第39話 王たちの嘆き
第一王子逃走の報は、翌朝密やかに王へと告げられた。
朝、サノファに声をかけた女官が不在に気付き、衛兵へ確認する。無論室内から秘密裏に逃走したのだから、彼はサノファの不在を知る由もない。
それでも騒動にせず、速やかに、そして密やかに王へとその旨を連絡したのは、この衛兵も女官も、共に長く第一王女に仕えていた者だったからであろう。こうした際の対応の方法を、しっかりと身につけていたのだ。
その報を聞き、マイノア・アルマイ・カイザラント王は、正妃と側妃、第一王女と王弟であるファトゥール公爵夫妻を呼び寄せた。城内には緘口令が敷かれ、第一王子の逃走はないものとされる。
「あの……あの痴れ者が!」
手にした扇子を折らんばかりに憤るのは、サノファの母サルール側妃であった。顔を真っ赤にし、少し釣り目の瞳をギラギラと光らせる。
「ああ、大変お見苦しいところを」
怒り心頭とは言え、王の前である。サルールはどうにか感情に折り合いをつけ、平静さを取り戻した。
「構わん。そなたの怒りはもっともだ」
「陛下、本当に申し訳ございません」
平伏するばかりに腰を折るサルールに、マイノア王は席に着くよう促す。
「アレのことは誰のせいでもない。愚かな者にいくら説いたところで、どうにもならんのだ」
深い溜め息をその場の全員が、王の後を追うように吐く。
「第一王子という肩書を、何者かに利用される恐れがございます。どうぞサノファを廃嫡としてくださいませ」
サルールの手元は震えている。己の管理不行き届き、教育不足を詰られてもおかしくないこの状況で、誰もがそのことを口にしない。そればかりか、誰もがサルールを慮っていた。それが逆に、サルールを苦しめる。
廃嫡とされれば、王位継承権は勿論抹消される。しかし、廃嫡を受けた王子が他に利用価値があるかと問われると難しいであろう。国民の税を無駄にすることを厭うこの王家では、廃嫡はつまり一国民となり貴族でもなくなることを示した。
一国民となれば、国民としての義務が新たに生じる。それは王家の人間である時の義務とはまったく異なったものだ。
だが、サノファにそれができるとは思えない。そのまま餓えて野垂れ死にをする可能性も大きい。第一王子の廃嫡とはそうした意味をも含んでいた。
「アレを廃嫡と宣言するには、まだ少し早い。幸い立太子の儀を済ませていないからな。そちらを先にするとしよう」
立太子の儀とは、正式に王嗣として任ずる儀式である。この儀式をする前は、あくまで王位継承権第一位ではあるが、正式な次期国王とは認められない。
サノファは本来エリアノアとの結婚と共に、この立太子の儀を行う予定であった。
王の言葉に、正妃ラチュアノが頷く。
「サルール妃、あなたには少々辛いことが続くかもしれませんが」
「正妃陛下。私、および我がエヴァルンガ侯爵家は両陛下に忠誠を誓い申し上げます」
ラチュアノの前に、再びサルールは席を立ち深く礼をする。
「あなたには立太子の時、そして廃嫡の宣言の時に立ち会っていただきます」
「至極当然にございます」
元来、正妃と側妃の仲は良い。けしていがみ合うような存在でもなければ、貶めあう存在でもなかった。それは側妃が息子の王位継承に積極的ではないことも大きいが、それ以上に二人の妃の性質にもよるのだろう。
それぞれが受けた妃教育は、国の運営に関わるものの比重が大きい。その為、己の身の処し方を理解しているのだ。
今度はラチュアノに促され再び席に座ると、サルールは小さく頭を振った。
「本当に、一体なにを考えて……」
サルールの小さな呟きに、その場の全員が頷く。あまりの愚かさに、怒りよりも情けなさが皆を襲っているとも言えた。
「立太子の儀だが、タイミングを見て良い時に行いたい。ゼノファ、エリアノアたちにはまだ連絡しなくて良い」
「──なるほど。では、良き時に」
王弟であるが故の気さくさで、ゼノルファイアを愛称で呼ぶ。告げられた彼もまた、兄である王に柔らかな笑みを返した。
「それからグラフス。立太子の儀の支度をしておきなさい。わかるね?」
「はい、陛下。最高の場にして見せましょう」
「お前は昔から、そういうのが得意だったな」
「もう。どうしてそんなに悪いお顔でおっしゃるの」
グラフス第一王女が拗ねるように言えば、その場の誰もが穏やかに笑う。
王都の中心にはこの王城があるが、そこより少しだけ離れた場所に民の住まう市街地があった。その中央に、王都の中央神殿がある。
歴代王家の第一王女は、この王都の中央神殿の姫巫女となるしきたりだった。ただし、王位継承権を持ったままの為、王位に就くことも可能だ。
