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王位継承者の恋  作者: 穴澤 空@コミカライズ開始/ピッコマ連載完結!掲載中


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第30話 ジョコダ領02

 グリアーノの街は人が多かった。石畳は随分とガタガタとしているが、海水が上がった時に水はけが良くなる為に、あえてそうしている。

 行き交う人々は男性が多く、水夫や商人が多く見られた。街のざわめきの多くは荷揚げの為の人足と、水夫、商人が作り出しているもののようだ。


「夜遅くまで明かりがついてざわめいていたけれど──。顔色の悪い者も多いわね」

「はい。それと、焦点のあっていない者も目立ちます」


 ミーシャの言葉に、エリアノアも頷く。目の端に人々の様子を捉えながら、それらが意味するものを組み立てていった。


「マルア、グルサム。近くの店で食事をしてきてくれるかしら」


 少し離れたところにいる二人に、小さな声で話しかける。傍から見たら、隣にいるミーシャと会話しているように見えるだろう。マルアもグルサムも、エリアノアのその唇の動きを見逃さず、すぐに別行動を取り始めた。


「私たちは商店で、お買い物でもしてみましょう」

「せっかくですから、この街の流行りを手に入れてみたらいかがでしょうか」

「あら、それは良いわね」


 商家の娘が、使用人を連れて買い物に来ている。そう見えるよう振る舞い、二人はすぐ近くの小さな店を訪れた。


「いらっしゃい。綺麗なお嬢さんたちだねぇ」

「まぁありがとう。これは美しい瓶だわ」

「左様でございますね、お嬢様。こちらでしたら、奥様もお喜びになるのでは」


 店頭に並ぶ香水瓶を見ながら、母親へのプレゼントを買いに来た娘を装う。その様子をにこにこと見ながら、女店主はいくつか瓶を取り出した。


「その辺りが好みなら、こっちはどうです。最近じゃダルシュ商会がよその国の瓶を輸入して、大売り出しだけどね。お嬢さんが気に入ってくれたやつやこれは、ゼトファの職人たちが作ってる、細やかな細工のものさ」

「まぁ、ゼトファの?」

「ここジョコダの領主様とゼトファの侯爵様は親戚筋だからね。領民も気安く荷のやり取りをしていたんだよ」


 エリアノアの前に並べられた小瓶は、どれもガラスの色、周りを飾る真鍮の細工が細やかに作られている。繊細なその飾りはどうやって作ったのか、想像もつかない。


「ゼトファ領では職人が多いと聞いているけど、これは素晴らしいわ」

「お嬢様の分もお求めになってはいかがでしょう」

「それが良いわ。私はそうね……。こちらの薄い黄色を。お母様には薄い紫色の瓶にしましょう」

「ありがとうございます。二つで7560パイラスだけど、せっかくだから負けておくね。7500パイラスで」

「嬉しいわ。ねぇ、この瓶には何をいれましょう」

「その瓶なら香水だね。ほら、こっちにあるもう少し口の大きな瓶。こっちならスパイスさ。ジョコダはスパイスの輸入も自慢だから、良かったらこっちもどうだい。一緒に買ってくれるなら、一つ800パイラスをそっちの瓶とあわせて8000パイラスにしようじゃないか」


 店主の手際の良さに、目をパチクリとさせながら、エリアノアは笑う。


「良いわ。それじゃあそのスパイスの瓶も。全部で三つね」

「アクバリール・カイアルファトゥール。あなたにカイアルファトゥール様のお恵みがありますように」


 敬虔な水の女神カイアルファトゥールの信徒が礼を言う時に使う言葉を聞き、エリアノアは微笑む。場合によっては中央神殿にあがり姫巫女となる立場だ。そうした言葉を聞くと、どこか心穏やかになるのだろう。

 手渡された荷物をミーシャが受け取り、次の店へと向かった。


「いくつか回ったら、ダルシュ商会の店に行ってみましょう」

「かしこまりました。次は香水になさいますか? スパイスになさいますか?」

「スパイスから」


 小さな間口の店の前で立ち止まる。入り口には「水の信者のみ」と書かれてあった。


「スパイスの店、よね?」

「看板にはそうございます」

「何かしら、この張り紙──」

「お前たちは、カイアルファトゥール様の民なのか?」


 店の中から、男の声がした。


「はい。水の神殿で祝福を受けております。こちらの者は私の従者で、同じように祝福を」


 神殿に入る時にする礼の形──それは信仰する女神により異なっている──を取りそう返信すると、扉が開いた。


「確認して悪かった。スパイスを求めてきたんだよな? どうぞ中へ。店主のジャミラだ」


 扉の中はすぐに広がった空間があった。少々不安を覚えたが、腕の立つミーシャが共にいる。エリアノアは店主が促すまま、店の奥へと入っていった。

 店の中は天窓が付き、明るい。ガラス瓶に入れられ並んでいるスパイスは、どれも色鮮やかだった。小さなネームプレートが瓶の首から下げられている。


「まぁ、たくさんあるわ。どれも美しいのね」

「お嬢様ったら」

「だって、私こーんなにたくさんのスパイスを見たのなんて、初めてよ」

「嬉しいね。うちはジョコダ一のスパイス屋だったのさ。今じゃすっかりこの有様だけど」


 その言葉の通り、店内の客はエリアノアたちしかいない。店の壁などをよく見ると、わずかにくぼんでいたり、傷んでいる部分もあった。まるで、ここで何か乱闘があったかのようにも思える。


