第31話 ジョコダ領03
「それで、港の方はどうだったの?」
明るい日差しが差し込む部屋。少しだけかためのソファに座り、食後のお茶を飲む。問われた男はティーカップを置き、笑いかけた。
「ああ、綺麗な港だったよ。港自体は」
「港自体は──。つまり、作りが良いということなのね。それ以外は」
「人の様子がおかしい。荒くれ者だってだけなら、どこの港にも多い。ただ、あの港にはやたらと虚ろな目をした人間が、入り浸っていた」
「虚ろな目をした人間」
まただ、とエリアノアは思う。実際に街中にも多くいたので、港にもいておかしくはない。この街の多くは港に関わる人間なのだから。
「それから、この港はダルシュ商会が牛耳っている。港を使うには、ダルシュ商会に使用料を支払わないといけないし、一度の荷揚げ量の制限もかけられているそうだ」
「ジョコダ領主はそれを許しているの?」
「多分……知らないんじゃないかな」
言われて思いだすことがあった。スパイスの店の店主ジャミラの話だ。
「港湾隊長の娘が、ダルシュ商会の商会長の妻だそうよ」
「なるほど。だったら、表向きは港湾隊長が取り仕切って、その実ダルシュ商会が実権を握っているのだろうな。これなら領主は気付きにくい」
「街の様子を見ると暴徒も多いみたいだから、誰も恐れて上申なんてしないのね。──その暴徒もおそらくは」
「ああ。ダルシュ商会が裏にいるんだろう」
エリアノアは溜め息を吐き、紅茶を口に含む。少しだけスパイシーな香りがするのは、ルシマンド領のスパイス・ティだからだろう。
「あとは──輸入船に紛れて、漁船から気になる荷が降りてたな」
「気になる荷?」
「市場の方へは向かわない。でも荷改め方にも向かわないんだ。何度も人の手を経由させて、巧妙に抜けていく」
「人の出が多いですからね。一つ一つの荷の行方なんで、誰も気にしていませんでした」
「それが、ミャルゼ港で聞いた遠洋の船」
「おそらくは」
荷改め方とは、港についた荷物を検閲し、必要に応じて課税をする役所だ。輸入品であるか、国内の品であるかを確認したり、生物であれば病原菌が含まれていないかを確認する。
通常魚介類に関しては荷改め方を経由せず、直接市場へと向かう。市場にて同等の検閲が行われるのだ。
「その荷物は最終的には、ダルシュ商会に向かうわけね」
「ああ。ただ一方で、正常に荷改め方を経由してダルシュ商会に入るものもある。つまりは」
「密輸入」
「だろうな」
「例のマイハルンの商人が関わっているかはわからないけど、街に溢れている火の神の国の人を考えると」
「火の神の国の人間が多いのか。彼らはハイサリ教皇国の人間か、それとも──」
「マイハルン王国の人間ね」
火の神ハイサリを信奉する国は、火の神ハイサリを祀る宗教国家であるハイサリ教皇国と、シラルク連邦王国の中のマイハルン王国だけである。
「密輸入については、ほぼ100パーセントの確率でクロだとしても、証拠が欲しいな」
わずかに口の端をあげながら、唇に親指を触れさせラズロルが呟く。瞳を細め、獲物を逃がすまいとした色を見せる。
「そうね。状況証拠だけでは、あの規模の商会を抑えることはできない」
「でしたら、私が潜入してお調べいたしましょう」
主たちの言葉にグルサムが手を挙げた。その声に、エリアノアがこくりと頷いき許可を与える。
「あなたが一番の適任者ね。お願いしても良い?」
「勿論です。何かあればすぐに手紙鳥をお送りいたしますので、メイアルンで楽しい時間を過ごしていてください」
「頼もしいわ。あなたも早く合流できるように」
「オイシイ資料が残っていることを、期待していただければ」
