせでも告げていたが、今朝もいつもと変わりがないことを確認し、改めて報告をした。
港ではグリアーノの民とゼトファ侯爵家の私兵がダルシュ商会の船や、ダルシュ商会に商品を納入している船とその水夫たちを抑えるべく戦っている。
「そろそろ港の騒ぎがこちらに伝わる。──行くぞ」
ラズロルの声に、ジョルジェが頷く。グルサムは武力では役に立たない為、その場に置かれている書類を次々と回収する役割を受け持った。
室内に酒が十分にまわったことを確認する。
その時。
「ラジヴェル・ダルシュ、グイナス・エイル、ゼトファ侯爵家の名に於いて貴殿らを捕縛する」
がらりと勢いよく扉をあけると、部屋の四方に潜んでいたゼトファ侯爵家の手の者が、彼らを取り囲んだ。
「ひっ……」
手前にいた港湾隊長夫妻は、すぐにジョルジェの腕により組み伏せられ、捕縛される。ダルシュは腰を抜かし、立ち上がることができずにいた。
唯一エイルが、手元にあった剣を振り上げ、ラズロルに斬りかかる。
「ラズロル様っ」
「遅い」
ラズロルを呼ぶグルサムの声と、ラズロルの言葉、そして重い金属音が重なった。
さすが武器商人と言うべきところか。思っていた以上の剣技でラズロルの首筋を狙うが、その前に剣をはじかれてしまう。
「グイナス・エイル。貴殿の剣は遅いな」
風を切り剣を振り落とすと、切っ先をくるりと回してエイルの眼前で留める。はらりとエイルの前髪が舞う。
ラズロルの瞳は鋭く光り、その視線だけで相手を射殺してしまいそうだった。
「ふ……ひ──。あ……」
言葉の断片しか落とせないエイルを、ジョルジェが縛り上げていった。
その部屋にいた他の列席者も、同様に取り押さえられる。
その時、港から大きな鐘の音と共に、民の声が大きく聞こえた。
「勝鬨だ」
ジョルジェの言葉に、ラズロルが目を細める。
「貴殿らはまとめて護送車に乗ることになる。なに、そこの五名は特別丁重にお連れするから、安心せよ」
酷薄に笑うと、到着した護送車まで付き添う。連行されながら、言葉の限りに罵倒する彼らを、冷めた目で剣を見せる。
「この場で断罪されたいか?」
そのつもりは勿論ないが、十二分に効果はあったようで、途端に静かになった。
「その五名は全員ばらばらに乗せて、領主の館に連れていくように。他の者はそのまま王都へ」
すでに王都へは、エリアノアから手はずを伝えている。王都の手前にある獄に一度収監されることになっていた。
ただし首謀者については、先に調べを付ける必要がある。
領主の館はすでにイルダにより、侯爵家が取り仕切る場所と通達されていた。
「ラズロル様、領主の館にお部屋をご用意いただいております」
「そうか、ありがとう。では一度そちらへ」
グルサムの手引きにより、ラズロルとジョルジェはジョコダ領主の館へ向かう。
「それから……。イルダ殿に神殿で待つ民に報告をするよう伝えてくれないか」
近くにいたゼトファ侯爵家の者へ声をかけ、その場を離れた。
*
「命だけは助けてほしい?」
「は。それぞれがそれぞれ、そう申しております。その為にはすべてを話す、と」
港湾隊長夫妻、ダルシュ商会長夫妻、エイル商会長の五人は、別々の部屋で取り調べを受けている。断罪される恐怖の中でも、彼らは取引を持ち掛けてきた。報告を受けたイルダは、隣にいるラズロルをちらりと見る。
そのラズロルは、くすりと笑い口を開いた。
「その度胸は認めても良いな」
「いかがいたしましょう」
彼らの取引について報告に来た者は、イルダとラズロルの顔を交互に見る。イルダはラズロルに「どうしますか」と声をかけた。
ジョルジェ、グルサムも見守る。
「命だけだろう? 構わないさ。どんな状態で命を残して欲しいかは、言ってないんだろう?」
薄く笑うラズロルの瞳には、温度がない。
「希望は大きく持たせてやれ。徐々にそれを削り、本当のことを言わせるんだ」
戦争をも引き起こしかねない事案に、ラズロルの手は緩むことはなかった。それはまるで為政者のような瞳だと、その場の誰もが思う。
「すべてを炙りだしたら、全員別々に特別獄に送るように」
「か……かしこまりました」
特別獄とは、凶悪犯罪者が収監される監獄だ。標高の高い山中に作られている。人も来ず、暖房器具も碌にないそこでは、何が起きても不思議はない。
(ダルシュとエイルから、少しでも情報が得られれば良いが……)
表情を一ミリも動かさずに命じるラズロルに、報告に来たゼトファ侯爵家の者は震えながら部屋を退出した。
「ラズロル様、顔、かーお。怖いですよ」
「え? ああすまない」
イルダと彼らだけになったことを確認し、ジョルジェは部屋の空気を一掃しようと、明るい声を上げる。
それを察し、ラズロルも笑みを浮かべた。
「あと数日は、ここに留まることになりそうだな」
「なに、我が手の者は優秀です。明日一日でカタを付けさせましょう」
「それは有り難い。では今夜はイルダ殿と、ゆっくり酒でも酌み交わしてみますか」
「良いですね。ジョコダの美味しい酒を用意させましょう」
エリアノアへの手紙をしたため終わった頃、イルダはラズロルの部屋を再び訪れたのだった。