立太子の儀は代々その神殿の中央祭壇で行われる。その為、王都の神殿は王城を背に市街地へ向けて大きく壁が開かれていた。つまり、神殿のある中央広場へ人が集まれば、多くの国民が神殿の中央祭壇で行われる立太子の儀を見ることができるようになっているでのある。
「陛下。件の貴族たちについて、報告が……」
「ああ構わない。エヴァルンガ侯にも、協力してもらうことになるのだろう?」
王の言葉に、ゼノルファイアは頷く。
「できるだけ国民を巻き込まない為にも」
「そうだな。これは王家と貴族の問題だ。彼らに万が一があってはならん」
側妃の兄であるエヴァルンガ侯爵は、現在ファトゥール公爵と共に要職に就いている。側妃派、つまりは第一王子派ではあるが、暗愚ではない。つまりは今この状態をもって、無理に第一王子を王位につけようとする愚行を、行う可能性がなかった。
知のファトゥール、武のエヴァルンガと言われる両爵は、エリアノアが本来は嫁入りする予定だったこともあり、ある程度の信用も互いに築けている。
この話をする上で、側妃をこの場から下げる必要がない旨を、これで王は伝えたとも言える。
「ジョコダの港で武器の密輸入の可能性が出ています」
「ウラは」
「エリアノアが調べている最中です」
「なるほど。グリニータは」
「どうも間にマイハルンの神殿関係者がいるようです」
「おそれながら陛下」
サルールの声に、王は発言を許可した。
「ミレイの父であるムールアト伯爵。彼の妻がマイハルンの男爵家の三女でございます。その彼女とザルフェノン男爵夫人が、正妃陛下の夜会の折に会話しているのを、お見掛けいたしました」
ミレイに関しては、サルールでも調べていた。ただでさえ愚かな第一王子を加速させ、愚かという言葉では済まされない状況に立たせた張本人である。利用価値の一つでもあれば良いが、なければ外縁であるヴァオリエ王族の婢女にでもしてくれようと思っていたのだ。
サルールの報告に、ゼノルファイアの妻クルファも頷く。
「ザルフェノン男爵と言えば、当主の気の弱さを良いことに、奥方が全てを握っていると聞いております。そして──その方がマイハルンの神殿巫女であったと調べはついております。ですが、我が国の公式の婚姻届け書類からは、そのことが抜けております」
「マイハルンはハイサリ神を信仰している国。その神殿巫女が、我が国の貴族に嫁ぐことは、正式な手続きなしには禁じられていることですわ」
言葉を継ぎながら、グラフスが眉をしかめる。
他国、他信教の者であっても貴族に嫁ぐことは許されているが、神殿関係者だけは別であった。各国の神殿は政治的にも意味を持つ為、正式に国家間での取り決めの元でしか婚姻が許されていない。
「そのマイハルンの神殿については、かの国に行かせているホルトアから報告が上がってきております」
「ほう。話が早いな」
「ホルトアも、エリアノアも何某か気が付いたようで」
ゼノルファイアの言葉に、サルールが溜め息を吐いた。
「私がこんなことを言ってはならないのだけれども──。エリアノアのその才を、暗愚者に使わないで済んだのは、もしかしたらこの国にとっては最良だったのかもしれません」
「それに関しては、私も同意見だ」
苦笑しながら、王も同意する。
「だが、エリアノアのその才は必ずや我が王家、ひいては我が国に役立ててもらう」
「有り難きお言葉に存じます」
「なーにを勿体ぶってそう言うのだゼノファ。お前は本心では、エリアノアは自由にさせておきたいのだろう」
「せっかく厳かに返したのに、陛下はそういうところがおありだ」
苦笑しながらそう返し、するりとホルトアからの報告書を開く。
「マイハルンでは、神殿の力が大きくなり、政治への関与が著しいようです」
公爵の報告はそのまま続く。
街には神殿が雇ったならず者が顔を利かせ、神殿に悪意ある者を捕らえる。罪人は薬の実験体にした上に、見せしめとして祭壇の生贄──ホルトアがあの時目をしかめた祭壇が、実にそれだ──にされる。しかも祭壇にあげられるときにはすでに、廃人のようになってしまっているという。王侯貴族はそれを放置し、税収の甘い汁を吸い続ける。
ホルトアが見聞きし、調べあげたものはとても同じ大陸の、同じ時代の国とは思えない内容だった。
「それと一つ。ムールアトの息子に出会ったそうです」
「……ほう?」
「もともとミレイは庶子なので、血は半分しか繋がっていない。それを差し引いても、そしてムールアト本人を見たことのあるホルトアからしても、できの良い息子だそうで」
「それは良い!」
楽し気に声をあげる王は、片目を細め言葉を続ける。
「ムールアトの継嗣がそれであるなら結構。ホルトアには十二分に、その人柄を見極めさせるよう」
第一王子の居場所は引き続き探ること、話題にあがった各貴族の動向を把握しておくことを改めて確認し、この会は終了となった。