「ふふ。ただ、虚ろな目をした人間が多いことも気になるわね。そちらも気を付けて」
「本当は、両方のオイシイ情報があれば嬉しいのですが」
「無理だけはしないで頂戴。危険があればすぐに逃げて」
「これでも、ファトゥール公爵家の使用人ですよ。多少のことは大丈夫です」
「信用しているわ。マルア、後で適切な衣服を用意してあげて。紹介状は……」
「俺の方で用意しよう」
「では、お願いします」
紅茶のカップが新しくなる。淹れたての紅茶からは、湯気がたち、表面には白い花びらが浮かんでいた。甘い香りがする。
「そう言えば、スパイスの香り──」
「スパイス?」
「ええ。ザルフェノンのスパイスの質がここ一年落ちているらしいの。スパイスの香りが、むせ返るような甘い香りになってきていると」
「ザルフェノンか」
ザルフェノンはカイザラント王国の西にある領地だ。ファトゥール公爵家が治める第二王都ファトゥールの隣に位置し、良質なスパイスの産地としても有名だった。
「確か、ザルフェノン男爵の奥方は、マイハルンのご出自よ」
「マイハルン、か。ここに来て、またしても嫌な符牒だな」
「ねぇ、港にも虚ろな目をした人間が多かったと言ってたわね」
「ああ。焦点のあっていないような、気味の悪い瞳さ。でも、様子を見てるとそれなりに働いてはいるんだ。──君が考えていることを当ててみようか」
片眉をあげ、ラズロルは手にしていたカップを置く。
「どうぞ」
軽く首を傾けながらエリアノアが促せば、指先をくるりと鼻先で回し言葉を続ける。
「その甘い香りが、何かを刺激している」
一口紅茶を飲み込むと、エリアノアは頷く。
「昔、本で読んだことがあるのよ。脳に働きかける植物のことを」
「国庫文書係に問い合わせをいたしましょう」
「ミーシャ、お願い」
すり、とラズロルは親指で唇をなぞる。眉間にはわずかにシワがよった。
「ホルトアがマイハルンにいるんだったか」
「ええ。マイハルンの神殿は薬を多く扱うと聞くわ。連絡を入れて、神殿も調べて来てもらいましょう」
「そうだね。──それにしても、マイハルンか」
ラズロルは立ち上がり、窓の外を見る。青い空がどこまでも続き、その先には海も見えた。白い帆を張る船がいくつも浮かび、光を浴びてキラキラと輝く海を、飾り立てる。
「行ったことはあるの?」
「残念ながら。子どもの頃にサンドレイアには行ったことがあるけど、他はなかなか、ね」
その言葉に、エリアノアの胸がどきりと動く。
「サンドレイアに?」
「ああ」
返事をするとラズロルは振り向き、エリアノアを見つめる。
「サンドレイア帝国の城に」
エリアノアの脳内に、あの日の思い出が蘇った。小さなエリアノアの手を取る、ラズロルと同じ髪の色、同じ瞳の色の。彼女にとっての、王子様。
(も、もしかしてあの時の子が、ラズロルだったりする? まさか──。そんな都合の良いことなんてある筈がないわよ)
ぐるぐると脳内を駆け巡る、まさかという思い。眼の前がくらくらとしてきそうだった。常にはすぐに物事を処理できる脳が、どうしてか今は働きもしない。
(聞いてしまえば良いのに。あなたがあの時の子なの? と聞けば良いのに)
肯定されることも否定されることもどこか恐ろしく、身動きが取れない。どうにもできないこの状況に、なぜだか不安で泣きそうな気持ちになってしまう。
「エリー?」
近付き、エリアノアの前に膝をつく。大きな掌が、彼女の手をとる。
「考えすぎないで。順番に紐解いていこう」
「……ええ」
(ラズロルは、マイハルンのことを言っているのよね)
触れる手の温かさに、今までの不安が晴れたような気がした。