「入り口の張り紙もそうだけど──何かあったのですか?」

「お嬢さんたちは旅人か?」

「はい。王都からメイアルンへの旅の途中です」

「なるほどね。この街は随分前から、荒くれ者の街になってるのさ。夜に出歩くことは絶対にしちゃダメだよ。お嬢さんたちみたいな可愛い女性は、すぐに乱暴されちまう」

「……それって」

「下世話な言い方で悪い。だけど、本当にそうなんだ。この街の娘たちは、夜は絶対に外に出ない。昼間だって、必ず二人以上で歩くのさ」


(ジョコダ領の治安が、そんなに悪いだなんて)


「水の信者のみ、と言うことは、荒くれ者たちは異国の者なのですか?」

「あいつらは火の信者だ。いや判ってる。火の信者であっても、良いやつはたくさんいるってことは。でも、少なくともこの街にいる火の信者は、危険なんだ」


 国により、信仰する神は異なる。その為何の神を信仰しているかにより、出自の国がある程度はわかるようになっていた。


(火の神と言えばハイサリ様。西のハイサリ教皇国がすぐに浮かぶけれど……。もう一つ)


 エリアノアは、脳裏に浮かんだ国名にぎくりとした。

 店主はくぼんだ壁を指差し、口を開く。


「あれ、見てくれ。火の信者たちが店の中で暴れた痕だ。酒に酔っている者もいれば、虚ろな目をしたやつもいた」


(虚ろな目。たしか、さっきも焦点があっていない者がいた)


「……そう。それで水の信者のみ、と。火の信者はいつ頃から増えだしたのですか?」

「あいつらは水夫と商人が殆どなんだ。一年くらい前からかな」

「水夫は船で、火の神の国から?」

「ああ。その船に商人も乗って来ているんだ。スパイスやら香やらを山程持参して、安くダルシュ商会に卸してる。お陰で、こっちは客も商品も失っちまう」


「スパイスはもともとは?」

「ザルフェノンとルシマンドから水路で運んできてたんだ。ルシマンドのスパイスは香りが良くて、味も良い。ただ、品質が良い分高いんだ。それでも、俺は良いものを適正に提供したい」


 店主の言葉に、二人は頷く。



「私もその考え方に同意するわ。ザルフェノンの方は?」

「あそこはもうだめだ。最近ずっと、質が落ちて収穫高も下がってる」

「質が落ちて?」

「ああ。他のスパイスとかけ合わせたのか、香りばっかり強くなってだめなんだ」

「香りばかりが」

「むせ返るような香りだ」


(むせ返るような香り。まさか)


「それはいつ頃から?」

「うーん。確か半年……いや、ああ、これも一年くらい前だな。妙な符牒だな」


 軽く肩をすくめる店主に、エリアノアは尚も話しかける。


「ねぇ、ジャミラ……と言ったわね。ダルシュ商会は、もともと大きな商売をしていたの?」

「ある程度はね。ダルシュ商会の商会長夫人が、港湾隊長の娘でいろいろ口利きをしてもらってるんじゃないか、って話さ。ただ──そうだな。ここ一年で急激に羽振りが良くなった気がする。ここまで一年が揃ってくると、全部繋がってる気がしてくるな。まぁ偶然だろうけど」


(いいえ、これはきっと繋がっている。ザルフェノンについては、別で調べないといけないかもしれないけど、それに……。火の神の信者が街に増えた時期と、ダルシュ商会躍進の時期は一致している。輸入は、かの国からで間違いはなさそうだけれど、証拠を捉えないといけないわね)


「ありがとう。ねぇ、スキャルニに入れるスパイスを新しく考えたいの。おすすめはあるかしら」

「いいねぇ。そういう相談大歓迎さ。スキャルニなら、普通はシナモンにマジョダ、ナツメグにクローブ、ボルシュナ、あたりか。だったら、このジョルバルとかボーシュメッドを追加しても香り高くなると思うぞ」


 掌に出されたスパイスの香りを確認する。花のような甘い香りがふわりとしたあとに、軽く山椒のような香りが残った。ミーシャが噛り、味を確認する。


「お嬢様、これは大変良い味でございます。香りからくる甘さは控えめで、少々の辛味が舌を刺激してきて、スキャルニにぴったりかと」

「素敵。じゃぁこれをこの瓶に入れる分と──、そうね追加で500クエアを箱にいただける?」

「そんなに? 嬉しいな。じゃぁこの小瓶分は負けとくよ。全部で15000パイラスね」

「ありがとう。質の良いスパイスは貴重だもの。お店、大切にしてください」


 エリアノアの言葉に、ジャミラは満面の笑みを浮かべた。


「アクバリール・カイアルファトゥール。あなた方にカイアルファトゥール様のお恵みがありますように」


 二人が店を出た後、扉は再びきっちりと閉じられる。異国の者をけして入れないという決意が、その扉には見えた。


「お嬢様」

「ええ。香水もきっとダルシュ商会に売っているわね。次の行き先はダルシュ商会……と言いたいところだけど、先に皆と合流したいわ」

「ではお嬢様。俺と共に昼餉を取るのはいかがでしょうか」

「──ラズ?」


 エリアノアの前に、ラズロルとジョルジェが並ぶ。少し後ろには、マルアとグルサムも通行人のような顔をして揃っていた。


「ふふ。良いタイミング。皆が揃うのであれば、宿で食事をとりましょう」


 ちょうど良く来た乗合馬車に乗り込み、宿へと戻っていった。



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