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王位継承者の恋  作者: 穴澤 空@コミカライズ開始/ピッコマ連載完結!掲載中


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第35話 メイアルン到着

 ミランズとメイアルンの間には、山があった。山と山の間を流れる渓谷を船で行くか、または山越えを馬でするか。その二つしかミランズからの道はない。

 男性が一人、二人で急ぐのであれば早馬を使うが、女性がいる場合は船を使うしかない。


「この渓谷を通るのは久しぶり」

「メイアルンから王都へ直接行く場合は、別の水路を使いますものね」


 ミーシャの言葉に頷きながら、エリアノアは甲板から見える景色を楽しむ。山と山の間の切り立った渓谷は、遠くに細長く青空を見せる。早朝にミランズを発った一行は、鳥が鳴く声を楽しみながら、ミランズ産のパンを食べていた。


「それにしても、どうして知ってたの?」

「ああ、ウルツライネスのこと?」


 メイアルン産のジャムをたっぷりと付けたパンは、少しだけパサパサとするが悪くはない。もう少し麦に栄養が行き渡れば、その分彼らはもう少し幸せになれるだろう。


「そうよ。確かに彼らは新しい情報を得ることができていなかった。けれど、逆にラズ。あなたはどうして、農耕に関わるその情報を知っていたのかしら」

「正確に言うと、私の知識ではないんだよ。ムールアトの件の時に、グルサムが思い出して書き添えてくれたんだ」

「グルサムが?」

「今年の農業開発機関の最新発表だったらしい。彼は王宮にあがったその情報を、記憶していたそうだ」

「ということは──」

「きっとメイアルンにも、彼があの時に連絡してくれていると思う」


 領地の統治は領主の仕事であるが、正常に機能している場合、各役人が業務を遂行する。領主は全てを把握している必要はなく、正しく領地が回っているか、問題がどこに起きているかを確認していけば良い。そして一番大切なことは──。


「ムールアト伯爵も、ミランズ男爵も、民のことには無頓着なようで不愉快だわ」

「それは同感だ。領主としての職務を全うできないのであれば、爵位の意味がない」

「民の気持ちに寄り添い、領地を運営していくことが大切だと言うのに」


 無論、全ての領民の気持ちに沿うことはできない。場合によっては民の期待を裏切らないといけないこともある。だが、それでも領民の未来への希望を奪うことはけしてあってはならない。

 政とは、未来への希望であるべきだからだ。


「ラズ、ここからがメイアルンよ」


 渓谷であってもマジャリの木は植えられている。そのオレンジ色を目にし、エリアノアの声が少しだけ上擦った。


「もうすぐ。もうすぐよ。この渓谷を抜けたら後ろを振り返って! 私の大好きな景色がそこにあるの」

「エリーがはしゃぐだなんて、珍しいな」

「あら! 私だって、大切な場所を見せる時くらい、はしゃぐわよ」


 エリアノアにしては珍しく気持ちを昂ぶらせている様子に、ラズロルが目を細める。愛おしいと言わんばかりのその視線を、誰に気取られることのないように、密かにエリアノアへと捧げた。エリアノアはそれには気付かず、ラズロルの言葉に頬をわずかに膨らませて、拗ねてみせる。滅多に見せない16歳らしい姿に、ラズロルは破顔した。


「まだ笑うの? ひどいわね」

「ごめんごめん。なんだかとても可愛くて」

「そ、そんな言葉には誤魔化されないわ。でも──あっ、ねぇ見て。後ろ!」


 谷間から船が出ると、一気に視界がひらける。ひらけた先の景色も美しいが、エリアノアが強く後ろを見るように言うので、先ずは、とラズロルは背後を振り返った。


「は──」


 言葉が出ない。


 そこには山の頂から裾野まで、美しい段々畑が広がっていた。その全てに美しく銀色に輝くライシアの穂が実り、風を受けてシャラシャラと音を立てる。まるで山が歌っているようだった。

 ライシアは米に似た穀物で、ここメイアルンの主食でもある。いわばここが、メイアルンの食を一番に担う場所なのだ。

 その畑で働く人がエリアノアに気が付く。


「エリアノア様!」

「帰って参りました。今年も美しい実りね」

「ありがとうございます! 収穫祭を楽しみにしていてください」

「ええ、楽しみにしているわ」


 段々畑から大きく手をふるその数は、気がつくとどんどんと増えていく。それに手を振り返すエリアノアの表情は、とてもやわらかい。


「大人気だね」

「ふふ。そうだと良いのだけど。ねぇ、私のお気に入りはあれだけではないのよ」

「あんなに美しいものが、まだあるのかい?」

「今度は前を見て」


 船の進む先、そして両側には麦畑があった。金色に輝くそれは、ミランズのものとは比べ物にならないくらいに、ふっくらとしている。


「エリアノア様だ」

「おお、お帰りなさいませ」

「領主様、お陰様でバスムルクの対策はばっちりです」


 やはり同じように、口々にエリアノアに声をかけては手を振る。エリアノアは嬉しそうに彼らにも手を振り返した。


「メイアルンはどこも美しいね」

「でしょう! どこもかしこも美しいのよ」


 まるで君のようだ、などという言葉は、言えば陳腐になるだけだと気付き、ラズロルは口を閉ざした。

 やがて、船は領主の館の中に入っていく。領主の館を通過する形で川が通っているのだ。それは即ち、領主の館自体が街の防衛機能として存在していることを示している。

 到着すると、メイアルンの領主の館の執事であるグラーグスと、侍女長のサムリエが出迎えた。


「エリアノア様、長旅お疲れ様でございます」

「ラズロル様でございますね。お話はゼノルファイア様より伺っております。私は執事のグラーグス。こちらが侍女長のサムリエです」

「ラズロル・リードル・マイトファイアだ。滞在中はよろしく頼みます」


 互いの挨拶を済ませ、部屋に向かう。ラズロルの部屋はエリアノアの私室と執務室の向かいになった。


「お湯を用意しておりますので、まずはお湯あみを」


 エリアノアが部屋に着くと、サムリエがそう告げる。この後諸官の報告を聞くにしても、一度身支度を整える必要がある。今日は歓迎の晩餐があるとも聞いている為、行動は早いほうが良いと考えた。


「そうね。ミーシャ、マルア。あなた方も疲れているでしょう。晩餐まで休んでいらっしゃい。それまではサムリエに、私の対応をお願いするわ」

「喜んで仰せつかります」


 エリアノアの言葉に、ミーシャとマルアも自室へと下がる。


「ラズにも誰か付けてもらえるかしら。ジョルジェとはうまくやってるみたいだけれど、そういう気は利かないと思うの」

「勿論でございますエリアノア様。タジルをお付けするよう手配しております」

「タジルなら安心ね。さすがだわ。ありがとう」

「勿体ないお言葉でございます」


 タジルはグラーグスの長男で、執事の勉強をしている青年だ。目端が利く人間で、愛嬌もある。気さくであっても相手は他国の公爵子息なので、非礼があってはならない。そうした点に於いても、タジルはラズロルの従者として申し分なかった。


「晩餐の前にはもう一度華やかにいたしますが、諸官の報告をお聞きになるときも、ある程度華やかさをご用意してよろしいでしょうか」

「あまり華美なのもどうかと思うけど」

「久しぶりのエリアノア様ですよ。美しい領主の方が喜ばれます」

「……執務の椅子に座りやすい程度にしてちょうだいね」

「かしこまりました」


 サムリエはどの仕事に於いても完璧であるが、エリアノアのことに関してだけは、こだわりが強かった。美しい主に傾倒するあまりに、それを最大限に引き出したいと思ってしまうのだ。その気持ち自体は嬉しい。加えて、着飾られることも貴族の娘としての義務だと思っている。だが、やりすぎだけは……気をつけて欲しい。こっそりとそう思うエリアノアだった。



   *



 事業報告を終えると、エリアノアはすぐに晩餐会の準備に入った。

 豊かな銀色の髪を結い上げる。後頭部にサファイアを繋いだ、線の細い髪飾りを幾重にも重ねた。耳の横から頭頂部にかけては、パールをあしらった小さめのボンネットがかかる。


 紺色をベースにしたドレスは、銀色の刺繍が全体に施され、エリアノアの髪の毛と呼応するようだ。肘から広がった袖口には銀色の手編みのレースが飾られていた。

 そこから伸びる白く美しい指先には、同じように銀色の手編みのレースで作られたショートグローブをはめる。

 侍女により磨き上げられたデコルテには真珠の粉が塗りこまれ、きらきらと輝いては大きくあいた胸元を美しく演出していた。


「お美しいですわ、エリアノア様」

「久しぶりに、しっかりと装いの支度ができたことが、嬉しゅうございます」


 ミーシャとサムリエが口々に褒め称える。紅茶を口にした後、最後の仕上げにと紅を唇にさしていたマルアも、幸せそうに微笑んだ。


「本当に。ひと時も早くラズロル様にお見せしたいです」

「ラズは褒めてくれるかしらね」

「褒めるに決まっておりますよ! あの方なら特に!」


 力強く返すマルアに、エリアノアも内心同意してしまう。

 侍女が皆嬉しそうな表情を浮かべるのも無理はない。正妃の夜会からずっと、エリアノアの美しさを十二分に表現できる機会がなかったのだ。

 ようやく得た帰還の晩餐会という華やかな場で、彼女らの美しい主の魅力を惜し気もなく見せつけることができる。侍女たちの腕が鳴るのも、もっともだった。


「失礼いたします。皆さまお揃いでございます」


 扉の向こうから、フットマンのデールアジルの声がする。


「さぁ、エリアノア様」


 サムリエが先陣を切り、部屋を出る。領主の館の中で一番大きなバンケットホールに続く階段の手前で、ラズロルが待っていた。


「お守りいたします、姫君」

「ふふ。お願いね」


 出された掌にエリアノアは手を重ねる。その甲に口付けをし、ラズロルが笑いかけた。


「エリー、とても美しい」

「あなたもとても凛々しいわ」


 エリアノアと同じ色の紺のジュストコールには、ラズロルの金の髪と同じ金糸で刺繍がされている。ジレはオフホワイトで、まるでエリアノアのボンネットにかかる真珠のような色合いだった。

 バンケットホールにバイオリンの音が響く。それをきっかけに、階下で待つ役人や街の有力者たちは、立ち上がり階段の上を見上げた。

 まるで一対の絵のような二人は、臙脂の絨毯がひかれた木の階段をゆっくりと降りて来る。その姿の流麗さに、まるで国王夫妻ではないかと思うほどの気高さを誰もが感じていた。

 晩餐会の食事が供された後、人々はさらに会話を盛り上がらせる。隣の席、向かいの席の人と話しながら、皆エリアノアたちに挨拶に行く順番を待った。


「エリアノア様、バスムルクの件ありがとうございます」

「あれはラズロル様とグルサムのお陰よ」

「いや、私はエリアノア様のお手伝いをしたまでですから」


 メイアルンの農業組合の代表が、エリアノアたちに挨拶する。ラズロルのムールアト視察、そしてグルサムのバスムルク対策の連絡が、メイアルンの麦を危機に晒すことから守った。それに対する感謝を伝える。


「農業には、万に一つの対策をも怠ることは許されません。バスムルクの害はいつ引き起こるかわからないものです。こうして対策と、良い施策をご案内いただける領主様で、本当に感謝しております」

「私もいつも、あなた方に感謝しているわ。一所懸命に働いて、素晴らしい実りをもたらしてくれるのだもの」

「エリアノア様……」


 近くのメイドに目配せをすると、農業組合の代表者にグラスが渡される。美しい赤色をしたワインが注がれていく。

 エリアノアがグラスを軽く上げると、農業組合の代表は感極まった表情をしながら、同じようにグラスを持ち上げた。


「女神カイアルファトゥールとメイアルンの民に栄光あれ」

「女神カイアルファトゥールと我らが麗しの領主、エリアノア様に栄光あれ」


 乾杯と挨拶を終えると、酒造組合の責任者数名に代る。


「エリアノア様がご提案くださいました、スキャルニに入れるスパイス。とても相性が良くて、早速今年から販売に回せそうです。ルシマンドからの輸入についても、紹介状を早々に頂き感謝いたします」

「いいえ、先だって書いたものが無事に届いて良かったわ。スキャルニのレパートリーが増えるのは、メイアルンにとっても、とても良いことですもの。これからもよろしくね」


 こうして次々と、エリアノアへの挨拶が進んでいく。その間ラズロルも会話に参加しては場を和ませ、夜は更けていった。



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